2008年02月/第53回 思い出のマーラー指揮者

 今月の「ニューディスク・ナビ」はどちらかというと、ヒストリカル系の新譜に目をひくものが多い。
 ロンドン・フィルの75周年記念ボックス、フルトヴェングラーのもう一つの「バイロイトの第9」、ベームの「魔弾の射手」全曲とベートーヴェンの交響曲集。グルダのモーツァルト・ソナタ集や弾き振り。「日本SP名盤復刻選集Ⅲ」所収の、紀元二千六百年奉祝演奏会のための作品群、などなど。
 これらのなかでも、ベルティーニの指揮によるマーラーの交響曲集は、個人的な追憶にからんだ、懐かしいアイテムである。
 それは1981年のことだ。ベルティーニが東京都交響楽団を指揮して演奏したマーラーの「悲劇的」の、聴くものを曲の内奥に完全に没入させてしまうほどの凄まじさは、はっきりと憶えている。
 無我夢中のベルティーニの、足音をまじえての指揮ぶりの激しさ、それは途中まで滑稽なドタバタにさえ見えたが、やがて曲そのものと一体化して感じられるようになった。終了直前に午後9時となり、聴衆の腕時計の時報アラームが各所から鳴り響いたのは幻滅ものだったが、いまとなってはそれすら懐かしい。
 この成功がベルティーニの東京での人気を一気に高め、数年後に都響の音楽監督となってマーラーの交響曲を連続的に演奏する、その端緒となったのだ。今回取りあげるCDは、1980年代のマーラー・ブームの一翼を担っていたこの指揮者の、ライヴによる演奏である。どんな演奏が聴けるのか、楽しみだ。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2008年01月/第52回 2007年のレコード・アカデミー賞

 音楽之友社選定の「レコード・アカデミー賞」が今年も発表された。
 大賞は交響曲部門からブーレーズ指揮のマーラーの「千人の交響曲」。例年大賞は交響曲、管弦楽曲、オペラ部門から選ばれることが多いから、まずは順当な選択か。この盤は同時に、ブーレーズによるマーラーの交響曲全集という「大パズル」の、最後の一ピースとなるものだ。十三年がかりでオーケストラもバラバラだが、現代のレコード業界の状況において、セッション録音で全集を完成させるというのは、表面的に思う以上の多大の困難を乗り越えてのものであるに違いない。その点でも、この一組は大賞にふさわしい。
 協奏曲部門を受賞したプレトニョフは、指揮者としても今年ベートーヴェンの交響曲全集を録音して大きな話題となった。その個性的な解釈への評価は意見の分かれるところだが、それはともかく、指揮者としての活動を重視したいという今のプレトニョフ自身は、むしろピアニストとして評価されたことに、どんな感想を持つのだろうか。
 室内楽部門で一九九三年録音のプレヴィン盤が選ばれたのも面白いところ。以前の録音なのに、国内盤がいままで発売されていなかったお陰の受賞である。
 現代曲部門賞の「江村哲二作品集 地平線のクオリア」も気になる一枚。独学で作曲を身につけ、武満徹に私淑する作曲家だが、茂木健一郎と対談した新書『音楽を「考える」』が話題になった矢先に訃報が伝わり、読者を驚かせた。その彼の作品を集めたアルバムである。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2007年12月/第51回 1959年組の活躍

