竹炭で土壌改善 「いすみ竹炭研究会」西澤真実さんが竹炭づくりを始めたワケ

2022.9.1 | Author: 坂井彩花
竹炭で土壌改善 「いすみ竹炭研究会」西澤真実さんが竹炭づくりを始めたワケ

千葉県の南東部に位置する「いすみ市」に、竹炭づくりに取組む人がいる。

 

竹炭づくりを通じた大地の再生を目指し、「いすみ竹炭研究会」を主宰する西澤真実さんは「竹炭には大地を再生させる力がある」「竹炭は微生物の住処になる構造を持っていて、その微生物の働きによって土と水を、そして空気までもを健全な状態に戻してくれるんです」と熱気を帯びながら語る。

 

昨今、社会問題となっている放置竹林の対策にもなっている「いすみ竹炭研究会」の竹炭づくりは、どのように始まったのだろうか。今までの道のりを聞いた。

大地に生きる生き物が好きだった小さい頃

西澤さんは東京都文京区目白台で生まれ育った。都会でもありながら自然豊かな環境で育った彼女は、とにかく生き物が大好きだった。アリの巣に水を注ぎこむ子がいれば「そんなことをしたら可哀そうでしょ!」と怒り、草木を消毒する季節になれば幼虫を見つけてきては保護。一日中外で遊んでいて、夏休みになると真っ黒に焼けていた。そんな彼女が、社会に出て選んだ会社は保険会社だった。覚えることも多く、多忙というイメージがある保険業界だが、西澤さんは「楽しかったです!」と笑顔で話す。

「お客さんに喜んでもらうことが好きだったの。 お金になろうがなるまいが本当に良いと思ったプランを提案していたら、お客さんに選んでもらえて。紹介もたくさんもらって、楽しく仕事してました」

 

お客さんを通じて、健康の根本に気づく

時はバブルまっただ中。お金がせわしなく動き回る時代を、西澤さんもまっしぐらに駆け抜けた。仕事を続けていく上で、徐々にお客さんの保険金請求に立ち会うことも増えてきた。

ガンや心臓病、脳卒中といった生活習慣病になったお客さん。場合によっては、亡くなってしまう方もいる。もしもの時の安心安全を提供する保険業に誇りはもっていたものの、あまりにも体調を崩していく人の多さに「このままでいいのか」と思うようになった。

――もっと根本から良くしないと。転ばぬ先の杖である保険を手渡すのではなく、そもそも誰も転ばない世界を作らないといけないのではないか。

その思いでいろいろと調べていくうちに、西澤さんは日本の食が内包する問題に気づき始めた 。厚生労働省で許可されている食品添加物の数、あたりまえのように使われる農薬や化学肥料、そして廃れていく生産地の現状。ひとつひとつの点が結ばれ、西澤さんのなかですべてが繋がった。

「農業から変えていかないと、他のことをいくら変えてもダメなんだなって思ったんです。小さい頃からアレルギー性鼻炎やアトピーの症状があったので、化学物質や食品添加物には敏感だったんですけど、日本の農業がこんなにも悲惨だとは知らなくて。いま私がすべきなのは、きっと農業改革。生き物と共生できる農業を進めることによって、人々の健康もきっとよくなっていくと確信しました」

いすみ竹炭研究会 代表 西澤真実(にしざわ・まさみ)さん

一念発起して目指した農業、想定外だった持病の悪化

「農家になろう」と決めてからの西澤さんの行動は早かった。保険の仕事には多くの顧客がいたが、それぞれに退職の挨拶をして回った。挨拶の際に「食に関わる仕事をしたい」と理由を言うと、多くのお客さんから「西澤さんは一つの保険会社だけではなく、何かをやる人だと思った」「頑張って!」と背中を押されたのだ。こうして、20年間続けてきた保険の仕事を辞め、農業を学ぶべく自然栽培に注力している栃木の農家さんを訪れた。

このまま現場で勉強していけば、いずれは自分の望む農業スタイルを確立できる。期待に胸を膨らませたのも束の間、西澤さんの体は早々に悲鳴をあげた。長々と続けてきた生命保険の営業が、腰に負担をかけていたのだ。病院でも「これはずっと付き合っていかないとダメなんだよ」と言われ、思わず頭を抱えてしまった。そんなとき、友人が西澤さんにかけた言葉が転機となる。

