――伊豆へ旅行しよう。
そう思ったとき、あなたはどこを思い浮かべるだろうか。都内からでも足を伸ばしやすい熱海、趣ある温泉街が魅力的な伊東、自然豊かなアクティビティが豊富な伊豆高原。それらのちょっと先にある、情緒あふれた町並みが美しい土地こそ今回の舞台となる稲取(東伊豆町)だ。
いわゆる温泉のある街というと、デカデカと「歓迎」の文字を掲げた駅やズラッと並んだ土産屋を想像するだろう。しかし稲取には、そういった旅人を歓迎する煌びやかさはない。一方で、初めてきた場所なのに「おかえり」と声をかけられそうな温かさがあり、現地の人々の生活にスルッと潜りこめそうな余白を感じる。観光地でありながら、日常の息抜きだけでなく、現実を柔らかくする魔法をかけてくれる地こそ稲取なのだ。
「稲取を代表する企業になるのが夢なんです」
そう語るのは、NPO法人ローカルデザインネットワークの理事長であり、合同会社so-anの代表を務める荒武 優希さん。ずっとこの地で暮らしてきたような空気を放っている彼の出身は、神奈川県横浜市。エンターテイメントスポットも多く華やかな横浜市は自然豊かな稲取とかけ離れているように思えるが、荒武さんは違和感なく溶け込んでいる。
「横浜市といっても鶴ヶ峰のベッドタウン出身なので、小さいころから自然が近くにある生活をしてきました。学生の頃は野球に明け暮れていたし、みなとみらいがあんなに煌びやかなブランディングをしてるなんて、大学生になってデートをするまで知らなかったくらい(笑)。もともと田舎者気質なのかもしれないですね」(荒武さん)
人は自身や誰かを“田舎者”と表現する時、どこか都会的な人への引け目を匂わせるものだが、彼にそんな様子はまったくない。むしろ豊かな自然を楽しめる自分への誇りすら感じさせる。
「初めて稲取に来た時、“この町とは何かありそう”って思ったんです。別の空き家改修プロジェクトで他の地方へ行くこともあったんですけど、その時には得られなかった感覚があって。伊豆や稲取にビビッてきたんですよね」(荒武さん)
この8年間を振り返り「山あり谷ありですけど、自分の人生を生きられている。物語のなかを生きているような毎日なんです」と嬉しそうに語る。
そもそもなぜ、稲取へ来ることになったのか。一つ目のターニングポイントとなったのは、部活動を引退して大学受験へ走り出すタイミングだった。
高校3年生の夏、野球部を引退すると急に未来の選択を迫られた。小さいころから、ずっと野球のことだけを考えてきた荒武さん。「全然わからんわ…」と思いながらも自分のやりたいことを模索していると、ふいに「自分の原点はどこだろう」という問いが浮かび、幼少期の体験が呼び起こされた。
「僕が住んでいた団地には小さな公園があって、いろんな世代の人たちが集まる交流の場になっていたんです。子どもたちや保護者はもちろん、お年寄りも来ていて。年齢関係なくコミュニケーションが取れたのは、すごく豊かな経験だったなと。自分もそういう町を作る仕事に携わりたいと思い、建築学部を選びました」(荒武さん)
目標を定めてからの荒武さんは、強かった。野球の練習で培ってきたストイックさを活かし、起きている時間のほとんどを勉強に注ぎこむ日々。結果的に、受験勉強を始めた当初は学力的に及ばないと思われていた芝浦工業大学への進学を掴みとったのである。
今まで野球に捧げてきた青春を取り戻すかのように、「めちゃめちゃ遊びまくった」大学時代。学生生活の傍ら、設計事務所のアルバイトにも勤しんだ。大学を卒業するタイミングでは就職する意味を見出すことができず、大学院へ進学。当時、第一希望の就職先としていたアルバイト先の設計事務所へ就職するには、大学院卒のほうが有利だったのも大きな理由だった。
