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音楽コラム「Classicのススメ」


2005年04月②/第08回 ヤルヴィ家の父子鷹

 このところ、にわかに「株式会社って何?」とか、「会社って誰のものなの?」とか、資本主義というものについて考えさせられる機会が増えている。言うまでもなくライブドアや西武鉄道問題のことだが、興味深いのは、フジサンケイ(昔やたらに耳にしたFNSという言葉、最近聞きませんね)にしても西武にしても、どちらも「権力の世襲」の実現あるいは阻止への執念が、これらの騒動の遠因となっていることだろう。そういえば、ある伝統芸能の家元の正当性が、司法の判断に委ねられるなどという事件も現在進行中のようだ。

 巨大組織の世襲は、簡単なようでとても難しい。安定成長期ならいいが、混乱期になると無理と矛盾ばかりが露呈する。

 では、芸能や芸術の世界はどうだろう。歌舞伎や落語の世界では、今まさに盛大な襲名披露興行が行なわれている。伝統ある名前に新たな花を添えるか、それともその重さに負けてしまうかは、彼ら自身の今後の精進にゆだねられている。何事も、結局は芸次第というわけだ。

 クラシックの世界も同様である。「組織とその権力」を単純に相続するよりもずっと、個人の資質がむき出しに問われる。エーリヒ・クライバーの息子カルロス、アルヴィート・ヤンソンスの息子マリス、あるいは母方の姓を名乗った、アノーソフの息子ロジェストヴェンスキー、マルケヴィッチの息子カエターニなど、息子たちはみな自身の実力で地位を得ている。

 エストニア出身の指揮者ネーメ・ヤルヴィの二人の息子たち、パーヴォとクリスチャンも、やはり自らの音楽性を頼りに活動の場を拡げつつある。ただ、ヤルヴィ家が他の「父子鷹」指揮者たちとちょっと違うのは、父も現役で、息子たちに負けじとばかりの健在を示していることだ。こういうケースは珍しく、また微笑ましい。それぞれのさらなる活躍を祈ろう。
 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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