第22回 「音楽の母」って?
ハーモニカもリコーダーも不得手な私にとって、小学校と中学校の「音楽」の時間は、すべての学校生活の中でいちばん憂鬱な部分だった。高校に入ると多少気楽になり、さらに3年になると受験体制なのか、ついに「音楽」がなくなった。
私がクラシックを猛然と聴き出したのは、その高3のときからである。やらされる、聴かされる「音楽」がなくなって初めて、自由意志で聴きたい、と思ったのだ。気がつけば、クラシックに関連する仕事で生活しているのだから、不思議なものだ。
さて、そんな憂鬱な「音楽」の時間、テスト用に暗記させられた教科書には、古今の大作曲家が年表式に並べられ、それぞれに称号みたいなものがつけられていた。ベートーヴェンは「楽聖」、大バッハは「音楽の父」といった具合である。
その中で異様だったのが、ヘンデルの「音楽の母」だった。長いカツラをかぶっているけれど、女性ではないヘンデルがなぜ「母」なのか。単純にバッハと対にするためにつけられたもので、深い意味などないのだろう。バッハを「音楽の父」として、それ以前のイタリア・フランスのバロック音楽の優れた作曲家たちを無視していることは、以前のドイツ絶対主義的な歴史観によるものだ。そしてヘンデルが並べられたのは、彼が一応ドイツ生れだったから――音楽家人生の大半はイギリスにいたのだが――というだけのことに違いない。
《メサイア》以外には、そんないい加減な印象だったヘンデル。ところが近年、そのオペラやオラトリオへの関心と人気が、日本でも急速に高まってきた。そこで11月6日のBBC Concertでは、現在ミュンヘンやザルツブルクで活躍中のイギリス人ボルトンの指揮で、ヘンデルのオラトリオ《復活》をお送りする。ベテラン、カークビーの存在も魅力的だ。
山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963生まれ。「レコード芸術」を始め、音楽雑誌、CDのライナーなどで活躍中。クラシックの演奏史の中に現代を位置づける活動を行っている。最近特に海外盤に目立ついわゆる「ヒストリカルもの」(放送局のライブ音源をCD化したものやSPやLPの時代の録音のCD化)には滅法強い。
山崎浩太郎のはんぶるオンライン
