音楽コラム「Classicのススメ」


2007年01月/第40回 左手からのピアニスト

 エレーヌ・グリモーというピアニストが最初のCD、ラフマニノフのピアノ曲集を録音したのは1985年7月、まだ15才のときだった。
 このときすでにパリ音楽院のプリミエ・プリ(首席中の首席)を獲得して卒業していたというのだから、まさしく早熟のピアニストだった。だからこのデビュー盤も、単なる「神童」の記録というよりは、世界に向けて活動を開始したプロの音楽家としての第一歩として考えるべきなのだが、どうも発売当時の日本での受けとりかたは、そのような真摯なものではなかったように記憶している。
 グリモーが長髪の「美少女」であったことが、この場合はよくなかったような気がする。約十年後のJクラシック・ブームや、また最近は欧米のメジャー・レーベルでも、「実力より容貌」的な美女が玉石混淆に登場してCD界を賑わしているけれど、その先駆けのような印象が、はじめの5年間ほどはつきまとっていたのである。
 あるいは、契約していたのが日本のレーベルだったのも、やや安易な欧米志向の強い私たちの目を、いや耳を曇らせていたのかも知れない。しかしグリモーはその後も着実に、その高い知性によってキャリアを築いている。
 そのピアノの第一の特徴は、左手の独創的で自在な動きにある。普通なら脇役になりかねない左手が、ときに主役になったりする。けっしてパワフルとはいえない彼女が大曲を見事に弾きこなすのも、この左手のリズムによるところが大きい。この人とノリントンのブラームス、どんな音楽が生まれるのか大いに楽しみである。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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