コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

<雑誌に書かせてもらえない、ここだけのオーディオ・トピックス>

ミュージックバード出演中の3名のオーディオ評論家が綴るオーディオ的視点コラム! バックナンバー


第158回/オーディオは淫らなもの、ということについて [鈴木裕]

 オーディオのことを勉強する、というと話は堅いがいろんな人から教えてもらっている。製品や出ている音自体によって学習することも多いが、たとえばサンバレーの大橋慎さんであったり、アキュフェーズの鈴木雅臣さんであったり、フィデリックスの中川伸さんといった方々との会話の中に、雑誌にも書籍にも書いていないような言葉があったり、気づかされたりする。ある時はパーツのこととか回路のことかもしれないし、ある時はオーディオの音についてかもしれないし、楽しみ方についてのこともある。もっとたくさんの方々の名前を挙げなければいけないところだが、ズラズラと100人くらいは列挙しそうなのでやめておこう。

音楽之友社の『レコード芸術』

 さて、そうした中の一人が『レコード芸術』の編集者の田中基裕さんかもしれない。番組にもゲスト出演してもらいたいのだが以前安原顕さんが亡くなった時に、「寺島靖国さんの番組に呼ばれて酷い目にあったので遠慮しときますよ(笑)」という返事で実現していない。そう書くと、安原さんや寺島さんの文章に時々ある「モトヒロが~」というのを思いだす方もいるかもしれない。

 鈴木裕も基裕さんもオーディオが好きで、好きが高じて仕事にしている部分が少なくないが、ミイラになったミイラ盗りどうし、なんとかして相手にオーディオを買わせようとしているフシがある。たしかに、以前使っていたハーベスのHL-P3ESRはそんな基裕さんの「そそのかし」の言葉もあって買ってしまった。と書くと、何やら被害者のようなニュアンスが漂ってしまうが、基裕さんの「おすすめ」の言葉もあって買うことができた、と書いてみるとこれまたちょっと上っ面な何かになってしまって気にくわない(笑)。そんなそそのかし合うような関係ではある。
音楽之友社の月刊誌『レコード芸術』に「俺のオーディオ」という、基裕さんが担当している企画がある。以前は、音楽評論家やオーディオ評論家、ライターなどが自分のオーディオ観や、自分が構築しているシステムについて開陳するような企画だったが、最近では「俺のオーディオ 物欲篇」というのになっている。自分が手に入れたオーディオ機器のことや、欲しいのに買えないオーディオのことを書くという内容だ。


マジコM3、正面からの立ち姿


800号での企画「人生の名録音-ベスト3」で挙げた3枚
 前者、つまり手に入れたオーディオ機器のことはいい。これはもう一点の曇りもなく、聴いた→いい→買った→満足、という話でスジが通っている。問題は、聴いた→いい→買えない→悶絶、という文章である。未練がましいというか、話がねじれているというか、心理学で言う「酸っぱいブドウの論理」になってしまってもいけないし書くのは大変だが、これがおもろい。たぶん、一番楽しんでいる読み手は担当編集者である基裕さん自身のような気がするが、その時々の書き手がそのオーディオのことをいいと思えば思うほど、買えなければ買えないほど、おもろいところがある。別の言い方をすると説得力が高い。

 その最新の記事は『レコード芸術』7月号、No.802に掲載されている。村井裕弥さんがデンテックRS-5について。そして自分はマジコM3について書いている。この自分の文章が書かれるにあたっての裏話を紹介しつつ、タイトルの件に辿り着いてみたい。

 そもそも最初は、『レコ芸』の800号(5月号)での「人生の名録音-ベスト3」の企画で、本題とは別にこんなことを書いてしまった。
 要約すると、マジコM3の試聴の時にブーレーズ指揮ベルリンフィルの93年録音のラヴェルの《ラ・ヴァルス》を聴いて、使っているうちのスピーカーを 「買い換えなければいけないかもという、漠とした予感(あるいは啓示か、不安かもしれない)を受けてしまった。」
と書いた。
 今見ると、見事に余計なことを記しているが、それくらい心にひっかかっていたのもまた事実で、良くも悪くも本当のことではある。

 その送った原稿に対して、基裕さんからのメールの返信の一部、 「気になるのが真事故3。アクシデントですね(笑)。そんなにいいのかー。ゴーされるんでしょうかね。気になります。」

 マジコのことを「真事故」。鈴木からの返信がこれ。

「かなり悪質な表記ですね(笑) 真実良かったです。エレクトリの試聴室で聴いたのですが、 (担当の)Sさんのセッティングもかなり気合が入っていてやられました。(中略) ただ、定価で1千万円強……」

 つまり、買えないと。その後、好きなスピーカーのことをいくつか書いて、さいごに、 「実は20年振りくらいで宝クジを3万円分も買ってしまいました(笑)。神さんよう見てはる、ですよ。ひとつも当たりませんでした。さすがです。こちらの浅はかさが見透かされています。」

