音楽コラム「Jazzのススメ」


2010年01月/第72回 集中と拡散

 

 ジャズ・ファンを乱暴に分けると二つのタイプに分類される。一極集中型と拡散型。

 横浜に柴田浩一さんという方がおられる。「横浜ジャズ・プロムナード」の立ち上げに参加し、現在はFM放送などに出演、ジャズの布教につとめている生粋の浜っ子三代目だ。この方なんかは集中型の大御所で主として40~50年代のデューク・エリントンくらいしか聴かない。エリントンやその一派についてはめったやたらに詳しいけれど、現代のピアノ・トリオなどについてはからきし駄目。ちんぷんかんぷん。

 この間柴田さんが冗談半分にこういう主旨のことを言った。

「あんたたちなんかは、わけのわからない新しいピアノ・トリオを紹介して、俺ってこんなのを知ってるんだぞと威張っているけど、そういう自慢もいい加減にせいよ。」

「違いますよ、柴田さん。私、いろんなジャズ聴くんですよ。エリントンだって時々聴くし、たまたま今はピアノ・トリオが多いだけなんですよ。」

 私は「拡散型」である。しかしどうやら柴田さん、私に対して腹にイチモツあり、そういう気配だった。

 いろいろ手を出さずに一人か二人のミュージシャンとその周辺をじっくり攻めろよ。それが正しいジャズ・ファンの生きる道だよ。そう言いたかったのかもしれない。

 よくわかる。私もそういう生き方にあこがれたこともある。カウント・ベイシー一筋、ジョン・コルトレーン一筋でアメリカの田舎まで墓参りに行ってしまう人も知っている。偉いなあ、凄いなあ、と心底思う。俺には出来ないなと、中途半端な自分を情けなく思うこともある。

しかし一方で、彼らの知らない新しいピアノ・トリオに接して「うーん、いいなあ」と彼らの味わえない幸せを味わったりもする。

 まあ、ジャズ・ファンそれぞれ。両者共存。そういう結論なのだが、ちょっと待ってくれ。私にも「この一人」というミュージシャンがいたぞ。

ミッシェル・サルダビーである。エリントンやベイシーに比べ少々の、いや圧倒的な小粒感は否めない。しかし山椒は小粒でもなんとやら。このピアニスト、ぴりっと辛いのである。辛いけど甘い。甘いけど辛い。そのへんの演奏ニュアンスのブレンドぶりが抜群で思わず私、全サルダビー盤を集めてしまった。全部と言っても10枚かそこいら。枚数が少ないから大きな顔が出来ないのがつらい。

そこへゆくとエリントンは何百枚である。おかげで柴田浩一さんは「デューク・エリントン」 という分厚い単行本を書き上げた(2008年、愛育社判)。渾身の一冊だ。


寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