音楽コラム「Jazzのススメ」


2006年11月/第34回 息なCD

今、この世で一番つらく厳しい仕事は何か、ご存知か。
息である。息の検査。そう、交通検問所に居並ぶ警察官の方たち。
いや、ご苦労様。大変です。察するに余りある。

息を吸わされたるだけでも嫌なのに、お願いして息を吹きかけてもらわなくてはならない。

一台や二台ならともかく、見渡せば果てしなく列を作って検問を待つ車、また車。

ため息の一つや二つ当然出るが、しかし嫌な顔は見せられない。

笑顔を作ってドライバーの口に顔を近付けなければならないつらさ。

電車の中で隣りのバカ親父にアクビの息を吸わされその日一日不愉快な私などとてもじゃないが勤まる仕事ではない。
いや、本当に。頭が下がります。

一方、楽ではないのはドライバーのほうも同じである。

喜んで吹きかける人など倒錯者以外いないだろう。

急に思い出したりする。

今朝、オレ何食ったっけ?あっ、いけねぇ。納豆だ。薬味ネギをどっさり入れたよなぁ。

うら若い女性だっているだろう。中にはハンサムな警官だっているだろう。
どう考えても恋が芽生えるというシチュエーションではない。
女性はリステリンを用意するだろう。
リステリンが車の必需品になる昨今である。
これは何もかも、ごく一部の飲酒運転常習者のせいである。
憎むべきそうした輩。

さて、息を吸いたい女性がいる。本日のボーカリスト、ジューン・モンハイトである。

私はジューン・モンハイトの歌う「ベサメ・ムーチョ」を聴いてボーカルの奥義がわかった。

究極、そして最高のボーカルとは聴いていて、ああこの人の息を目一杯嗅ぎたい、吸いたい。そう願わせるボーカリストである。

これまで私はいろいろな女性のボーカルを聴いてきた。しかし、本日この人ほど息について思考愚考したことはなかった。

ジューン・モンハイト。若く美しいボーカリスト。まことに活きのいい、そして息のいいボーカリストである。

このCDについて説明しよう。ジューン・モンハイトをたっぷり吸えると思ったら大間違い。たったの一曲だけ。それが「ベサメ・ムーチョ」なのだが、唯一の一曲というのが泣かせる。まさしく一曲入魂を地で行っているのだ。

リーダーはギターのフランク・ビノーラ。コリーダーにドラムのジョー・アショーネ。このドラマーは近頃ヴィーナス・レーベルから頻発されているピアニスト、エディ・ヒギンズのリズムの根底を支えている人。

そのギター・カルテットに何人かのゲストが参加している。なんと、ドクター・ジョンやマントラのジャニス・シゲール、それに本日のヒロイン、ジューン・モンハイトというわけだ。

そして、それぞれ各人が一曲づつ歌っているという珠玉の一曲。

私はこういう贅沢な作りのCDを歓迎する。ギター・カルテットだけで10何曲もやられたら、さすがにうっとおしい。

一曲に福がある。

実に息な、いや、粋なはからいのCDである。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