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コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

<雑誌に書かせてもらえない、ここだけのオーディオ・トピックス>

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第302回/ブーレーズは生き続けている[鈴木裕]

 このコラムの弟107回「ブーレーズは死んだ」(2016年1月29日更新)の内容の続編です。その時のタイトルは、逆説的に「ブーレーズは生き続けている」という意味をこめていたのだが、あれから5年たってますますその印象が強くなってきた。

 まずはブーレーズの名前を冠したホールが2017年に出来た。
 ピエール・ブーレーズ・ザールはドイツ連邦共和国の首都ベルリンにある室内楽用ホールだ。ベルリン国立オペラ劇場の裏手に位置する建物自体は、元々は倉庫だそうで、中世ヨーロッパのような外観を持つ大き目の建物。内部はなかなかユニークな造りになっていて、音響的にも興味深いシステムをもっている(詳しくはこちら)。

 そのブーレーズゆかりのホールで収録されたのが、ミヒャエル・ヴェンデベルク(ピアノ)他による『ブーレーズ:ピアノ作品全集』だ(Tokyo M-Plus Bastille Musique OBM 016)。帯に書いてあるコピーを引用させてもらうと「初稿や異稿、未完成作品も含めて初の完全収録を果たしたブーレーズのピアノ作品全集!」。CD2枚組だが、ボール紙の生成りの質感を活かした箱入りであり、ライナーノートの他、写真、譜面、ポートレイト等々、充実した付録もいい。作り手の想いを感じさせる。

 演奏自体は、洗練されつつも作品への強い共感を持っている。録音も出来がいいもので、演奏そのものと対峙できる。ペダルの最低域の作動音やフレーム自体の唸りのような成分から高域の倍音まで素直に捉えられているという意味ではオーディオ好きの方にも推薦しておこう。鮮度感高く、構築されていく音の綾(テクスチャー)を見事に補足しているため、ブーレーズのこれらの曲の音楽自体の造形や構造がよく聞こえてくる。論理性が音の快楽に昇華しているような演奏であり音楽で、とても気持ち良くなれる。

『ブーレーズ:ピアノ作品全集』に入っている付録のひとつ、ブーレーズのポートレイト。 ピエール・ブーレーズ・ザールの内部。ザールはドイツ語で、ホールの意味。

 さて、話は遡る。
 1925年生まれのブーレーズの指揮活動は、1946年にルノー・バロー劇団の音楽監督になった頃から始まり、54年に自身が創設したアンサンブル・ドメーヌ・ミュジカル、58年からの南西ドイツ放送交響楽団での活動とつながっていく。そして象徴的に成功した録音が1969年のクリーヴランド管弦楽団との『ストラヴィンスキー:春の祭典』だった。自分はそれを74年頃、中学2年生の時に聴いて、ある人にとってはレッド・ツェッペリンを、ある人にとってはヴェンチャーズを聴いてカラダに電気が走ったように、自分はブーレーズ/クリーヴランドの《ハルサイ》を聴いて何かのスイッチが入った。

IRCAM(イルカム。フランス国立音響音楽研究所)の入っているジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター。念のため、工事中ではない。 『ブーレーズ:ピアノ作品全集』の箱の中に入っているもの。あと、別項の譜面の写真。(※画像をクリック)

 そこから3~4年たって、高校2年生(1977年)になる頃に伝わってきたニュースが、ブーレーズがIRCAM(イルカム。フランス国立音響音楽研究所)を設立し、その初代の所長に。さらにそのレジデント・アンサンブルであり、現代音楽に特化した室内オーケストラ団体、アンサンブル・アンテルコンタンポランを創設するという話題だった。
 そのニュースを知った時に学校で友達と話したことを良く覚えているが、「ブーレーズが所長になっちゃうんだって」「指揮はあまりやらなくなるのかな」「う~ん、どうだろ」「ま、やるべきレパートリーもけっこうやり切った感じだからね」とわかったような顔をして会話したものだ。生意気盛りのセブンティーンでしたからね。ただし、収録からレコード発売まで、当時は1~2年かかるのは普通だったわけで、おかげでブーレーズのCBS時代の後半の録音を高校3年生の終りまでリアルタイムで体験できたのだった(ちなみにここでの会話の相手は同級生の佐藤康くんで、後に1995年の”ブーレーズ・フェスティバル”のサントリーホールで偶然出会うことになるのだが。「佐藤康 フランス ドラマツルギー」あたりで検索してもらうと、彼の著作とかプロフィールが出てくるはず)。

 大学生になるとオーケストラ部に入り、勉強しているか、ヴァイオリンを個人練習しているか、オーケストラで弾いてるか(総合練習は週に3回、月、水、金の夜だった)。クラシック音楽は録音を聴くものというより、(かなり偉そうで恐縮ですが)演奏するものだったし、オーケストラ部の部室に来ている各大学のオケからの定期演奏会の招待状を奪取してはあちこちのコンサートに行っていた(たしか3年間で200くらいは行った記憶)。その後、社会人になり、ラジオ番組の制作を始め、同じ頃に筑波サーキットを走るようになり、というなかなか理解してもらいにくい9年間の経歴があり、最後にオートバイのロードレース、全日本選手権のGP250クラスに出場したのが1992年9月。その暮れには池袋にあったオーディオショップ、イケオンの試聴会に通い出した。鈴木裕における、第二期オーディオ時代の始まりだった。

 それとタイミングを合わせるかのように、1992年にIRCAM所長を辞任し、名誉所長になったブーレーズ。レコード会社もオーディエンスも待っていたんだと思う。いきなり指揮活動が活発化した。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団等の定期演奏会で指揮しつつ、グラモフォンから新譜が続々と登場した。以前にも書いたようにそもそも演奏自体の音が良く、それを録音したタイトルの多くが優秀録音盤になってしまうブーレーズの一連の指揮もの。自分のオーディオ時代の復活に合わせてくれたかのように、録音を通して再びブーレーズとの浅からぬ関係が始まったのだった。

