音楽コラム「Classicのススメ」


2009年11月/第74回 没後20年のホロヴィッツ

 ホロヴィッツがニューヨークの自宅で亡くなったのは、20年前の1989年11月5日である。ベルリンの壁が崩壊する数日前のことだ。昭和天皇崩御、美空ひばりやカラヤンも世を去ったこの年は、まさに時代の節目だった。
 ホロヴィッツは公式には1904年生れとなっていたが、それは徴兵逃れのためのもので、本当は1903年生れ、つまり86歳で亡くなったと現在ではいわれている。
 その響きの蠱惑的な魅力、圧巻の技術などピアニストとしての評価は絶対的なものだったが、一方で長期間の引退と劇的な復帰など、センセーショナルな話題も多い人だった。
 日本ではとくに1983年の初来日が大きな話題になったし、長く語り種になることになった。専属の料理人を日本のホテルまで帯同するなどの豪華な生活ぶり、当時では異例の高額だったチケット、そして「ひびの入った骨董」という、吉田秀和の有名な言葉。
 このとき不調だったことは本人もよく承知していて、3年後に再来日、力みのないすばらしい演奏で汚名をそそいだ。チケット代もぐんと下がって、良心的なものだったという記憶がある。
 そのときのライヴ録音はあるのかどうか知らない。が、同じ年に行われたロシアへの61年ぶりの里帰りのさいのモスクワでのライヴ盤は、この年のホロヴィッツがいかに好調であったかを示す、価値あるドキュメントになっている。この一枚だけでなく、前後に録音された数枚は、ピアニスト晩年の境地を音にとどめる、味わいの深いものばかりである。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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