音楽コラム「Classicのススメ」


2006年06月/第33回 ゲルギエフの《ボリス》初稿版

 サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場を率いるゲルギエフは、ムソルグスキーの傑作オペラ《ボリス・ゴドゥノフ》の全曲を、1997年にCDで商業録音している。


 2000年度の音楽之友社主催の「レコード・アカデミー賞」を受賞した名盤だが、この盤の特長は、その演奏の素晴らしさだけでなく、1869年版と1872年版という2つのヴァージョンを、ともに収録した点にあった。


 大ざっぱに言えば、後者の1872年版というのが、私たちのよく知っている《ボリス》の版である。それに対して1869年版というのは、ムソルグスキーが最初に書き上げた版だが、劇場側から上演を拒否されて、お蔵入りしてしまったものだ。


 拒否された理由の一つは、女声がほとんど出てこない男声ばかりの出演で、地味すぎるということだった。そこでムソルグスキーは華麗なポーランドの場面などを書き足し、公女マリーナの役を追加して1872年版とし、ようやく翌73年のサンクトペテルブルクでの初演にこぎつけた。


 こうして 1869年版の初稿は忘れられてしまったのだが、近年は主役ボリスのドラマに凝縮されたこの版が、次第に関心を集めるようになっている。その復活の最大の功労者が、CDや各地での上演を指揮したゲルギエフその人なのである。2003年には日本でも上演されたこの初稿版を、2002年プロムスの演奏会形式公演で聴いてみよう。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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