コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」
<雑誌に書かせてもらえない、ここだけのオーディオ・トピックス>
ミュージックバード出演中の3名のオーディオ評論家が綴るオーディオ的視点コラム! バックナンバー
第47回/寺島靖国さんのこと [鈴木裕]
『オーディオって音楽だ!』の、記念すべきNo.100のゲストとして寺島靖国さんをお迎えした。その後記というか雑感というか、ちょっと寺島さんのことを書いてみたい。 今回、寺島さんの新しい著作である『俺のオーディオ』をネタにいろいろと話をしていったが、この本、相当におもしろい。たとえば番組でも引用させてもらったがこんな一節がある。 負ける、という言い方がちょっと刺激的だがたしかにこれ言い得て妙だ。たとえば音の方向性を東西南北で表してみると、自分の好きな音が「南南西」の音だったとする。Aというメーカーのある音が「南」であればたしかに自分の好きな音には近い。しかしやはり自分の好きな音そのものではない。「南」を「南南西」に鳴らさないと俺のオーディオにはならない。これを妥協してしまうとオーディオは面白くない。番組でもしゃべったが、メーカーとかショップのショールームのような音を出していても仕方ない。いやもちろんショールームのような音が自分のどストライクというのだったら何の問題もないのだが。 |
★寺島靖国の新刊
『俺のオーディオ』発売中! これまで誰も試そうとしなかったアレやコレ!うまくいったと鼻息荒く、隣の芝生を横目でチラ見・・・ジャズとオーディオに命を捧げた男の、創意と悶絶の記録!(河出書房新社) |
さらに勝ち負けについての文脈から引用するとこんな文章も出てくる。
「この頃、オーディオとは競争と思うようになった。あいつよりいい音を出してやろう。彼にだけは絶対に負けたくない。なんとかして彼奴の鼻をあかしてやろう。」(94ページ)
念のために言っておくが、鈴木裕はこういう感覚はない。うちの音のが芳しくないなぁ、とは時に感じてはいるが、勝ったと思ったことは一度もない。あくまで自分の問題であり、自分の満足感とか到達している度合いとしてやっている。このあたり、レース経験者なので、ハードとしてのマシンとオーディオというのは同じように捉えているものの、ひとつのレギュレーションの中でのタイムとか順位を争うレースと、音楽を楽しむオーディオとの差が歴然とあるのを自覚する。そもそもオーディオにも音楽にもゴールはないのだから決着もつかない。話が逸れたが、なにしろ寺島さんは勝ちたいのだ。寺島さんは勝ちたいが自分は勝ちたいわけじゃない。そういうふうに、俺のオーディオはこうだけどあんたのオーディオはどうなんだい?と、執拗に問いかけてくるようなところがあるのが『俺のオーディオ』という本の特徴のひとつであり、寺島さんという存在なのだ。
この一節も凄い。
「いつも言うようにオーディオに正解というものはなく、やってみなければ分からない一寸先は闇のホビーで、しかも言葉はよくないが食傷するアートであるということ。
食傷しなければいけない。そうしないと次がない。次なる発展を常に求めるのがオーディオというものではないのか。」(47ページ)
散々やってこないと、そしてもちろん闇にはまらないと出てこないし、普通だったら完成形に見える素晴らしい音にさえしばらくすると食傷してしまう寺島さんの本音が吐露されている。僕自身は「愛憎」という言葉を使うが、好きなことを徹底的にやっていて、そのことばかりを考えているとある段階でもう頭の中が飽和するというか、憎たらしくなってくる。アンビバレンツというか、好きだけど嫌いという感情だ。寺島さんにとってはそれが「食傷」という言葉なのだろう。ここはちょっと共感できるかもしれない。
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しゃべっていて、あれっと思ったのはムッシュかまやつさんの名前を出した時だ。かつて所属していたザ・スパイダースの名前も出したが寺島さんは知らなかった。つまり、寺島さん、テレビ番組というものをほとんど見てきていないのだと思った。じゃ、何をしてきたのか。もちろん、ジャズとオーディオである。知らないということが、逆に寺島さんが本物であることを証明しているようにも思った。 あんまり誉めると寺島さんへの弔辞のようなのでこのあたりで終わりにしておくが、更なる新境地に到達して、その成果を文章で、あるいはミュージックバードの番組で伝えていっていただきたい。寺島さんにはあまり「いい人」にならず、奔放に進み続けてもらいたいのだ。ま、僕が言わなくても進み続けるでしょうが。 蛇足。 |