大学院に進学し「ちょっと真面目になるか」と思っていたところ、同級生である森本健介さん達に“空き家改修プロジェクト”のメンバーにならないかと誘われた。
”空き家改修プロジェクト”は、森本さんにとって大事なリベンジ企画だった。2011年にまちづくりを勉強すべく東伊豆町のインターンへ参加した際、自信満々に「若い力で東伊豆町を変える」と息まいていたが、何もできない2週間を過ごし悔しい思いをしていたのである。大学院へ進み「そろそろ力もついてきたはず」と考え、東伊豆の役所の人に交渉して引き出したチャンスが空き家改修だった。
こうして立ち上がった”空き家改修プロジェクト”、初期メンバーは、発起人である森本さん、荒武さん、ほか 同級生4人と後輩4人。 デザインができてプレゼンがうまい守屋さん、猪突猛進な切りこみ隊長の荒武さん、冷静に全体をみてコントロールする森本さんなど、バランスいいメンツが揃っていたが、役割を意識して人を集めたわけではなかったと森本さんは話す。
「大学内の学生プロジェクトとして認められ補助金をもらうためには、最低でも10人集めなくちゃいけなくて。僕はまちづくりの勉強ばかりしていたから、デザインできるやつをいれようと思って、出席番号が1つ違いだった守屋に声をかけました。その守屋が連れてきたのが、荒武だったんです」(森本さん)
ほぼ接点のないメンバーで動き出した空き家改修プロジェクト。同じ旗のもとに集まったとはいえ「現場に出て実際の改修をしてみたい」「建物を基点としたまちづくりがしたい」など、それぞれの“やりたいこと”にズレがあった。それもあってか、空き家改修プロジェクト第一弾となる「水下庵」は失敗に終わった。
「公民館の付属施設なら、介護バスの待合所や休憩スペースなど公民館にない機能を備えれば使われる場所になるだろう」
この思惑は空しくも敗れ去り、改修したのに誰にも使われない施設になった。あの頃のことを振り返り、荒武さんは「失敗してよかった」と話す。
「水下庵を作り上げられたのは嬉しかったけど、町に対する解像度は低かった。もっと自分たちが地域にコミットして、空き家改修プロジェクトに取り組んでいかないとダメだと思いましたね。まずは、地域のことを知っていかなきゃって」(荒武さん)
それでも、「水下庵」完成当初は大いに盛り上がった。地域の人たちは流出してしまいがちな若い世代が活躍していることを評価し、空き家改修プロジェクトのメンバーはビジネスコンテストで評価され上機嫌。他の地域からも「空き家を改修してくれ」と依頼が舞いこむようになった。
空き家改修プロジェクト第2弾の「ダイロクキッチン」も、この流れのなかで浮かびあがってきたプロジェクトだ。行政のほうから「若い世代が活躍することは、地域の活力になるから続けてみないか」と打診されたのである。
「水下庵」の完成から半年以上経ち、「水下庵」が使われていないという事実を空き家改修プロジェクトのメンバーも知っていた。
「また誰にも使われない施設にするのは、絶対に考えられない」
熱い思いがメンバーを駆り立てる。
「水下庵」の反省を活かし、空き家改修プロジェクトのメンバーは地元の人たちに、たくさん意見を聞いた。何度もヒアリングを重ね、導き出したのは食をテーマに東伊豆の魅力を発信するシェアキッチンスタジオ。通称、ダイロクキッチン。誠心誠意向き合った姿勢は結果にも直結し、少しずつ町の人に根付いた施設へと成長していった。
一方で、空き家改修プロジェクトのメンバーは「ダイロクキッチンの運営」という新たな問題に直面する。空き家を改修しただけでは使われる場所にならないと、水下庵の経験から知っていた彼ら。運用を続けるべく、NPO法人ローカルデザインネットワークを設立したが、地域に入りこまないと本質的な行動ができないことは痛感していた。このとき「稲取に住むわ」と手を挙げたのが、荒武さんだったのである。
