コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

<雑誌に書かせてもらえない、ここだけのオーディオ・トピックス>

ミュージックバード出演中の3名のオーディオ評論家が綴るオーディオ的視点コラム! バックナンバー


第119回/ラヴェルを聴くということ。[鈴木裕]

 モーリス・ラヴェルの管弦楽曲が個人的に大好きである。理由はシンプルだ。生演奏はもちろん、それらのいい録音を聴くと生理的に気持ちいいから。頭の中がきれいになったり、脳が溶解したり,さまざまな色彩に満たされていくような快楽とか愉悦がある。

 思いだしてほしいのは「ボレロ」という曲の成り立ちだ。ふたつのメロディだけが楽器を変え、編成を変え、盛り上がっていって、そしてちょっと展開してカタルシスを迎え、いきなり終わるという構成。こんな曲、大胆にして細密なオーケストレーションを書けなかったら成立しない。そう考えると方法が似ていると言われるショスタコーヴィチの第7交響曲の1楽章、レニングラード市街地の攻防戦を描いた部分にしても、レスピーギの『ローマの松』の「アッピア街道の松」にしても、他の要素をずいぶん加えているのがわかる。10分以上をかけてクレッシェンドする形式以前に、純粋さという意味で真似することすらできないような気がする。


モーリス・ラヴェル(1875年-1937年)

 「ボレロ」をオーディオでうまく鳴らすための、オーディオに求められる要素を考えてみよう。
 まずダイナミックレンジの広さ。これはわかりやすいだろう。ピアノシモからフォルティッシモまでのクレッシェンド自体がボレロの本質である。ピアニッシモの部分で何をやっているかが聞こえず、フォルティッシモでちゃんと盛り上がれないと再生としては台無しだ。パワーアンプにそれなりの出力が必要だし、スピーカーもある程度の大音量で飽和しない能力が求められる。

 また、単に大きな音というよりも、最低域のレンジが広く、そのタイミングが合っている必要もある。出来のいいサブウーファーをきちんとセッティングした時のように、ちょっと聴くと低音として認識されないような低音の重要さだ。これがスケール感や臨場感につながる。

 それとも関係するが、音のガッツ感、馬力感も必要だ。オーディオ用語としては定着していないが、おぼっちゃんな音ではボレロのフォルティシッモの感じが出ない。

 そして音色の厳密な再現性。各楽器の音や、その集合体としてのオーケストレーションの音色が出ないとつまらない。カラフルな色彩感という意味でも、微妙な部分での描き分け、階調表現(トーナル・フィデリティ)という意味でも必要だ。音の明るさ、暗さといった陰影の表現、あるいはコントラストの適切さもないと、モノトーンな再生になってしまう。

 解像度も必要だが(この話は後にして)、その要素とともに音のうねり、グルーヴ感みたいなものが出てこないと愉しくない。この部分はオーディオ的な項目に入れない人も多いかもしれないが、オーディオによってずいぶん左右されてしまう部分だ。いいオーディオには演奏のタイム感とかグルーヴ感を表現する力がある。

 解像度ということで「ボレロ」を離れるが、バレエ音楽「ダフニスとクロエ」の第3部「夜明け」(あるいはこの曲の「第2組曲」の冒頭、というとわかりやすいかもしれない)の、木管楽器とハープがきらめき、明滅しながら、そこにゆったりとした低弦のメロディが乗り、という部分の描写。この部分もオーディオにとってなかなか手強い部分だ。分解能は必要で、各楽器の細かいフレーズを聞き分けられると、より愉しめる部分だが、たぶん指揮者としては溶け合った音として聴かせたいのだろう。さらにオーケストラの面、ステージ上に位置していて、奥になるにしたがってすこしずつ上がってくる、そういう面が見えないと音場感というか、音像の並びとして成立しない。

 そしてさらにそうした要素に加えて、グランカッサのフォルティッシモの要素が加わってくるのが、「ラ・ヴァルス」だ。
 ラヴェルはこの曲についてこう書いている。「渦巻く雲間から、ワルツを踊る人々が見える。次第に雲が晴れていく、華やかなホールいっぱいに踊る人たちが見える。場面はだんだんと明るくなり、シャンデリアの光が燦然と輝く。1855年ごろの宮廷である」(以上、ベイヌム指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団『ドビュッシー&ラヴェル:管弦楽曲集』キングPROC-1939のライナーノーツの、松沢憲氏の解説から引用)。


