コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

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第116回/やばいカートリッジ、ベンツ・マイクロ/SLR Gullwing [鈴木裕]

 ベンツ・マイクロのSLR Gullwingを買ってしまった。まさか自分がこの値段のカートリッジを使うことになるとは。以下、そのいきさつなどを。
 2015年12月にクズマのアナログプレーヤー、STABI S COMPLETE SYSTEMⅡ(スタビ・エス・コンプリート・システム・ツー)を購入。いろいろとセッティングして、オーディオアクセサリー類も投入。カートリッジはデノンのDL-103FLを使ってきてこのカートリッジに不満はなかった。1994年の限定モデルで、ケースの材質はセラミックファイバー強化樹脂だ。メーカーの説明を引用すると「不要な振動を抑え、ハイスピードで滑らかな再生音を実現」。発電コイルには、6Nの銅線に金をコーティングした金クラッド銅線を採用。「金と銅の素材の良さを兼ね備え、エネルギッシュで情感豊かなアナログサウンドを実現」と説明。

 まとめると、ハイスピードで、滑らかで、エネルギッシュで、情感豊か。どんな音なんだと突っ込みが入りそうだが、けっこう好きな音で、ちょっと線は細いのだがバランス良く、低域のレンジの広さや解像度も満足してきた。

 ただし、高級カートリッジの持つ情報量とか表現力の深さも仕事柄知ってはいるので、せっかくクズマを使いだした以上、いずれはいいのを使いたいとは思ってきた。2004年に聴いた時の衝撃が大きかった(実際の製品発表は2003年)マイソニック・ラボに向かう気持ちもあったのだが、現在新品で買えるマイソニックは一番安いEminent GLでも35万円。この値段のものを買うのならということで、候補を広げていった先にあったのがベンツ・マイクロだ。 

アナログプレーヤー全景。
現在の状態。ターンテーブルシートの一番上は、オヤイデのMJ12。これには4種類のバージョンがあり、これはⅠ型の後期型。ちなみに以前の赤いのは、Ⅰ型の前期型のスペシャルバージョン。


プラッターとターンテーブルシート。
左上が純正のプラッターでアルミ製に布のシートが接着してある。その上に砲金の3mm厚のものを載せ、次にオヤイデのブチルゴムのBR-ONE、そしてカーボンの0.5mm厚が来て、レコード盤面と接するのがMJ12。



ベンツマイクロSLR Gullwing。クルマ好きの人からすると、300Lとか、SLS AMGとかSLRマクラーレンを連想させる名前。オフィッシャルには一切関係ないことになっている。

 ベンツ・マイクロはスイスのメーカーで創設者はエルンスト・ベンツ。念のため、ドイツのクルマメーカーのメルセデス・ベンツとは関係ない。エルンスト亡き後は、アルベルト・ルカシェクが代表になっている。MC用フォノイコライザー、PP1/T1を開発した人だ。つまりもともとは社員で、技術者の一人ということになる。ベンツ・マイクロというと基本は情報量の多い現代的な音で、昔、ルビー(というカートリッジ。その一番新しい型が後述するRUBY Z)を聴いて感激した覚えもある。個人的には低域のいいメーカーというイメージがあった。

 ベンツ・マイクロの中でも最初はWOOD SL(20万円)か、そのプライアーウッドのケースを取り外したようなGLIDER SL(16万5千円)にしようかと考えていた。そして、その上級グレードのものがRUBY Z(42万円)で、そのゼブラウッドのケースを取り外したような存在が購入したSLR Gullwing(36万円)だ。そもそもGLIDER SLやSLR Gullwingがケースを持たない構造だったのも大きく惹かれた理由だ。


 クズマはキャビネットを持たないプレーヤーだ。キャビネットには良くも悪くも、大なり小なり響きが存在するが、そもそもそういった物体が存在しないのだから響きようがない。ケースを持たないカートリッジも同様で、付帯音の出る割合はとても低い。それは元の音に辿り着くための近道のように思えた。ただし、この構造が変なハマリ方をすると、味もそっけもない音になってしまう可能性もある。

 ただし、ケースを持たないGlider SLとSLR Gullwingの間にはボディの材質が、アルミと24kゴールドの違いとか、周波数特性の広さとかインピーダンスとかいろいろな差異があるわけだが、SLR Gullwingに大きく惹かれたのは写真で見てもわかるように特大のネオジウムマグネットを搭載している点だ。このため重量としてはRUBY Zの10.7gに対してSLR Gullwingはウッドのケースを取り外しているのに12.2gもある。ケースなしのGlider SLが6.8gで、これと比較してしまうと79%ほども重くなっているという計算だ。

 カートリッジとしては巨大な磁石を持つSLR Gullwingに、ふたつの理由で惹かれた。そのネオジの登載位置からして低重心な点が1番目の理由。2番目は無駄に磁石がデカイというのが個人的に大好きだから。いや失礼、無駄じゃないとは思うが。

 1番目の理由について短くまとめると、1点支持方式のトーンアームには低重心のカートリッジの方が音がいい、というのがいろいろとやった結論のひとつだ。イメージとしてはスタイラスが音ミゾの左右の壁に沿って反応良く追従している時には、カートリッジ自体(もちろんトーンアーム)も左右へミクロ単位で振られているはずだが、低重心の方が直立への復元が速いからと考えた。

一点支持方式のトーンアームにとっての低重心のカートリッジ。一点支持方式では、左右(アジマス)方向にカートリッジ自体が動く。それはごくごくわずかだが、その時の角速度は低重心のものの方が速い

