123chTHE 青春歌謡【Premium】

オリジナル盤でたどる昭和流行歌史


(土)21:00~22:00
再放送=(日)17:00~18:00
オリジナル盤でたどる昭和流行歌史
オリジナル盤でたどる昭和流行歌史
オリジナル盤でたどる昭和流行歌史
篠田寛一
1925年に始まった昭和は63年間にわたってさまざまな世相を反映した名曲を生み出してきた。その多くはSPを含むレコード。この番組では、昭和に生まれた名曲名盤をすべてオリジナル盤で聴くという企画。当時のイコライジング再生カーブに対応したヴィンテージの真空管アンプをスタジオに持ち込み、こだわりのオーディオ再生で「オリジナルの音」を追求します。出演はオーディオ評論家で昭和流行歌のコレクター、研究者でもある篠田寛一氏。歌をうみだした文化や時代背景にも言及します。

8月5日/非戦時色のヒット流行歌 その2
 昭和12年(1937)7月7日、盧溝橋事件(北京郊外の盧溝橋で日本、中国両軍との間で偶発的に発生した発砲事件 ) に端を発した日中戦争が勃発。以来、日本は昭和20年(1945)8月15日までの8年あまり、暗い戦争の時代に突入する。歌の世界もこうした時局に敏感に反応し、「露営の歌」、「愛国行進曲」、「皇国の母」、「父よあなたは強かった」などの戦時歌謡が数多く世に出るが、その一方で戦時色のまったくない歌もヒットしている。昭和流行歌史に残る名曲の数々。今回は、昭和12年のヒット流行歌を中心に紹介する。

8月12日・19日/江利チエミと雪村いづみ~よきライバル
 戦後間もなく放送を開始した米軍の極東放送FEN(現、AFN)などを通して、欧米の新しいポップスが人々の耳に入るようになり、池真理子の「ボタンとリボン」をはじめとするカバーポップスのヒット作がいくつも生まれた。それから数年後に現れたのは、ポップスが得意な少女歌手、江利チエミと雪村いづみ。奇しくも同い年、互いに切磋琢磨しながらカバーポップスという新ジャンルを切り開いていく二人の代表作を聴く。

8月26日/大阪万博のころの歌 その1
 昭和45年(1970)のメインイベントは日本万国博覧会(通称、大阪万博)。大阪の千里丘陵を会場に、3月15日~9月13日までの183日間にわたって盛大に開催された。参加77カ国、入場者6421万人、197億円もの黒字を計上したイベントである。当時は、経済も成長を続け、昭和44年(1969)に経済企画庁(現、内閣府)はGNP(国民総生産)は世界第2位(自由世界で)を達成と発表した。一方で、経済成長の負の部分といえる公害問題がクローズアップされるようになってきたのもこの頃。今回から3回にわたって、昭和45年~46年(1970~71)に流行った歌を聴く。(篠田)

8月5日の曲目 12日の曲目 19日の曲目 26日の曲目
※オンエア曲リストは放送後2週間を経過すると削除されます。ご了承ください。
篠田寛一

出演:篠田寛一

オーディオ評論家。昭和流行歌のコレクター、研究者。

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7月29日/非戦時色のヒット流行歌
 昭和12年(1937)7月7日、盧溝橋事件(北京郊外の盧溝橋で日本、中国両軍との間で偶発的に発生した発砲事件 ) に端を発した日中戦争が勃発。以来、日本は昭和20年(1945)8月15日までの8年あまり、暗い戦争の時代に突入する。歌の世界もこうした時局に敏感に反応し、「露営の歌」、「愛国行進曲」、「皇国の母」、「父よあなたは強かった」などの戦時歌謡が数多く世に出るが、その一方で戦時色のまったくない歌もヒットしている。昭和流行歌史に残る名曲の数々。今回は、昭和12年のヒット流行歌を中心に紹介する。

