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コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

<雑誌に書かせてもらえない、ここだけのオーディオ・トピックス>

ミュージックバード出演中のオーディオ評論家が綴るオーディオ的視点コラム! バックナンバー


第270回/自作は"製作過程"こそ面白い![炭山アキラ]

 このところ、オーディオにおける"自作"という営為へ関して、その利害得失、コストとベネフィットの関係について、考えることが多くなっている。ほかでもない。当欄でも何度か報告している、音元出版オーディオアクセサリー誌が2度にわたって開催した、電源タップと電源ケーブルの「自作選手権」がその発端だ。
 誤解のないようにまず申し上げておくが、私自身「自作派オーディオライター」を自認していることもあり、自作は好きだし楽しみながらやっている。思えば、自作にうっかり手を出したのは、まだオーディオマニアとしてヒヨっ子もいいところの高校生時分だった。

 兄から譲り受けた大型のシステムコンポを、今から思えばまぁ稚拙なものだが、FM雑誌のオーディオ欄を熟読しつつ自分なりに使いこなし、いっぱしのオーディオマニアを気取り始めた頃、粗大ゴミの集積場で見つけた木製のキャビネットが、わが自作の原点となる。

 全体にきれいなライトブラウンの木目仕上げで、しっかりとしたベニヤ材のキャビだった。バッフルの中心にはφ16㎝くらいの丸穴が1個あけられており、バスレフダクトはなし、もっとも裏板がなくなっていたので、そこへ取り付けられていたのかもしれない。内容積はほぼ25リットル見当だったと記憶する。

 個人的に、中学生の頃から粗大ゴミ置き場にはお世話になっていた。当時は自転車、といっても乗るより組み立ての方へやたらと凝っていて、身長の伸びに伴って体に合わなくなりつつあった愛車へ、サビサビのボロボロながらより大きなフレームの個体を調達し、ダメになったパーツを前の車体から移植して、いわゆる「ニコイチ」を完成させたり、転んで変速機がダメになったらまたぞろ探しに行ったり、まぁいろいろやったものである。

 しかし、当時はなぜか2~3回も探せば欲しいパーツと巡り合うことが多かった。さすがにフレームを探したのは1年がかりだったが、それにしても大した"ヒット率"である。今みたいに粗大ゴミ回収が有料化されたり、リサイクル料金を支払って販売店へ引き取ってもらったりという制度がなく、集積場所へは膨大な量の粗大ゴミが毎回並んでいたから、あれだけ探せたのだろうなという気はする。いい時代に少年期を過ごせたものだと、これは真剣に感謝している。


これはダイヤトーンの16cmフルレンジP-610MA/MB用の純正キャビネットだが、大きさといいプロポーションといい色合いといい、少年時分に拾ったキャビとあんまりにも似ていたので驚いたものだ。もっとも本機はバスレフで、私の拾った箱は密閉だった。

自転車で転倒して壊した変速機(リア)は、やっぱり粗大ゴミの自転車から頂いてきた。ちょうど私が拾ったのと同じ製品(今はなき前田工業サンツアーの「スキッター」)画像がネット上にあったので拾わせてもらった。こんな簡素な作りながら、侮れない性能の変速機だったと記憶している。
 とまぁ、そんな「親しい場所」での邂逅だっただけに、もう見つけた瞬間に持って帰ることを決めたものの、当時の私はスピーカー自作などもちろんやったことがなく、関連書籍を読んだこともなかったから、まるでノウハウがない。それで、徒歩5分くらいの小さな公立図書館へ行ってみたら、おぉ、スピーカー工作のガイドブックがあるではないか! 今となっては書名も著者名も思い出せないが、図書館にあの本がなかったら果たして私は"次の一歩"を踏み出していただろうか。「そのうちどうにかしてやろう」と思いつつ、裏の抜けたキャビネットのみが部屋の片隅でアクビをしている、という状況になっていたような気もする。

