コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

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第298回/YouTubeの撮影をするために仙台と一関へ行った6月[田中伊佐資]

●6月×日/全国の中古レコード店で、盤を物色し購入するまでの一部始終を収めたYouTube「Record Shopパタパタ漫遊録」はまだしぶとく続いている。

 6月は仙台を訪れることになった。
 というのも、制作元である交換針メーカーのJICOが、一関のジャズ喫茶「ベイシー」へ行くことになっていて、道すがら寄ってみますかということでそういう成り行きになったのである。

 ベイシーでは、店主の菅原正二さんが監修したシュアV15 TYPE III用の交換針を発売したことで、プロモーション用の映像を撮る。僕は関係ないので、のんびり傍観を決め込んでいたら、話の聞き手になってくださいと、引っ張り出されることになった。

 それはともかくとして、レコード店は老舗ということもあり「仙台レコード・ライブラリー」を訪れることにした。

「仙台レコード・ライブラリー」の在庫レコード。店独自の番号で管理されている
 店は静かなオフィスビルのなかに構えていて、表に看板がなければ本当にここかと勘ぐりたくなる感じだ。
 エントランスから真っ直ぐにのびる廊下の突き当たりまで歩き、恐る恐るドアを開けるといきなりバックヤードの膨大なストックが目に飛び込んできた。レコードはもとより飲食や販売店すらないビルなので、その大きなギャップでウハッとなる。

ジャズがブルーのインデックス、クラシックが緑のインデックスで整理されている「仙台レコード・ライブラリー」

 店頭の在庫はクラシックとジャズに大別されていて、それらはほぼ輸入盤だ。オリジナル盤も当たり前にようにわんさかある。
 そのYouTubeは、2つのサイコロを振って目の和に千円をかけた数字が予算となり、その範囲内で僕が買い物をしていく。
 ただし、次の店に移動しなければならないとか、長居してほかのお客さんの迷惑になってもいけないとかの理由で、だらだらと選んでいるわけにはいかない。しかも予算ギリギリまで使い果たしたい。悩まずに買い物をするのは結構しんどい。

 仙台レコード・ライブラリーでは、サイコロは3と5が出た。予算8000円だ。こういう場合、5000円くらいの盤が1枚見つかると展開がとても楽になる。後は2000円台1枚に絞って目星をつければいい。

 ところが、2000円クラスの好盤がとんとん拍子で何枚も見つかってしまうことがある。その予算なら4枚前後になるだろうか。1000円代を含めて合計5、6枚を見つけて、そのなかでうまく帳尻が合う組み合わせを考えていく。
 自分の懐を痛めるわけではないから「そういえば、これ聴きたかったなあ」くらいの軽い理由で、選択するとしたら楽だ。

 しかし、誰でもそうだろうが「物欲」というものが、そこに大きく横たわっている。当たり前だが「買うだけで満足して、家ではたぶん聴かねーだろうなあ」というものは欲しくない。撮影用でレコードを買いたくない。

 そこで店主から内容を聞いたり試聴したりしながら、当たりを付けていく。そのうち全体の目鼻がついてきて「よし、あと1000円分買えるゾ。なんか格安盤ないかなあ」と粘って探していると、そういう時に限って、たとえば今回の予算で言うなら、6000円クラスの以前から欲しかった大物がひょっこり顔出したりする。

 そうなると厄介だ。これまで苦労して積み上げてきた組み合わせが崩壊し、振りだしに戻る。まさに幸福の地雷を踏んでしまったことになる。
 見なかったことにして収録を円滑に進めるのが、プロなのだろうが、物欲まみれのアマはそんなことできやしない。だからいつも「早くしてください」とADから巻きが入る。

 せわしく探していても、容赦なくカメラは回っている。なにかコメントしなければならない。
「ベイシー」店内に掲げられたアリア集のジャケット

 考えてみて欲しいが、中古レコード店は、直感と知識を研ぎ澄ませて、買うか買わないのかの一点にひたすら集中する精神道場である。誰かと話なんかしたくないし、ましてや実況レポートなんてとんでもない。もうこれでいいやと買い物に妥協すればいいのだが、物欲はそれを許さない。
 今回の「仙台レコード・ライブラリー」でいえば、良盤が多く出てきて、前述のように小刻みに割り当てる流れになった。どの盤も手堅く、これで終了としてもなんら問題はないのだが、だがどうも決定打に欠けている感があった。

 いつものように、時間的なリミットが否応なしに迫ってきて、嫌なワキ汗がじんわりと出てくる。物欲の疼きってのはほんと困ったもんで、一発大逆転を狙おうと、幸福の地雷を自ら踏みに行った。
 エレナ・スリオティスなる歌い手も知らなきゃ、曲も知らない。この美人となら心中してもいい、そんなつもりでレコードを選んだ。要するにジャケ買いだ。
 試聴してみるとその音楽はこれまで募っていた焦燥感を見事に洗い流してくれる安息の音楽だった。決まり。それは僕が生まれて初めて買うオペラのアリア集だった。

 その翌日「ベイシー」へ行き、なんとなく座がほぐれたところで「オペラなんですけど、ほんの数分でいいのでかけてもらえないでしょうか」と菅原さんにお願いした。
 菅原さんはジャケを眺めて、内容を知ってか知らずか「おっ」と発し、レコードを持ってガラス張りのオーディオブースのなかに消えた。
 結局、数分どころか片面全部をかけてくれた。店主は定位置でそれとじっと聴き入っていた。ベイシーで聴くオペラもまたジャズと同様格別の音だ。すったもんだしただけに僕の感激はひとしおだった。

(2021年7月20日更新) 第297回に戻る 第299回に進む

田中伊佐資

田中伊佐資(たなかいさし)

東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。近著は『大判 音の見える部屋 私のオーディオ人生譚』(音楽之友社)。ほか『ヴィニジャン レコード・オーディオの私的な壺』『ジャズと喫茶とオーディオ』『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。 Twitter 

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