稲取へ移り住むことを決めた時のことを尋ねると、「地元の人には誰にも言ってないですけど、実は下心がありました」といたずらっぽく笑う。
「“移住したほうがおいしいな”って思ったんです。この土地で育った子どもたちは進学や就職の関係でどんどん流出していっちゃうので、空き家改修の文脈で学生が活動していること自体ありがたがってもらえましたし。就活では誰にもかまってもらえなかったんで、こっちへ来たらみんなかまってくれるかなって(笑)」(荒武さん)
もともとは、日雇いのアルバイトをしながらダイロクキッチンの運営をしようと思っていた荒武さん。「バイトをしながらダイロクキッチンの運営をしたい」と役場の人に相談すると、「無謀だから辞めとけ」と一蹴された。
思い描いていた未来への 道が絶たれたかと思ったが、未来は予想だにしなかった方へ繋がる。「地域おこし協力隊として、ダイロクキッチンの運営をしない?」と誘われたのだ。
「ダイロクキッチンを行政で運営できるように、ちょうど体制を整えていてくれたんです。町のほうで用意しようとしていたダイロクキッチンの運営をする地域おこし協力隊に僕のやりたいことが合致したから、それなら地域おこし協力隊になってもいいかなと思って」
かくして2016年、荒武さんは、東伊豆町の地域おこし協力隊となった。友人には「おいしいじゃん!」とはやし立てられ、両親には「あんたの好きにしてね」と見送られ、当時 お付き合いしていた彼女には「行かないで」と止められ、やってきた稲取。念願の船出であったが、“地域おこし協力隊”として移住することに最初はあまり乗り気ではなかった。
「組織に属しながら生きるのは、違う気がしていたんです。稲取へ行くなら、自分の力だけでやっていきたいと思って。あの頃は生意気でしたね(笑)」
そう言って笑う荒武さんを、空き家改修プロジェクトの発起人である森本さんは羨ましく思っていたという。
「荒武が稲取に残るってなって、ちょっと悔しかったんですよね。自分は空き家改修プロジェクトのメンバーの中で、この地域のことを一番知っていて、一番好きだという自負があったのに、稲取に残る選択をできなくて。“自分じゃなかったんだ”って、ずーっと思っていました」(森本さん)
それでも心はいつも稲取や荒武さんと共にあった。「いつかは合流しよう。いつかは何かを一緒にやろう」と胸に抱き、社会に出て経験を積む日々。
そして、空き家改修プロジェクトの発足から8年目となる2022年。森本さんは東伊豆町地域おこし協力隊として、荒武さんと合流した。メンバーが大学院生時代のシーズン1、それぞれが会社や協力隊として経験を積んだシーズン2を超え、今まさにシーズン3が始まろうとしている。
空き家改修プロジェクトのメンバーとして稲取を訪れ、地域おこし協力隊の一員として稲取を盛り上げ、仲間たちと設立したNPO法人ローカルデザインネットワークにて港町の賑わい創出事業やシティプロモーション事業を受託し、稲取と共に成長を続けてきた荒武さん。
力強く「この6年間、誰よりもこの町のことを考えた自信がある」と 語るが、 その自信は どこから沸いてくるのだろうか。
「僕の指標は、この町との信頼関係なんです。任される仕事がデカくなれば、それだけ信頼してもらえているんだと思える。地域おこし協力隊時代から小さな一歩を重ねてきて、今では“困ったら荒武に頼もう”という空気になってきた。町のなんでも屋さんみたいなところもあるけど、困っている人が助かって自分の仕事にもなるなら、望ましいことなので」(荒武さん)
話している様子からは、地域への愛着も毎日の充実感も伝わってくる。しかし、見えないところでは焦燥感を抱えている。「今の自分に甘んじて“このままでいいや”と思って過ごしていると、今の暮らしは続かないと思ってて」と神妙な面持ちになる。