今年は「1959年組」の指揮者たちが次々と来日して、それぞれに素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
1959年組とは、シルマー、クライツベルク、パッパーノ、ティーレマン、準メルクル、ルイージ(ほぼ来日順)である。50歳を間近に控えていままさに旬の、心身のバランスのとれた、精力的な活動を欧米各地で繰り広げているが、日本にもかなり頻繁に来てくれることが嬉しい。
みな、相異なる個性と得意分野をもっている点も面白い。歌劇場やオーケストラなどの実演の場に加えて、レコーディングの方でも種々のレーベルに分散して、色々なジャンルの曲を録音してきた。しかし、そろそろ足場が固まってきたというか、特定のポスト、特定のレーベルに腰を落ち着けて、じっくりと成果を挙げるべき時期に入ってきたようである。今年の来日公演やCDには、そうした気配が如実にうかがえるようになってきていて、その意味で今後への期待をいっそう増してくれるものが多かった。
そのなかでも特に、今までよりもう一段上のレベルの仕事をこれからしてくれそうな予感があるのが、準メルクル(写真)だ。2005年にフランス国立リヨン管弦楽団の音楽監督になって以後の充実ぶりが、最近の新譜(アルトゥス、ナクソス)には明確に現れている。すっきりしたフレージングのセンスと適切なテンポ感覚、透明な響きといった魅力が、はっきりと形をとりはじめているのだ。自分に合ったオーケストラ、つまり「よい楽器」を、この指揮者はいま手にしているのではないか。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2007年11月/第50回 プレトニョフのベートーヴェン

ピアニストとして超一流の腕を持っていて、指揮者としても大活躍している音楽家はいま、何人もいる。バレンボイム、エッシェンバッハ、チョン・ミョンフン、アシュケナージなどの名前がすぐにあがるだろう。
そしてプレトニョフも、その道を歩もうとしている。1978年のチャイコフスキー・コンクールのピアノ部門(第3位にテレンス・ジャッドという、若くして亡くなったイギリスのピアニストが入っていたことでも名高い)で優勝という輝かしいキャリアを持つ彼はソ連解体のさなかの1990年に私財を投じて、ロシア初の民営オーケストラであるロシア・ナショナル管弦楽団を設立、その音楽監督として本格的な指揮活動を始めた。このオーケストラは録音機会にも恵まれ、1990年代にはプレトニョフの指揮でチャイコフスキーやラフマニノフの交響曲全集を完成した。
その後、1999年からプレトニョフは音楽監督の地位をヴァイオリニスト出身のスピヴァコフに譲って、ピアニストとしての活動や録音を再開していたが、このオーケストラの芸術監督として主導的地位に返り咲くと、ふたたび指揮者に重点を置くことにし、ピアノの方は控えるという。
 そしてそのプレトニョフが満を持し、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してリリースしたのが、ベートーヴェンの交響曲全集なのである。緩急強弱、バランスなどでの独自の解釈とアイディア、そして力強さと活力に満ちたこの演奏を、プレトニョフはピリオド奏法の影響とは無関係につくりあげたそうだ。
 彼らの活動からは今後は目が離せない。そう痛感させてくれるベートーヴェンである。

山崎浩太郎(やまざきこうたろ)う
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2007年10月/第49回 光は歌劇場より

 9月上旬に行なわれたチューリヒ歌劇場の日本公演は、近年のさまざまな引越し公演の中でも特筆すべき絶賛を得た。
 始まる前の人気はけっして高くなかったのだが、特に「ばらの騎士」での、オーケストラの精妙な表現が支えるアンサンブル全体の出来のよさが客席の聴衆を興奮させ、評判が評判を呼び、人気が急激にクレシェンドする形になったのである。
 その評価の中心にいたのが、この歌劇場の音楽監督として全公演の指揮にあたったウェルザー=メストである。少し前に2010年から小澤征爾の後を受けてウィーン国立歌劇場の次期音楽監督になることが決定して話題になったものの、これまで日本ではもう一つ評価が定まらない存在だった。それというのも、日本ではどうしても指揮者を交響楽団とのコンサート活動で評価する傾向があるのに、その方面でのウェルザー=メストの動きが、近年あまり伝わっていなかったからだ。
 すでに2002年からアメリカの名門クリーヴランド管弦楽団のシェフとして活動し、契約が延長されるほどの成果を残しながら、アメリカのオーケストラのCDがほとんどつくられない、来日公演も少ない時代にあたってしまったため、日本では評価しようがなかったのである。
 だがその間に、世界が求める指揮者像は変わりつつあったのだ。交響楽団を中心に華やかに活躍するアメリカ型のスター指揮者よりも、歌劇場に拠点を置いて着実に自らとその音楽を錬磨していくヨーロッパ型の指揮者たちこそが、向後の音楽界を担いつつある。そしてかれらはいま、歌劇場だけでなく交響楽団のシェフとしても、その翼を拡げようとしている。ウェルザー=メスト以外にもファビオ・ルイージ、ウラディーミル・ユロフスキなど、その数は増える一方だ。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2007年09月/第48回 黄金時代の夢