 その本を、文字通り眼光紙背に徹する勢いで貪り読み、バッフルにあいていた穴の口径とも考え合わせて、「20cmフルレンジをマウントしよう」と決断した私は、早速電気パーツ屋へと向かった。1980年代初頭頃といえば、ピークこそとっくに過ぎ去っていたが、いまだオーディオ大ブームの残照が色濃く、生まれ育った兵庫県は神戸市にも、スピーカーユニットを小売りする販売店「せいでんパーツ」が三宮に存在した。同地にはオーディオを展示して試聴させてもらえる大規模電気店が複数あったし、繰り返しになるが、発芽したばかりのオーディオマニア少年にとって、本当にいい時代だったものである。

 店頭に、フルレンジ・ユニットは3種類展示されていた。ヤマハJA-2071、フォステクスFE204、コーラルFLAT8-IIである。何と店頭には120リットルの標準箱があり、聴き比べもさせてもらえた。JA-2071は確か1本3万円くらいもしたろうか。手持ち予算ではとても手が出ず、残り2本の勝負となったが、聴き比べたところFLAT8-IIの圧勝で、こちらを購入することとなる。

 その後の紆余曲折を経て、私は篤いフォステクス・ユーザーとなるのだが、ならばなぜ邂逅の時、フォステクスに惹かれることがなかったのか。今思えば簡単なことだが、FE204はもともとバックロードホーン(BH)にも使える尖ったスペックの持ち主で、120リットルの標準箱へ入れても魅力は全然発揮されなかったのであろう。一方、FLAT8-IIはスペックからしても明らかにFEよりも大型密閉箱(≒標準箱)との相性が良く、低域まで朗々と鳴ってくれた。つまり、その場での箱との相性がすべてだった、というわけだ。


フォステクスFE204。私が初めてスピーカー工作をやろうと思った時には、20cmのFEは203から204へモデルチェンジしていた。とはいっても、さほど大きく変わったわけではない。やはり駆動力が強く振動板が軽く低音が出にくく、BHで使ってやりたくなるユニットだった。
 考えてみれば、これはいささか危険なことといわざるを得ない。どんなユニットも標準箱へ取り付けて聴き比べてしまえば、その箱へ比較的適したユニットの方が勝つに決まっている。今でこそ、あんな巨大標準箱を用意して顧客に音を聴かせる店はほとんどなくなったが、それでも共通の箱へ取り付けて聴き比べることのできる店はまだまだある。今の私を含め、キャリアのあるスピーカー自作派なら、ユニットのカタログをざっと読んで特性を把握すれば、出てくる音との対比である程度の補正がかけられるだろうが、特にこれから自作をやってみようという人たちは、ぜひカタログの読み方をマスターしていただきたい。

 とはいっても、本稿で解説しようとすると大変な文字数がかかるから、ここでは1点だけ大切な目安を挙げておこう。それは「Q0」、もしくは「Qts」の値である。その両者はほぼ同じもので、前者がJIS、後者がT/S規格によって表記された数値だ。0.3よりも小さければそれはかなり小型のバスレフかBHに向き、0.5近辺なら密閉にもバスレフにも好適、0.7より大きくなればかなり巨大なキャビか平面バッフルが向くという、かなり大雑把だがそこそこ役に立つ指針である。


コーラルFLAT8-II。なかなか古めかしい御面相だが、音は陽性にポンポン飛び出す楽しいユニットだった。今はこういうキャラクターのユニットがなかなかなく、少々残念に思っている。
 120リットルの標準箱で生きいきと鳴り渡ったコーラルFLAT8-IIを意気揚々と買って帰った私は、そこから長い長い戦いを強いられることとなる。まず、バッフルにあいていた穴がFLAT8-IIに要するものより一回り小さかったものだから、粗末な糸鋸で3日ほどもかけて穴を広げ、借り出してきていた前述の手引書と首っ引きで、バッフルに穴をあけてバスレフ型に改造し、リアバッフルは自宅近くの材木屋で端材を安く譲ってもらい、錆び付いた鋸で自分で寸法に切って木工ボンドで接着、これでようやくユニットが取り付けられるようになったものだから、即座にユニットへ配線してバッフルへ取り付け、音を出した時の絶望感を、一体どう表現したらよいだろうか。顔からみるみる血の気が引いていくことが、自分でもはっきりと分かった。