 そして時制はいきなり直近に。
 2021年8月の終り、”サントリーホール サマーフェスティバル 2021"の開催に合わせてアンサンブル・アンテルコンタンポランが来日した。こんな時期なので家に籠もっていようかとも思ったのだけど、どうやら会場の席がけっこう空いているという。ブーレーズに恩義のある自分としてはちょっと空席の責任も感じて、とりあえず8月24日の大ホールでのコンサートに行ってきた。

 プログラムは以下(当日、曲順が変更された)。
 ・ヘルムート・ラッヘンマン:『動き(硬直の前の)』 アンサンブルのための (1983/84)
 ・ピエール・ブーレーズ:『メモリアル(…爆発的・固定的…オリジネル)』 ソロ・フルートと8つの楽器のための (1985)(フルートソロはソフィー・シェリエ)
 ・マーク・アンドレ:『裂け目[リス]1』 アンサンブルのための (2015~17/19)
 ・ジェルジュ・リゲティ:ピアノ協奏曲 (1985~88)(ピアノソロは永野英樹)
          (休憩)
 ・マティアス・ピンチャー:『初めに[ベレシート]』 大アンサンブルのための (2013)

 演奏はマティアス・ピンチャー指揮 アンサンブル・アンテルコンタンポラン。
 聴いた感想を短めに書くと、特に1、3曲目のラッヘンマンとマーク・アンドレの曲が印象的で、ごくごく小音量の音がたくさん使われていた。具体的に書くと、木管楽器で、キーを操作して楽器の穴をふさいだりする音はするけれど吹かないパタパタといった音とか、リードの部分を外したクラリネットに息を吹き入れているフーっといった風の成分とか、弦を撫でるだけとか。そういった”気配”みたいな音も含む緻密なオーケストレーションで、下に塗った色が透ける透明の水彩絵の具を使った絵画のように、薄いベールが重なるような響きがとても美しい。

『ブーレーズ:ピアノ作品全集』の箱の中に入っている譜面の写真。 サントリーホールの入り口付近にあった本日のコンサートのご案内。タイトルが長い。
「サントリーホール サマーフェスティバル 2021 ザ・プロデューサー・シリーズ アンサンブル・アンテルコンタンポランがひらく ~パリ発 - 「新しい」音楽の先駆者たちの世界~ コンテンポラリー・クラシックス」


 また指揮を見ている限り、ラッヘンマンの曲は特に指揮が難しそうだった。四分音符が二分音符に変わったり八分音符に変わったり、もちろんそれが変拍子としてどんどん変化しつつも、アッチェレかかったりルバートしたりの変化が多く、なおかつポリリズムみたいな要素もあるので振り間違えないのだけでも大変そう。しかし、ピンチャーの中でちゃんと音楽が生理的に鳴っており、音楽が生き物のように表情を変えていく。さすが、「第二のブーレーズ」と呼ばれることもある人だ。ドイツ系ユダヤ人の作曲家であり指揮者だが、コンサート後半の自作曲も独自の重さや暗さがあって魅力的だった。

 ブーレーズの曲は、ソロ・フルートと6人による弦五部、そして、その後ろの左右にホルンを一人ずつ配置。フルートのソフィー・シェリエがきわめて達者で、息をするようにごくごく自然にソロパートを吹いていく。全体としてはなつかしいというか、ほっとする曲調。演奏がこなれていることもある。さすがコンテンポラリー・クラシックスだ。

 リゲティも指揮者のマティアス・ピンチャーの曲も聴き応えがあって、さすがに現代音楽の分野のエキスパートたちの演奏技術や音楽の理解力の高さから来る精緻な演奏が絶品だった。贅沢なものを聴かせてもらってる感じ。ウィーンフィルがウィンナワルツをやっている時のような”本場モノを聴く愉悦”。アンテルコンテンポランのメンバーの出身地はさまざまな国のようだし、指揮者は上記の通りなのに、どこかフランスの瀟洒な感じとか色彩感を持っているのはブーレーズによって創設された、という出自があるのだろう。

今回のサマーフェスティバル 2021のプログラムは115ページあり、内容はかなり充実している。その中から、音楽監督 マティアス・ピンチャーが指揮しているアンサンブル・アンテルコンタンポラン。

 同時に考えたのは、こうしたメンバーたちによって、たとえばマーラーの弟10交響曲の五楽章補完版。その室内楽版とか聴きたいとも思わせてくれた。アンサンブルの精度がヒトケタ進化したような演奏なのだ。レパートリーとして「現代音楽」だけじゃもったいない。

 というところまで書いたところでプログラムをあらためて読んでいたら、実は22(日)には、マーラーの交響曲「大地の歌」をやっていたことに気づいた。とうぜんチェンバー・オーケストラ版で、シェーンベルク/ライナー・リーンによる編曲のものが多く演奏されるが、今回はグレン・コーティーズによるバージョンが使われていた。聴いた人によると素晴らしかったらしい。現代音楽を解釈、演奏する高い能力のある指揮者や演奏者たちが、そのひとつ前の時代の音楽をやるというアングルだ。まさにブーレーズがやっていたことじゃないか。それにしても聴き逃した魚はデカかった。

 ブーレーズの精神が継承されている。いろいろな方面で蒔いた種が芽吹き、人が育っている。ブーレーズよ、やっぱりあんたはエラかった。




(2021年8月30日更新) 第301回に戻る  第303回に進む  
鈴木裕

鈴木裕(すずきゆたか)

1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。

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