「大好きな土地、大好きな町、暮らしたい町、暮らしている町だけど、この地域のご先祖さまたちが作ってきた土地に、タダ乗りさせてもらってる感覚がずっとあるんです。自分が地域に貢献するのは、暮らさせてもらっている対価。人も減っている地域だし、“よそ者”が何か新しいことを起こしていかないと変わらない未来もあるだろうから」
「この素敵な町を“自分たちの代で終わらせていいや”とは思えないんです。自分がちゃんと好きだと言えるものが、次の世代にも残っていてほしいじゃないですか。暮らす人が減っていくのはしょうがないけど、食い止める方法はきっとある。このままだと後の代に“あんたら、もっとやりようがあったろ”って思われちゃいそうだし。上手いやり方を考えれば、失われていく魅力を維持できるんじゃないかって思ってます」(荒武さん)
キラキラと瞳を輝かせながら「稲取には些細なところにいろんな魅力がある」と語る荒武さん。その根底にあるのは、「偏愛じゃないですかね」。
「学生の頃から、この土地の路地裏がすごく好きで。卒業論文や修士論文で、この町の路地裏研究をしていたくらいなんです。そういう誰かの偏った愛から、何か始まるのかもしれないですね。また別の視点から見たこの町のほうが、ひょっとするともっと魅力的かもしれない。町に感じる良さって、たぶん人それぞれでいいんですよ。何かを感じられる仲間が増えれば、できることもたぶん増えていくので」(荒武さん)
荒武さんの妻であり、合同会社so-anのメンバーでもある悠衣さんも稲取に魅力を感じ始めた人物のひとりだ。もともと都会への憧れが強く、荒武さんと出会ったときは大阪で働いていた悠衣さん。東伊豆に住む荒武さんと遠距離恋愛のすえ、結婚して東伊豆に住むことを決めた彼女だったが、移住当初はあまり田舎暮らしに前向きではなかった。
そんな悠衣さん が、町へ来てからどんどん変わっていく様を間近で見てきた荒武さんは「本当に逞しくなった」と目を細める。
「自分が変わっていかないと、何も前へ進まないとわかってくれたみたいで。もともとは置かれている環境に不平不満を抱くタイプだったんですけど、稲取に訪れる旅人たちとの出会いをきっかけに“自分も何かできることがあるかもしれない”と感じてくれたみたいなんです。今では『この町でカフェを開きたい』と、夢まで持つようになりました」
稲取の魅力的な景観を残しつつさらなる魅力を更新するため、2020年に 始めた宿事業は、荒武さんたちに新しい知見や価値観を運びこむハブにもなっている。空き家改修プロジェクトの発足から8年が経ち、以前にも増して人の行き来が増えた東伊豆。今年、地域おこし協力隊として6年ぶりに稲取へ降り立った森本さんは、「若い人が増えて、10人くらいの移住者コミュニティができてるのはすごい変化だ」と語る。しかし、それと同時に「コミュニティの中で完結してしまってはもったいない。地域の人と繋げていかないと」と冷静な眼差しで現実を見つめていた。
この先の稲取は、どうなっていくのだろうかーー。
未来への展望を「自分たちが地元の人たちが残れる器になれたら…」と荒武さんは語る。
「稲取なら地域愛をもって働きたい、暮らし続けたいと思う人たちが留まれる仕事環境を作っていけると思うんです。もちろん現状でも仕事はあるんですけど、別の土地に住んでいる人から憧れられるような仕事も作っていけるんじゃないかなって。“面白そうなことをやっている地域だ”って、ブランド化できたらいいですよね。どんどん社会増が続いていく町になりそうな予感がするんです」
「なんとなくですけどね」と、荒武さんは照れくさそうに笑った。
取材・文 = 坂井彩花
編集 = ロコラバ編集部
撮影 = いしむらひろのぶ