 まず、ガサガサと汚く、解像度などまるで無きに等しい音だ。低域はほとんど出ず、声のファンダメンタル帯域が不自然に持ち上がって気持ち悪いこと甚だしい。とても聴くに堪えない音に、元の粗大ゴミ置き場へ戻してしまおうかとも考えたのだが、しかしそうするには小遣いをかなり注ぎ込んでしまったし、1週間以上の時間と情熱も費やしてしまっている。この貧乏性が、今に至る私の自作好きを決定づけたのだなと思う。本当に、一歩間違えばどうなっていたか分からない。

 このひどい音を何とかできないかと思えば、件の手引書に「吸音材の貼り方」が書いてあるではないか。早速「せいでんパーツ」を再び訪れてグラスウールを1袋購入、書いてある通りにまず裏板へ貼り、全然効果がなく次にサイド1面ずつ貼り、やはりまるで変わらないものだから天面と底面にも貼り付けて、なおほとんど変わらない。これが最後と半ば自棄になりつつフロントバッフル裏まで貼り込んだら、そこでストンと音質が整った。まるでキツネにつままれたような気分だったことを、今なおはっきりと記憶している。

 今思えば、音がまとまらなかった原因は明白だ。要は、キャビネット内容積が圧倒的に足りなかったのだ。改めてざっとスペックを参照してみたら、少なく見積もっても50リットルは欲しくなるユニットで、それを25リットルへ収めたのだから、そんなもの合うわけがない。もっとも、参照していた手引書を元に数値を出しても、もう忘却の彼方ながらおそらくはそれくらいの数値は出ていたはずだが、同時にその本へは「密閉に比べてバスレフはある程度内容積を自由にしてよい」とも書かれており、それを生合点して半分の大きさへ取り付けてしまった私の責任である。いってみれば、典型的なビギナーの失敗だ。


昔は「吸音材」といえばこれ、グラスウールが大定番だった。今思うと結構音がガシャガシャとして、決して高度なハイファイ用途には向かない素材だったような気がする。もっとも、現代の純白で非常にきめの細かいグラスウールは、かなりクセが抑えられているから結構使えるものではある。
 それでは、なぜ突然音がまとまったのか。一つには、吸音材を入れることでキャビ内の空気容量が仮想的に増えたのに近い結果になることが挙げられる。とても2倍と同等になるようなわけにはいかないが、それでもよりユニットの動作としては適正な空気容量に近付いていった、ということがいえるだろう。

 もう一つは、ひどい音ながらずっと音は鳴らしていて、吸音材を増やすごとにまた結構音楽を聴き、ということを繰り返していたせいで、ユニットのエージングが急速に進んだのであろう。自作スピーカー、なかんずくフルレンジ・ユニットは、概してエージングを終えるまではガサガサとひどく歪みっぽく、音がこなれるまではガマンして鳴らし続けなければならないのである。同時にキャビネットも、新しい裏板を取り付けてバスレフダクトを増設するなどしているものだから、こちらもいくらかはエージング効果があったに違いない。


左はAA誌で、右は番組で製作した電源タップだ。かかるコストはまるまる1ケタ違うが、まぁそれだけの品位の違いは聴き取ることができる。でも、廉価版だって結構使えるのは間違いない。ただの実験材料ではなく、結構広くお薦めできるものと自負している。
 そうやって苦心惨憺の結果、そこそこの音質で音楽を奏でるようになったわが(半)自作スピーカー1号機は、自分でも半年ほど楽しんだ後、友人の許へ旅立っていった。当時流行っていた大型ラジカセのスピーカー出力端子からつないだら、持ち前の高能率も相まってかなり元気な音が出たものだから、いっぺんに友人が笑顔になったし、その顔を見て私も本当にうれしかった。

 やれやれ、ほんの導入のつもりで書き始めたわが自作の第一歩が、ずいぶん長くなってしまった。こうやって、限られた知識と工具、そして技量で、迷走しつつも完成させたスピーカーは、かけたコストに見合うものだったか。労働時間まで含めば、そんなもの見合うわけがない。特に当時はまだまだオーディオがよく売れていた頃で、今思うと信じられないような価格で、結構使えるスピーカーが売られていたから、単純に高音質を求めるのであれば、買った方がずっと早かったし、安くもあったろう。

