2005年12月②/第26回 「若すぎた男」キーシン

 来年のトリノ五輪で、スケートの浅田真央が年齢制限のために出られないことが話題になっている。生まれたのが三か月だけ遅く、まだ若すぎるということだそうだ。

 今から20年前、1985年のショパン・コンクールの頃に、似たような話を聞いたのを思い出した。そのときはソ連(当時)のスタニスラフ・ブーニンが優勝して、日本で一大ブーニン・ブーム――ちょうどヨン様ブームみたいな――が巻き起こり、その初来日は社会的事件といって過言でない大騒動になった。

 当時私は、ブーニンを招いた音楽事務所でバイトしていた。連日灰神楽のたつような騒ぎだったが、その陰で、「じつは、ブーニンより凄い才能を持つ少年がモスクワにいる。年齢制限で出られなかったそうだ」という噂が、早くから事務所内に流れていた。それが、この年15歳のキーシンである。

 翌年、故郷のモスクワで行なわれたチャイコフスキー・コンクールへも、彼は年齢制限のために参加できなかった。にもかかわらず、そのオープニング・セレモニーで演奏する機会を与えられたのは、「真の勝者は誰か」を示しておきたいと、彼の周囲の人々が望んだ結果だったのだろうか。

 そして、それから4年後の1990年は、5年に一度のショパン・コンクールと、4年に一度のチャイコフスキー・コンクールが同じ年に開催される年だった。19 歳になるキーシンにとって、願ってもない巡り合わせのはずだが、彼はどちらにも参加しなかった。すでに諸外国にその名を轟かせ、カラヤンとも共演した経験を持つ人気ピアニストにとって、いまさらのコンクール優勝など、無用のお飾りになっていたのだ。

 近年はアンスネスのように、大コンクールをあえて経由せずに世に出る、優秀なピアニストが増えている。「若すぎた男」キーシンは、そうした人々の嚆矢となったのである。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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