1994年録音のブーレーズ指揮ベルリンフィルのラヴェル。
この「ラ・ヴァルス」の邪悪度が高い。

たしかに前半はそうしたイメージを持った曲だ。後半についてはラヴェルは言及していない。個人的に持っているイメージとしては、後半はそこに邪悪なものが攻撃をしかけて来て、美しく雅びなウィンナワルツの世界が崩壊していく、というものだ。この曲は1920年に完成しているが、もしかしたら第一次世界大戦が反映されているのかもしれない。1917年のラヴェルの実の母の死を受けて、この時計職人(ストラヴィンスキーの言葉)のような緻密な頭脳がダメージを受けたのかもしれない。いずれにしろ、この邪悪なものを象徴しているように感じるのがグランカッサだ。

 知っている限り、この邪悪なグランカッサの「邪悪度」が一番高いのがブーレーズ指揮ベルリンフィルの1994年の録音だ。またぞろブーレーズである。

そう言えば、このコラムの「第107回/ブレーズは死んだ」で書き忘れたが、1996年、スピーカーとバワーアンプをいっしょに購入しようとした時に、ラックマンの1000W(4Ω)のパワーアンプ、B-1を気絶させたのが、このブーレーズ/ベルリンフィルの「ラ・ヴァルス」のグランカッサだった。たしかに冒頭、低弦のピアニッシモから始まる曲で、聴きだしてちょっとボリュームを上げすぎたかなとは思ったが、グランカッサのフォルティッシモであっけなく保護回路が働き、電源が落ちた。この曲を試聴に使わなければ、B-1を購入していたかもしれないと思うと、不思議な因縁さえ感じる。結局、その時にちょうど入荷したばかりのクレルのFPBM300を聴いて購入する運びになり、のちにさらにパワーの大きいFPBM600に買い換えていくことになるのだが。その転機になったのが「ラ・ヴァルス」 だったのだ。

 さて、現状、うちのオーディオでは上記の要素はだいたいクリアしている。ちょっとパワーアンプの出力が足りないきらいはあるが、その範囲内でならグランカッサも立ち上がっている。番組でも言ったが、最近はリオネル・ブランギエ指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の『ラヴェル:管弦楽曲全集』(ユニバーサル UCCG-1737/40)がお気に入りだが、ブーレーズの90年代の2回目のもけっこういける。いや、実は我慢できなくて、ブーレーズのコロムビア時代の67枚のボックスセットを購入してしまって、まだまだ10枚くらいしか聴けていないのが、これがまたけっこう録音もいいし演奏としてはこちらのが鋭いのではないかというのもあっていろいろと考えさせられる。


ブランギエ指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の『ラヴェル:管弦楽曲全集』。
4枚組だが、カラフルに色分けされている。 


TACET(タチェット)レーベルの内周からかけていくLP。カートリッジの位置はボレロの序盤。



CBS,コロムビア時代のブーレーズBOX。
ラヴェルは6枚ある。


 あと、ドイツのタチェットレーベルのLPで、A面が『ボレロ』、B面が『ラ・ヴァルス』というのがある。「play backwards!」」と表記されているが、内側からかけていって、もっとも音量的に盛り上がる終結部は外側の、一番音がいい部分で終わるレコードだ。うちのプリアンプはA/Dコンバーターを積んでいるため入力インジケーターがあって、各レコードのカッティングレベルを把握することが出来るが、国内の安全運転しているカッティングよりも、少なくとも10dBは大きいレベルが刻み込まれている。そのトランジェントの凄さ。

 以上、ラヴェルとオーディオのよもやま話みたいになってしまったが、オーディオの状態がいいと、ラヴェルの快楽はより強いものになるという確信に至った。

(2016年5月31日更新) 第118回に戻る 第120回に進む

鈴木裕

鈴木裕(すずきゆたか)

1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。

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