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音楽コラム「Classicのススメ」


2005年09月①/第18回 若き日のムーティ

 リッカルド・ムーティが足かけ19年間も務めたミラノ・スカラ座の音楽監督を辞任したのは、今年の2月のことだ。

就任時45歳だった彼も、今年で64歳になる。色々と無念の思いもあるだろうが、陰謀渦まく歌劇場という伏魔殿に、20年近くも君臨できたことの方が、オペラの歴史の中ではむしろ奇跡に近い(メトロポリタン歌劇場で32年間も君臨するレヴァインは、例外中の例外というべきである)。

 ムーティの次の活動がどのようなものになるのか、まだはっきりしないが、不断の緊張から久しぶりに解放されたのだから、しばらくは気楽にやってほしいものだと思う。小澤征爾に声をかけられて東京の「オペラの森」に参加したり、ウィーン・フィルの日本公演に帯同したりなど、日本との関係もさらに強まるかもしれない。

 正直いって、ここ10年ほどのムーティの音楽にはあまりに遊びがなく、きつすぎて聴き疲れがした。ミラノ・スカラ座の舞台は緊張感に満ちていなければならないと、ムーティ自身が自分を追いこんでいるような印象があった。スカラ座へ行く前、1970年代にフィレンツェを拠点に指揮していたときの方が、彼の指揮するオペラには自然な活力と熱気が感じられた。

 忘れてしまいがちだが、ムーティは生まれも育ちも南国ナポリなのである。しかし19歳でミラノのヴェルディ音楽院に入学して以後は、彼の音楽活動から故郷ナポリは抜け落ち、北イタリアがその舞台となってきた。特にミラノ・スカラ座は、彼の南方性を奪い、北イタリア生まれの人間以上に厳格であることを、彼に求めたように思えてならない。9月4日と11日のBBC Concertでは、スカラ座へ行く前の、1978年と80年のムーティの演奏をお送りする。現在のムーティが取り戻すべき「熱血」が、そこにあるように思う。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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