7月1日・8日/ザ・ピーナッツのヒットパレード
 昭和32年(1957)の暮れ、NHKが東京でFMの実験放送を開始。その翌年は、日本初の民間FM局、FM東海(現、東京FM)も、東京で実験放送をはじめた。FM(Frequency Modulation)放送は、それまでのAM(Amplitude Modulation)放送に比べ格段に音質がいいことから、特に音楽・オーディオファンの注目を集めた。この動きは、現在の衛星デジタル音楽放送につながる高音質放送時代の幕開けという画期的な出来事であったといえる。一方、音楽の世界では、アメリカやヨーロッパのポピュラーミュージックが続々と日本に流れ、ポップスの黄金期を迎える。誕生間もないFM局もそうした欧米のヒットポップスを盛んに放送していた。その頃の代表的なアーティストといえば、双子の女性デュオ、伊藤エミ(姉)、伊藤ユミ(妹)のザ・ピーナッツ。ポップス「可愛い花」をカバーしてデビューした、ふたりのヒット曲を紹介する。

7月15日・22日/テレビ放送が始まったころの歌
 昭和28年(1953) 2月1日のNHKに続き、8月28日に日本テレビも本放送を開始した。当時のテレビ受像機は14インチで17万円ほど。ちなみに、その頃の国家公務員(大卒)の初任給は7,600円で、庶民にとってはまさに高根の花の存在であった。また、映画「君の名は」のヒロイン、岸恵子扮する真知子がストールを頭からかぶるように巻いていた「真知子巻き」が若い女性の間で大流行したのもこの年のことである。昭和29年(1954)はテレビ中継によりプロレスの人気が急上昇。力道山の空手チョップが流行語になり、電気洗濯機が急速に普及した。そしてレコードの世界では、業界各社が進めていた、ワックス盤からテープレコーダーとラッカーマスターへの移行がほぼ完了したのもこのころの出来事。レコードの音質が一段とアップした時代である。2回にわたり、昭和28年~29年のヒット流行歌を聴く。(篠田)

7月1日の曲目 8日の曲目 15日の曲目 22日の曲目 29日の曲目
※オンエア曲リストは放送後2週間を経過すると削除されます。ご了承ください。
篠田寛一

出演:篠田寛一

オーディオ評論家。昭和流行歌のコレクター、研究者。

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6月3日・10日/植木等 大いに歌う
 昭和35年(1960)の暮れ、成立したばかりの第2次池田内閣は、誠に景気のいい「国民所得倍増計画」を閣議決定した。時あたかも高度経済成長期に入って6年目、景気上昇機運の高まりに加え、4年後にオリンピックの開催を控えていた世の中は、まさに〝行け行けドンドン"状態であった。選挙用に制作した自民党初のテレビCMの中で池田首相が「ウソは申しません」と公言したことも追い風になったのか、「給料が2倍になるってホントかな」と疑念を持っていた国民に「ひょっとしたら」の期待感を抱かせたのである。そんな時代、庶民の姿をいささかの皮肉を交えながら面白おかしく歌ったいわば“社会派コミックソング”が耳目を集めることになる。歌ったのは「無責任男」の異名をとる植木等。抜群の歌唱力とボードビリアンとしての非凡な才能を併せ持つ植木のヒット曲を聴く。

6月17日・24日/『もはや戦後ではない』といわれたころ
 昭和30年(1955)は、有史以来の大型景気といわれた“神武景気”の只中にあった。さらに、昭和31年(1956)年には、「もはや戦後ではない。今後の成長は近代化によって支えられる」との経済白書を経済企画庁が発表。「もはや戦後ではない」はこの年の流行語もなる。戦争終結から10年、住宅難は相変わらずであったが、衣食は足りていた。「衣食足りて礼節を知る」という諺があるが、当時の日本は「衣食足りて電化製品」だったようで、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が「三種の神器」とマスコミで喧伝され、これら電化製品の普及に弾みがついた。そんな昭和30年~31年に流行った歌を聴く。

6月3日の曲目 10日の曲目 17日の曲目 24日の曲目
※オンエア曲リストは放送後2週間を経過すると削除されます。ご了承ください。
篠田寛一

出演:篠田寛一

オーディオ評論家。昭和流行歌のコレクター、研究者。