音楽コラム「Classicのススメ」


2005年06月①/第11回 みんなが宇宙に興奮したころ

 近頃は、人類がかつて月に行ったことを、信じていない若者もいるとか。

 あれはNASAの壮大なまやかしだったと主張する人さえいる。しかし私は、当時小学1年生だった自分が1969年7月20日のアポロ11号月面着陸の日に味わった、あの興奮が嘘だったとはとても思えない、とだけはいえる。

 それは「科学の勝利」だった。その興奮がどれほどのものだったかは、持ち帰られた「月の石」が、翌年の大阪万博のアメリカ館の展示物になって、数時間待ちの行列ができた(ただの小さな石を観るために!)という事実でもわかるだろう。

 さて、それから約1か月後のこと。ロンドンでは41歳のコリン・デイヴィスが、ホルストの組曲《惑星》を指揮していた。

 この曲は、ホルストが占星術からイメージを得て書いたものだった。しかしこの1970年前後から、宇宙時代(当時はそう信じられた)にふさわしい音楽として、作曲家が予想もしなかったような形での人気を得はじめる。その曲を、ビーチャムやボールトたちの世代以来、イギリスに久々に出現した俊英指揮者が指揮したのだ(彼がこの曲を指揮するのは、このときが生涯初めてだったという)。それは新時代の幕開けにふさわしい、若々しい活力にあふれた演奏だった。

 ところが不思議なことに、デイヴィスはこの《惑星》をなかなかレコード録音せず、1988年になってやっと録音した。なぜためらったのか、わからない。私が思うに、《惑星》の本質は宇宙時代にはないと、彼は考えたのかも知れない。その興奮がおさまるまで、待ったのかも知れない。

 しかし、若きデイヴィスによる《惑星》は、たとえ「時代の勘違い」が生んだものだったとしても、熱く、とても魅力的である。その火照りを、6月5日の放送でお楽しみあれ。
 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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