 別の言い方をすると、スタイラスの一点にカートリッジの重さが集中しつつ、アジマス方向への角速度が速くなるはず。魅惑のイラストを見ていただきたいが、高めの重心のものと比較すると一点支持方式トーンアームには特に優位性があるのがわかってもらえると思う。このあたり、オートバイのロードレーサーの運動性能の考え方から来ている。


デノンDL-103FLを装着したところ。いろいろやった結果、ボルトは長めのチタンで、真鍮製のナットを2個使いすることになった。ダブルナットによるゆるみ止めではなく、重心位置を下げるため。 

 その結論に至った経緯を具体的に書くと、デノンのDL-103FLを使って、そのヘッドシェルと締結するボルトについていろいろ試したことによって導かれた。ボルトは、デノン付属のアルミ製、クズマ付属のステンレス製、山本音響の真鍮製とチタン製を試していって、音の密度が高く、低音がいいチタン製ボルトに落ち着いた。ナットは山本音響の真鍮のものを使っている(出来れば、チタン製のナットも出してほしい)。

 次にやったのはボルトの向きで、ボルトが上側がいいのか下側がいいかだった。結論から言うと、写真のようにボルトが上側で、なおかつ真鍮のナットを2個使いしたセッティングに落ち着いた。もちろん、ボルトも長めのものを選択する。見た通りの低重心で、ナット1個より2個のが好きな音だった。であるならば、カートリッジ自体も低重心のがいいだろうと。

 その2の磁石のデカイのが好きという話は、90年代に遡る。イスラエルのスピーカーユニットメーカー、モレルというのがあって、そのカーオーディオ用のユニットがマクロムだった(現在のマクロムとは別会社)。その超弩級のツイーターがマクロム57.16だ。重量1.2kgだが、そのほとんどはフェライト磁石で、こんなに磁気回路の磁石は大きいのにボイスコイルの深さは3mmくらいしかない。無駄の塊のような構造だが音は実に魅力的で、エネルギッシュで生々しい音。ディナウディオの超弩級ツイーターのESOTAR T330Dと人気を二分していたものだ。

 もちろん、磁石がデカイということは強力な磁気回路にもつながり、音ミゾの振動から発電するというカートリッジの本性にとってマイナスなはずがない。クルマで言うと、エンジンが強力すぎて3速でもホイールスピンするACコブラのようなものかもしれない。過剰なものには特有の魅力がある。

過剰な磁石のマクロム57.16。下の円筒の内部はほぼすべてフェライトのマグネットだったツイーター。 これの音が良かった。ちなみにフランジは後のモレル/スープリーモのものが装着されている。

 とにかく購入した。ここまで考えてきたらもう収まらんだろう。下に記すように試聴できる個体もないし、こんなもんエイッと買うしかない。

 実際に使いだしての感想。タイトルの「やばい」というのは決してツリではない。
 このSLR GullwingにもGLIDER SLにも針先を保護するカバーというものが存在しない。しかも本体からカンチレバーが飛び出している形状である。ブログなどでGLIDER SLの何人かのオーナーの方がカンチレバーの根本から折ってしまったことを書かれているし、インポーターのユキムでもSLR Gullwingの試聴用個体はどこかの編集部に針先を折られてしまったそうで、試聴できる個体がない。まず、取扱い注意。

 しかもこの大きさのネオジなので当然磁力がかなり強く、オーバーハング等のセッティングをするためにスピンドルの近くにカートリッジを近づけていったら、いきなり強力な磁力によってスピンドルにカートリッジが持っていかれて激突しそうになった。肝を冷やしたのは言うまでもない。冗談抜きで危ない。

 ま、そんなことはいい。注意すればいいのだし、折ったら泣けばいい。そんなことよりも問題は音がやばいことだ。時間が許す限りアナログレコードを聴いていたいと思わせる魔性がある。あれも聴き直したい、これも鳴らしたい。優れたオーディオ製品は少なからずその属性を持っているが、こんなに何百回も聴いているレコードから新しい音を聴かせてもらえるのも珍しい。音もそうなのだが、そもそも細いスタイラスでラインコンタクト針なので、音ミゾと接触している位置や面積が違うらしく、針先にこれまで経験したことのないような微粒子のカスが溜まるのも興味津々である。レコードの音ミゾからすると、今までトレースされていない部位を触られている感覚なんだと思う。

 今までもハイフェッツのヴァイオリンは凄いと思ってきたが、まさに天馬空を駆けるが如き高音で、これほどのトランジェントと切れ込みと倍音がこのレコードに入っていたかと愕然とする。中学2年生の時から聴いているブーレーズ/クリーブランドの『春の祭典』(1969年録音)も、あらためてそういうことだったかと納得することしきり。パートごとの音が分離して前後に見えてくるし、そのひとつひとつの演奏者の生気がこれほど感じられてしまうのも凄い。よく聴く井上陽水の『東京ワシントンクラブ』のライブ盤でも、音が小さくまとまらず、騒然という言葉を使いたいほどのエネルギーが迸り、ドラムとベースの根性の入った音がグイグイ炸裂する。元の音がツマラなくてもいい音で聴かせようというカートリッジじゃないが、ミュージシャンがいいとそれが生々しく表現されてしまう感覚がある。

 DL-103FLからSLR Gullwingに換えただけなので、トーン的にちょっといじりたい部分も感じてはいるが、そんなことよりももっとレコードを聴いていたい。しかし欲望の赴くままに聴き続けていると仕事がおざなりになるのは必定である。魔性の女にやつれていく男のように、理性的社会的な何かが溶解していく。そういう意味でもやばいカートリッジであり、アナログプレーヤーなのだ。

(2016年4月28日更新) 第115回に戻る 第117回に進む 

鈴木裕

鈴木裕(すずきゆたか)

1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。

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