 どうやらまたマーラー・ブームらしい。東京では7月にインバルとフィルハーモニア管弦楽団が四日間のマーラー・チクルスを開催したし、CDも新録音が毎月いろいろと登場している。
 ブームの再来を早い段階で意識づけたのは、アバド率いるルツェルン祝祭管弦楽団によるマーラー演奏だろう。アバドという人自身はベルリン・フィルのシェフになる以前もその最中も、マーラーを絶えず指揮し続けている人だが、マーラー・チェンバー・オーケストラを中心にゲスト・メンバーで強化拡大したこのオーケストラを手にしたときから、そのマーラー演奏は新しいエポックを迎えたようである。
 そしてそれはそのまま、音楽界全体の潮流の変化をも示していた。マーラー・ブームの再来と、そしてかつてのカラヤン時代の華やかなザルツブルクを想わせるような、「音楽祭の都」としてのルツェルンの浮上。ルツェルン音楽祭も1938年からの長い歴史を持ち、カラヤンはここを重視してベルリン・フィルなどと一緒に必ず演奏会を開いていたほどなのだが、オペラ中心のザルツブルクに較べると、どうしても影に隠れがちだった。
 しかし今や、シンフォニーの分野においてはザルツブルクに勝るとも劣らぬ豪華さと話題性を誇っている。その中心にあるのがマーラーの交響曲なのだ。9月最終週の「ユーロ・ライヴ・セレクション」では、ドイツ語圏の超一流交響楽団が顔を揃えた同音楽祭の模様をお送りする。どうぞお楽しみに。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2007年08月/第47回 ドゥダメルあらわる

 鳴り物入りで登場する新人は少なくない。しかし、何年かクラシック界の動きを追っている人なら、その新人たちが皆そのまますくすくと伸びるとは限らないことは、いやでもわかってくる。
 ドゥダメルという指揮者が登場したときにも、「またか」という感想を抱かれた人が少なくなかったに違いない。
 かくいう私自身がそうだった。デビュー盤のベートーヴェンの交響曲第5番と第7番の1枚は、正直言ってそれだけではその実力を測れるものではなかった。現代流のピリオド・アプローチではないことだけはわかっても、それがただのアナクロニズムなのか、それとも彼の真の個性の強さによるものなのか、判定するには材料が少なすぎた。それに、彼の率いるシモン・ボリバル・ユース・オーケストラという団体も、その活動は称賛されるべきものであるとはいえ、演奏自体の評価とは無関係な「物語性」が強くて、客観的な判断をしにくくしている。
 それやこれやで「もう少し様子を見たい」と思っていたのだが、どうやら音楽界の潮流は恐ろしく速く、東亜の孤島のマニアのことなど待ってくれないようだ。どういうことかというと、今年26歳のドゥダメルは秋からスウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者に就任、さらに2009年からはロスアンジェルス・フィルの音楽監督になるという。ヨーロッパでも各所に顔を出し、あっという間に「EURO LIVE SELECTION」で4晩特集できるほど音源が集まってしまった。
 少なくとも、その東奔西走の活躍ぶりが本物であることだけは確かである。では、真価は如何。今月の放送で確かめてみたいと思う。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2007年07月/第46回 ルイジアナって、どこ?