  そこに食いついたのが基裕さん。返信のメール。

「こちらが考えていたより、ダメージ、深かったのですね(笑)。宝くじ3万円の話を原稿にしたら、Sさんが泣いて喜ぶくらい売れる気がするんだけどなあ(笑)。近いうち「俺のオーディオ 物欲篇」でお願いします。音質についてはステレオでお書きになられているでしょうから、その復習とその後日談で。もちろん口開けは、宝くじで。」

 まず宝くじの話題から入るようにという指示だ。書きにくかった(苦笑)。

 で、その『レコード芸術』7月号の「俺のオーディオ 物欲篇」になる。良かったら本屋で立ち読みしていただきたいところだが、その一部を引用してみよう。

 マジコM3は3ウェイのスピーカーで、ドライバーユニットとして6インチのミッドと7インチの3発のウーファーを持っているのだが、これらの振動板の素材やその造りについてこう書いている。

その時のエレクトリの試聴室の様子


気合の入ったセッティング


7月号の「俺のオーディオ 物欲篇」(▲クリックで拡大)

 「この振動板がもはや楽しい。ダイヤフラム自体が7層のストラクチャーを持っている。真ん中にあるのがロハセルフォームという硬質発泡体。その両側に超硬ナノテックカーボンファイバー織布が位置している。しかもこのカーボンファイバー織布の両面にはグラフェンが貼ってある。これで7層。薄いものを張り合わせた、テクスチャーのようなストラクチャーだ。採用した素材の中でグラフェンを説明しておこう。炭素原子とその結合からできたハニカム状の格子構造を持つ、炭素原子のシートだという。繰り返すが、原子のシートだ。原子のシート? 具体的には透明な膜のような極薄の素材なのに、引っ張り強度は鋼鉄の100倍あるという。このグラフェンを採用して適切な設計をした結果、従来モデルの振動板と比較して20%軽く、300%の剛性を達成しているという。何かの間違いのようだが3倍である。3倍がそんなにエライのかとも思うが聴くと屈伏する。」

 ここだけ読んでも良くわからないかもしれないが、もしかしたら全部読んでいただいてもわからなさの程度は変わらないかもしれない。その理由も自覚している。

 そもそも、普段だったら「構造」と書くところを「ストラクチャー」と表記しているのは、「テクスチャー」と韻を踏ませたいためで、7層の先進的な素材から編まれた綾(テクスチャー)が振動板の構造(ストラクチャー)になっているのにうっとりしているからだ。しかし、鈴木裕の素材や構造に対する興味が、それらに興味のない人からすると引くくらい強いという自覚はあり、だから、全体として興味を持ってもらえない文章かな、とは危惧している。鈴木裕、素材や構造についてフェティシズムなのだ。と、なると同好の士じゃないと共演を得られないだろう。それはセクシャルなものに限らない。

基裕さんからのメール。

「マジコ原稿、いただきました。ツルツルに磨き抜かれたマジコそのもののような原稿で、文物一体のような錯覚に陥りました。テクスチャーの紹介そのものがテクスチャーになっていて(笑)、男の物欲の本質的なタチの悪さを思い知ります。 これでなくては。 淫することの醍醐味が存分に伝わってまいります。」

 あまりしゃべったり書いたりしないが、自分の中の一番深いところではオーディオは感覚的なものと物性的なものの溶け合ったような存在に感じていて、そのことを基裕さんは「淫することの醍醐味」と言っているのだろう。淫らなものなのだ、オーディオは。それはセクシュアルなことと同じで、あまり大声で言うようなことでもないし、人に見せるものでもない。最終的にはごくごく個人的な営みだったりする。

 オーディオについて書く仕事をしているが、最終的に自分にとってオーディオって個人的だし、秘めやかだし、一対一の関係だと思っている。自分のオーディオがいい状態にある時には、ナチュラルに音楽と交じわえるし、音楽や演奏の愉悦(と言うのを、エクスタシーと言い換えるといいかもしれない)を感じる度合いが高くなる一方、オーディオ自体の存在感がなくなってくる。たぶん、自分とオーディオ的に気が合う人というのは、個人的で、秘めやかで、一対一の音を出せている人なんだと思う。それはスピーカーがいくらとかアンプがどのメーカーとか、そういうことじゃない。そういうことも大切だが、それらを乗り越えて、最終的にその人のエロさがどれくらいオーディオの音に反映されているか。あるいは、どれくらいオーディオの音そのものになっているか。そんな領域の話じゃないだろうか。

 オーディオは淫らなもの、と言うとなにか突拍子もないことを言い出しているようだが、自分の根っこのようなところにまで食い込んでいる感覚は間違いなくある。以前にも書いたが、聴覚や嗅覚の情報を処理するのは大脳の古皮質、いわゆるサカナの脳の部分だ。濁った水の中で生きるために発達したという。発達史で言うとその後に、皮膚感覚などを情報処理する両生類時代に発達した旧皮質。そして哺乳類になって発達した新皮質という順番だそうだが、オーディオの中核が音にあるということはオーディオを感じる一番根っこの何かは、生き物としてずいぶん深いところにあるのだろう。そういう根っこに響く音を出したいのだ。

(2017年6月30日更新) 第157回に戻る 第159回に進む 
鈴木裕

鈴木裕(すずきゆたか)

1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。

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