音楽コラム「Jazzのススメ」


2005年09月①/第18回 ライブの楽しみ方を教えよう

さて諸君、諸君はジャズのライブに行ったことがあるか。
行かれた方はわかるが、ライブは意外とむずかしい。

むずかしいのは演奏ではない。身の処し方である。演奏は動いている。スイングしている。じっとしているわけにはいかない。沈思黙考の士を決め込むわけにはいかない。
沈思黙考の士、彫像の王者で言えばマニアックなジャズ・ファンに勝るものはない。
ブルーノートやプレステージ、さらにはリバーサイドを語らせたら一時間でも二時間でも喋っている。
ブルーノートの『クール・ストラッライン』は1588番なんて、レコード全号まで知っている。

でもライブの乗りはからっきし駄目。0点。見るも無残に身動き不能。

さて、では、どうするか。

レコード鑑賞のジャズ喫茶ではとりあえずじっとしていれば格好がついた。
でもこれからはライブの時代。彼女に模範を示さなくてはいけない。
隣では彼女がリズムに合わせて手拍子など始めたら、キミの人生真っ暗だ。

さあ、どうする。

残酷な話のようだが、慣れるしかない。
何回も通うのだ。そして周囲を見渡して、見よう見まね、「乗り」の練習をする。
女性シンガーがバックの4ビートに合わせて指をパチン、パチンと打ち鳴らしたりする。格好よい。
パチン、パチンに合わせてキミも静かに音を出してみる。
そう、それがジャズの基本ビートだ。

ドラムのハイ・ハット・シンバルを聴くのもいい。「ンジャ、ンジャ」。
その「ジャ」の二拍、四拍のところでシンガーはパチン、パチンをやっているのだ。
手拍子もその二拍、四拍。
この手拍子がブルーノート派、プレステージ派にはむずかしい。そして恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。
私も最初「ジャズ、やめたい」と思うほどつらかった。
しかしやっているうちに慣れてくる。
だんだん快感に変わってくる。
バンドのリズムの一部を自分が担っているという風に感じたらしめたものだ。
もう、こっちのものだ。
キミはライブの王者だ。

さて、ライブは当然のことながらミュージシャンと聴衆の二組で成立している。
ミュージシャンというのは、一般的に我々聴衆が考える以上に気が弱いものである。
聴衆を意識している。
我々もミュージシャンを意識している。
両方で意識しちゃったら「すくみ合い」になって演奏会はしぼんでしまう。
どちらかが音頭をとるしかない。

先日ジャズ喫茶「メグ」で行われたスライデング・ハマーズのライブは、誠に殊勝なことに聴衆側が音頭をとった。
姉妹が店内に入ってくる。
その瞬間である。拍手と声援が涌いたのだ。どよめきが起こった。
これが姉妹に通じないはずがない。
初めて日本に来て、風変わりな店で演奏する。心中に不安がないわけはない。
思いがけず、温かい拍手で迎えられた。
これがプレイに貢献しないわけはない。

演奏とは何か。心の中の動きである。温かい時もあれば、冷たい時もある。心中の動きが指先に伝わって楽器が鳴ったり、鳴らなかったりする。
良い演奏になったり、ならなかったりするのだ。

その夜のスライデング・ハマーズ。
いやはや、もう最高でした。

アンコールを二曲やって、最后の一音が終わると姉妹は抱き合い、天井めがけて跳び上がったのだ。それでなくても190センチ近くもある二人、危うく当店の天井が損傷するところであった。

さて本日ご紹介の姉妹盤、スウエーデンで吹き込まれた最新盤である。
この中からの曲がライブで多数演奏された。
スピーカーで耳慣れた曲を実際にライブ会場で聴く。これが格別にいい塩梅である。想像が現実のものとなる瞬間である。
「ジ・オールド・カントリー」がどうなるか。私はカタズを飲んで見守った。

そうか、お姉さんのミミ・ハマーズはこんな表情で歌っていたのか。
すっかり合点がいって私は幸せだった。

「歌うトロンボーン奏者」で言うと、古くはジャック・ティーガーデンという人がいる。
妹さんのカリン・ハマーズが私淑するフランク・ロソリーノという人がいる。

しかし、今までのところ女性で吹き、歌いする人を私は知らない。
ミミ・ハマーズをもって史上初の歌う女性トロンボーン奏者としていいのではないか。
実に歌手ずれしていない歌い方である。舌足らずの唱法が可愛らしい。あどけない。
思わずかけ寄って肩を、と言いたいところだがチビの私では届かない。

口惜しいのである。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