音楽コラム「Jazzのススメ」


2008年04月/第51回 (続)素人衆の底力

前回の「素人衆の底力」。その続きのような形になる。

実は私、読んですぐに捨てられる小冊子のような雑誌が好きなのだが、それはそこで頭の中に侵入した知識なり情報をすぐにうっちゃれるからだ。いつまでもつまらんことを頭に係留するのを好まぬ。しかし今月読んだ「青春と読書」の花村萬月の一文は頭にとまった。骨っぽい文体を操るこのぴかぴか頭作家はそこである音楽好きの作家をくさしている。引用すると長くなるのではしょるが、彼、その作家先生と論争のあげくに「論理的に論破できるのだがそういうことに淫していると、この人と同じように音楽を耳でなく知識で語るという無ざまなことになりかねないので俺はリタイヤした。」

当然のごとく私が痛快さを感じたのは『音楽を耳ではなく知識で・・・』のくだりである。無ざま、ねえ。無ざまとは凄いねえ。こてんぱんではないか。完ぷなきまでに、とはこのことだ。

話は突然変わって、さるジャズ・クラブでの出来ごと。

中年の女性が多く在席する。ビギナーの方がほとんど。そこで私は2枚のCDをかけたのである。

曲は「ルビーとパール」。ビギナーのかたは比聴をとくに好む。曲を憶えられるし雰囲気がすぐに伝わるからである。2曲をかけ終え、さて、どちらがお好きですか、と。

これほど差が開くとは思わなかった。

大抵の比聴は半々くらいに別れるものだ。この場合はウェイン・ショーターが圧倒的だった。ほとんど全員という感じだった。ウェインといってもウェインなど彼女らは知らぬ。ウェインといえばジョン・ウェインなのである。

一方のブルーノート盤。こちらに挙手した3人程の男性はけっこうなジャズ・マニアだった。私の察するところブルーノート盤というご威光に負けたらしい。ウェインはウェインでもビー・ジェイ盤だし、初期もいいとこ、オカルトのウェインになる前の並のウェインじゃあ大したことなかろう。このように踏んだに違いないのだ。

私はといえばもちろん、ウェインに圧倒的な勝利の一票を入れる者である。

このJ・リビングストンという人の書いた「ルビーとパール」。

目に入れても痛くない曲でジューイッシュの哀しい旋律が胸に突きささって痛いけれども痛さがたまらなく快感なのである。その痛さとか快感、もっと言うと喜怒哀楽の感情をこれでもかと表現したのがウェイン・ショーターのテナー・サックスだった。

それにご婦人方は深く共鳴したのである。耳、つまり、心。

ワン・ホーンは心で2管は機械、は言い過ぎだがジャズは心が感じられるジャズが1位で2位、3位はない。

さて、私は論旨を鮮明にするためにややオーバーな書き方をした。

しかし昨今、私など井戸からはい上がって周囲を見まわすとジャズ知識派の人々のなんと絶望的に少なくなったことよ。変わって耳で聴く人たちのなんとたくさん増えたことよ。

そのことに驚くのである。知識階級の没落と感覚派の台頭。

今後両者のへだたりは間違いなくもっと大きくなってゆくだろう。

その推移、ことの顛末をしっかり見届けるため私はあと10年石にかじりついても生きてゆきたいと思っているのだ。見ものである。いや、絶景かな、である。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