音楽コラム「Jazzのススメ」


2008年07月/第54回 男は黙ってゴリソリ・テナー

 

ジョン・コルトレーンが苦手である。

コルトレーンはジャズの偉人中の偉人であり、私はこういう人をキライだと言える自分を大したものだと思う。蛮勇をふるえる自分が嬉しい。

苦手な理由を言わなくてはいけない。

私は音楽というのは、本来歌い上げるものだと思っている。しかし、この人は「歌い下げる」のである。下げるから、自然と聴いている自分の心も下がってゆく。私は気持ちを下げるために音楽を聴いているのではない。

それから音である。この人のテナー・サックスは、テナー・サックスらしい音がしない。テナーより一音域上のアルトのような音がする。妙に甲高くて聴いていてイライラする。テナーでアルトのような音を出す。彼はこのことを『ジャズの改革』と勘違いしているのだ。改革は悪いことではないが、その結果が問題で聴き手に心地よい感情を与えて、初めて改革は成功なのである。それにジャズのミュージシャンは本来改革者ではない。演奏者である。

もう一つ。ソロが長い。20分も30分も延々ソロを吹き続けて床がツバでベトベトになったらしい。ライヴでは面白いかもしれないけど、普通の人はそんなに長く神経を集中して聴けるものではない。本当に集中して聴けるのは、せいぜい3分か4分ぐらいなものである。

さて、このようにして私はコルトレーンが苦手なのだが、先日、秋葉原の高級オーディオ・ショップ「レフィーノ・アンド・アネーロ」で行われた「PCMジャズ喫茶」公開録音で、1人の男性の方がコルトレーンの『バラード』を持ってこられた。

私は、参ったなと思ったが、ちょうど手許に同じテナー・サックスのハリー・アレンのCDがあった。

よし、比較してみよう。頭の中のゴー・サイン・ランプが点滅したのである。

コルトレーンとハリー・アレンを同じ土俵にのせる。同等に扱う。あまつさえハリー・アレンを上に見た言い方をする。

これ、蛮勇である。天にツバする行為である。岩浪洋三さんなど呆れてものが言えないといった風情。口をあんぐり開けている。

かけた曲は上に出ているジャケットの中の「マイ・フーリッシュ・ハート」である。

こうした腹の底から歌い上げて聴き手を感動させる曲を、コルトレーンは絶対取り上げない。歌い上げられないからである。

さて、会場のアバンギャルドのスピーカーで2曲かかって、私は見物にいらした会場の老若男女の皆さんに訊いてみた。

「どちらがお好きですか?」

挙手していただいた。驚いたことに3割、いや、私には5割くらいに見えたが、そのくらいの人たちがハリー・アレンに手を挙げたのである。

音である。音。

ハリー・アレンのテナーの音色。いやまあよくもここまでテナー・サックスらしい音が出現したものだ。よくぞここまでテナーの音をえぐり、精分を抽出拡大して録音できたものだ。最高だ。

会場の方はジャズ・ファンというよりオーディオ・ファンの方が多かった。だからこそ白い耳で両者を比較できたのである。先入観なしの胸のすくような快挙。

スピリチュアルならコルトレーンだろう。

しかし、音なら文句なし、男は黙って低音声帯、ゴリッ、ゾリッのハリー・アレンなのである。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