コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

<雑誌に書かせてもらえない、ここだけのオーディオ・トピックス>

ミュージックバード出演中の3名のオーディオ評論家が綴るオーディオ的視点コラム! バックナンバー

第155回/かまやつさんのこと [鈴木裕]






 2017年3月1日に亡くなったムッシュかまやつさんのことを書いておきたい。
 2007年4月から2017年3月いっぱいまで、JFNのFMラジオ番組『LEGENDS ムッシュかまやつ Keep On Running』の出演者とディレクターという関係で仕事をさせてもらって来たということもあるし、収録後によく飲みに連れていってもらった。期間としては丸10年間。番組の本数としては201回分の番組を制作してきた。放送関係者が見ると数が合わないと思う方もいると思うので説明しておくと、最初の2年間は週に一回の放送で105回分。残りの8年間は月に一回の放送で96回分。合わせて201回。



お別れの会で。いい笑顔のムッシュ。(▲クリックで拡大)


 萩尾望都の『トーマの心臓』に、人は二度死ぬ、という言葉が出てくる。その人の死と、その人を知っている人の死。ムッシュは亡くなったが、ムッシュを知っている人の心の中ではムッシュは生きている、という意味だと思う。それでもこれほどまでに、亡くなった後もそのあたりに”いる”感じの人も珍しい。個人的な理由としてはムッシュが亡くなった後に制作したレギュラー番組の最終回や、こんど6月8日の深夜(つまり、6/9のロックの日の早朝)の特別番組を制作するために、収録したままの音源(しゃべりだけで、音楽などが入っていないもの)の大部分が残っていて、そのナレーションを聞いては、編集しているからかもしれない。

 ヒズ・マスター・ヴォイス、である。犬(ニッパー)が蓄音機から流れてくる主人の声を聞いているというビクターのトレードマークだ。ある意味、あれがオーディオの原点とも感じる。ドリス・デイも美空ひばりも歌を聴いている瞬間、そこにいる。そこにいるような体験をさせてくれる。絵画や小説もそうかもしれないが、音楽は録音されることによって作者や演奏者の寿命以上の何かを手に入れられる。それを安っぽく「永遠」と呼ぶつもりはないが、19世紀終わりから録音されてきている音源については30世紀にも100世紀にもきっと聴けてしまうのだ。これって凄いことなのかもしれない。







お別れの会で展示してあったムッシュの愛用のギターたち

 音楽はもちろんだが、その人のしゃべりの録音からもいろんなものが見えてくる。その時のリズムやスピード感、体調、心の向いている方向。また、声だけでなく周囲のガヤといった要素も貴重だ。録音メディアの技術レベル、というと堅いが、たとえば太平洋戦争の終わりの天皇による玉音放送など、あのSP盤のノイズを含めての意味があるんじゃないだろうか。

 ムッシュの声は、基本的にはスタジオでのものだが、一部、病室で収録したものもあるし、10年の間にも、年齢とか、その時々でのノリとか、体調とか、そんなさまざまなものがリアルに収録されている。


 かまやつさんの人柄について、自分なりに感じたところを記しておきたい。
やさしい人で、怒ったところを見たことがない。楽しいことが好きで、そのためには存分なエネルギーを使うことを惜しまなかった。晩年まで朝まで起きていて、音楽を聴いたりテレビを見たりしていたのはティーンネイジャーのようだったが、一方、成熟した人柄でその人づきあいのうまさや心遣いには何度も感心させられた。

 基本的にとても頭のいい、ご本人の言葉を使えば「めぐりのいい」人で、たとえば構成作家と作った番組の内容で3つのパートで20分かけて導いていくような結論に、しゃべり出して2分で到達する、というようなこともよくあった。こんな言い方をすると失礼になるが、自分なりの言い方や表現といった意味での”いい言葉”をたくさん持っていて、本を読んだり、よくものを考えていらしたのだと思う。しゃべりの編集でも、「え~」とか「なんだったか、ほら、あれあれ」といった部分を取り除いていくと、見事に整った文章になっていて、あまり編集しすぎると読んだ感じになってしまう場合もあった。

 一方、ミュージシャン言葉というか、現在では一般化しているシーメー(飯)とか、トラ(エキストラ)とか、ピンコロ(演奏すること)といった言葉もよく使っていたし、お決まりのダジャレと言うか、イーデス・ハンソン(いいですよ)とかジョージ・ベンション(小用を足しにいく)といったことを思いだしていくとほっとした気持ちになっていく。

 いろいろな話をしていて感じたのは、やはり中心にあるのは音楽だった。ソングライティング、歌、ギター、プロデュースといった事柄だけでなく、ファッションやインタビューでの言葉、聴衆の代替行為としてギター破壊、フリ付けといった部分までを含めて、どう音楽を楽しく聴かせるか、あるいは新しい音楽を感じていくかといったことが中心にあった。

 本人は、太平洋戦争が終わって米軍の進駐軍放送から音楽を聴くようになったと語っていたが、そこでのポピュラー、カントリー、ジャズ。その後のロカビリー、ロックンロール、一人多重録音、ボッサノバ、フォーク、AOR、ロック、アシッドジャズといった音楽たちとの遍歴。番組をやっていた10年間で言うと、ブルース・ザ・ブッチャーとのブルース・ロックがあり、KenKenと山岸竜之介くんたちとのLIFE IS GROOVEというスピードファンクとの出会いもあった。




 ただし、これは自分の推測だが、ビートのフォーマットやサウンドと言うよりも、その時々で自分に一番しっくり来るグルーヴの音楽をやっていらっしゃったようにも感じている。グルーヴの快楽、という言葉も使っていたがあの独自でおしゃれなコード進行のギターとともに音楽の中核にあったのがグルーヴだったのだ。たぶん、それが変遷していったのだと思う。

 別の見方をすると「転がる石に苔むさず」という意味で、本質的にライク・ア・ローリング・ストーンな、本質的にロックン・ローラーだったんじゃなかろうか。ひとところに留まり、陳腐化し、ルーティンワークになり、単なるお仕事として退屈しながら音楽をやることは絶対に嫌だったんだと思う。

それはもう「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞そのものだった。必要がないのに、段取り上やらされてしまうリハーサルの時の、あの気の抜き方の見事なこと!



keep onと書かれたお皿


 2010年に本を出した時に「引き続き、やり続けてください」というアドバイスを頂いたこともあった。かまやつさん、ありがとうございました。keep onでやっていきます。

(2017年5月31日更新) 第154回に戻る 第156回に進む

鈴木裕

鈴木裕(すずきゆたか)

1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。

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