 しかし、大汗をかきながら作った"自分の"スピーカーから音が出て、時に絶望し、時に望みをつなぎながら、少しずつチューニングを進めていったあの作業は、私にとっては未知の扉を開ける行為にほかならず、とにかく楽しかった。ストンと音が落ち着いてしまい、「あ、これでもうやることはないんだ」と思った時の、安堵とともに訪れた一抹の寂しさは、また「次の製作」へ向かわせるに十分な動機付けにもなった。どこかのCMではないが、「モノよりノウハウ」という、今へ連続する私のオーディオ志向は、この時既に芽生えていたようである。そのノウハウを得るための作業まで含めて"趣味"と考えるなら、自作はとても楽しめるジャンルであることは間違いない。

 で、話は冒頭へ戻る。前号、前々号のオーディオアクセサリーで製作した電源タップと電源ケーブルは、各先生方の作例を見ていると、私の作品などごくごく簡素なもので、各氏が込められたノウハウと情熱がひしひしと伝わってくる。「皆さん、楽しんでおられるなぁ」と、私もうれしくなってくる。そういう意味では、やはり自作はオーディオになくてはならないジャンルだなと、強く再認識するところだ。

 唯一といってよい問題点は、やはりそれぞれの作品が結構高くついてしまったことであろう。特に昨今、電源周りは極めて優れたパーツがいくつもの社から発売されて妍を競っているが、やはり"最高"を目指すとなると、結構な金額のものを採用する必要が出てくる。

 もちろん、それは全然悪いことではない。好みのすれ違いがある程度あることを差し引いても、投資しただけ音質アップが見込めるというのは、オーディオ界としては健全な姿であろう。しかし、「ちょっとケーブルを作ってみたいな」とお思いの人にとっては、評論家が腕に撚りをかけて作り上げた"渾身の一作"ばかりでは、こちら側へ入ってくる敷居がいささか高くなりすぎるのではないか。

 そう考えて、私は「長岡流電源ケーブル」を提案した。これなら1本1万円を大きく下回るし、アモルメットコアを挿入するのにいささか苦労はしたが、そこ以外に製作の難しいところはない。あえていうなら、熱収縮チューブを熱するためのヒートガンが必要なくらいだが、それもライターで炙るなどすればできない作業ではない。各先生方の評価は決して高いものではなかったが、それは20年の歳月を経て、周辺のレベルが上がってしまったせいである。往年の長岡サウンドが出ることは私が保証しよう。

 もう一つ、コロナ自粛中に自宅で収録した「オーディオ実験工房」で、ホームセンターにある資材類で作った電源タップの音を聴いてもらったが、あの「徐々に資材を変えていって音の違いを確かめる」という営為こそ、自作の醍醐味なのではないかと感じている。私はもう何度となく通ってきた道なので、このたびの収録でも作業をしながら録っていったが、あれは本来なら"種明かし"的に皆さんへ聴いてもらうより、同じような部材を買い込まれて、皆さんにも追体験をしてもらいたい、という希望から製作した1時間だった。

 少年時分のあの楽し苦しかったチューニング作業は、今のわがスピーカー工作へのノウハウとして、得難い財産となっている。「どうすればどうなる」というのを座学で吸収するより、実際に現物でやってみた方が理解は遥かに深まるものだ。皆さんもぜひ「実験の楽しみ」を味わってみてほしいと、心から願うところだ。


(2020年10月9日更新) 第269回に戻る 第271回に進む 
炭山アキラ

炭山アキラ(すみやまあきら)

昭和39年、兵庫県神戸市生まれ。高校の頃からオーディオにハマり、とりわけ長岡鉄男氏のスピーカー工作と江川三郎氏のアナログ対策に深く傾倒する。そんな秋葉原をうろつくオーディオオタクがオーディオ雑誌へバイトとして潜り込み、いつの間にか編集者として長岡氏を担当、氏の没後「書いてくれる人がいなくなったから」あわててライターとなり、現在へ至る。小学校の頃からヘタクソながらいまだ続けているユーフォニアム吹きでもある。

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