 ルイジアナなら、アメリカの州の名前でしょ、とお答えになった方がほとんどではないだろうか。南東部のメキシコ湾沿い、ジャズ発祥の地といわれるニューオリンズがあり、2005年には超大型ハリケーンで大きな災害に見舞われた、あの州だ。
 そのルイジアナ、今月11日から14日にかけて放送される「ユーロ・ライヴ・セレクション」では、ルイジアナ現代美術館、なる会場での演奏会が取り上げられている。
 4回のうち3回にはエベーヌ弦楽四重奏団、ピアノのエリック・ル・サージュという、東京国際フォーラムでの「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」でおなじみの、将来を嘱望されるアーティストが出演し、残る一回もヴェテランのラレードなど、実力者たちによるトリオ演奏だ。
 この番組で取り上げるプログラムを選択していた私たちがこの演奏会シリーズに気がついたとき、アメリカにはこんなセンスのいい催しをやる会場があるのか、などと感心していた。ところがデータをよく見ると「デンマーク放送提供」とある。そう、よく調べたらこれはコペンハーゲンの北35キロ、フムレベックなる町にある美術館のことで、アメリカではなく北欧のものだったのだ。
 この美術館のサイトを覗いてみると、毎年面白そうな内容のコンサートをやっている。やっぱり世界は、いやヨーロッパだけでも充分に広い、と教えられた次第。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
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2007年06月/第45回 本場ナントのラ・フォル・ジュルネ

 今年も5月のゴールデン・ウィークに、東京国際フォーラムで3回目の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」が開催され、大変な人気を集めた。
 日本クラシック界最大の行事ともいえそうなこの催しが、フランス西部の町ナントで毎年行なわれている音楽祭を移植したものだというのは、多くの方がご存じだろう。
 1995年に始まったナントの「熱狂の日」は、すでに13回を数える。今年も1月31日から2月4日まで、5日間開催された。テーマは東京と同じ「民族のハーモニー」。曲目も演奏者の顔ぶれも、かなり共通している。
 東京都だけで1200万、首都圏で考えれば4200万という人口を持つ「オ・ジャポン」とわずか30万人のナントでは、そもそも周囲の規模が異なるし、ゴールデン・ウィークという特殊な休日の連続も、ナントにはない。ところがそれでも町の人口の半分にあたる15万人を動員するというのだから、さすが「元祖」の熱狂恐るべし、である。
 今月のユーロ・ライヴ・セレクションでは、14日から24日にかけ、9回にわたって今年のナントの「熱狂の日」のライヴをお送りする。颯爽たるヴァイオリンで旋風を巻きおこしたネマニャ・ラドゥロヴィチなど日本にも来た音楽家ばかりでなく、コンチェルト・ケルンやケルン室内合唱団のように、来日しなかった人たちの演奏も聴けるという、オマケも付いている。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2007年05月/第44回 嵐を呼ぶ男

 劇的な人、とでもいうほかない人生を生きる人がいる。
 現役の指揮者のなかで、大植英次ほど劇的な生を生きている人は少ないかも知れない。
 始まりからしてそうだった。1990年のバーンスタイン最後の来日公演のさい、死を目前にして衰えていたバーンスタインから、演奏会中の一曲の指揮を委ねられる。健康上の理由だけでなく、バーンスタインはかつて自身が副指揮者だったときの経験から、こうした形で若い副指揮者たちに機会を与えることを好んでいたのだが、開演直前になって急にその事実を知らされた聴衆の一部が激昂、主催者に抗議する騒ぎとなった。
 大植にとっては最悪の形での「デビュー」だったろうが、しかしむしろこの一件で彼の名が、音楽ファンの印象に残ったことはたしかである。そしてそれから時間をかけて大植は汚名を雪ぎ、知名度をますます高めてきた。1995年にアメリカのミネソタ交響楽団音楽監督へ抜擢されて大成功し、3年後にはハノーファー・北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者となって欧州に地歩を築き、2003年には大阪フィルの朝比奈隆の跡を継ぐという難事を引き受けて、成功を収めつつある。
 かと思えば、バイロイト音楽祭の指揮者を1年で降板するなど、とにかく話題に事欠かない「嵐を呼ぶ男」大植英次。EURO LIVE SELECTIONでは24日から3日間、彼の指揮を特集する。お楽しみに!

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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