「西澤さんは広報や販路の応援が得意でしょ? そういうバックアップに向いてるから、 腰が悪くなったんだよ。畑を耕すことだけが農業をよくすることじゃない」

「なんだ、そういうことか」と腑に落ちた西澤さん。だったら東京にいても何もできないし、どこでもいいから生産地へ行ってしまおうと移住先を探し始めた。新しい物件の条件は、関東で平屋で予算内のところ。そして、出会ったのがいすみ市だった。

自然豊かで海も山もあるし、実家からもそう遠くない。ピンときた西澤さんはすぐさま不動産屋に連絡をいれると、新たな家の候補に足を運び、そのまま契約までこぎつけた。

 

いすみ市で開催されたシンポジウムで「運命の出会い」

いすみ市への転居が決まったのは、2015年12月のことだった。

だが、いざ引っ越してきたものの、いすみ市に知り合いは誰もいない。「だったら、まずは市のためになることをしよう」と町おこし協力隊の面接を受けてみたが、そこで現実を突きつけられた。

「地域おこし協力隊は国の制度なので、西澤さんが推進したい有機農業は思うようにできないかもしれないねって言われたんです。結局のところ、こっちを立てたらあっちも立てなければいけないから。やりたいことができないと気づいたので辞退させてもらい、大切な環境を守っていく活動を自分でやっていこうと決めました」

とにかく情報を収集しようと移住者支援のNPOを訪れたとき、その場に居合わせた人に、いすみ市で開催される竹炭シンポジウムに誘われた。これが運命の出会いにつながった。

「当時は竹に興味もなくて、時間があるから行ってみるかくらいの軽い気持ちで足を運んだんです。そしたら、除草剤で竹を処分する話で始まるし、土を壊すのは、立派な自然破壊じゃないですか」

竹炭を使った環境改善のシンポジウムなのに、この内容。「こんなものか」と落胆していたが、講演の最後にハッとさせられる出会いがあった。

「高田造園設計事務所の高田宏臣さんが、実際のビフォーアフターも交えながら、竹炭の素晴らしさをお話してくださったんです。竹炭による土の変わりようや大地の蘇りを目にして、自分の中に何かがドカーンって落ちてきて。山や川、農地も海も、すべてが生き返っていくイメージが、一気に私のなかで描かれたんです」

 

竹炭の可能性に見出した“道”

「竹炭をやっていこう」と決めると、西澤さんはすぐに動き始めた。シンポジウムの翌日には登壇していたほとんどの人に「本気で竹炭に取り組みたいので、もう一度お話を聞かせてください」と連絡。忙しいと断られても「なおのことすぐに会いたいです」と食い下がり、話を聞かせてもらい、竹炭への知識を身につけていった。

やるべきことは決まったし、必要な知識も身につけた。しかし、一緒に活動してくれる仲間がいない。そんなとき、高田宏臣さんを講師にした“里山再生プロジェクト”が、いすみ市でスタートすることを知った。

「竹炭をいれることによって、どんなふうに自然が変わっていくのか自分の目で確かめたい」と思い、半年間のプロジェクトに参加。活動を重ねるなかで実際に変わっていく大地を目にし、プロジェクトが終了に近づいたある日、休み時間をもらって参加メンバーに声をかけた。

――荒れた竹林を整備して竹炭にして、どんどん大地に還していく活動団体を立ち上げたいんです。みなさんも一緒にやってもらえないでしょうか。

ドキドキしながら想いを伝えきった直後、拍手がバーッと巻き起こった。用意した名簿には次々に名前が増えていき、18人もの人が初期メンバーとして集まってくれた。

そして、記念すべき2016年11月12日、“いすみ竹炭研究会”が発足した。

放棄竹林を整備する様子

整備して出た竹を廃棄するのではなく、竹炭づくりに活用

 

竹炭で“道を拓く”

最近では認定NPO法人に昇格し、新聞などのメディアに取材されることも増えてきた竹炭研究会。毎週月曜日から金曜日まで活動しながら、500人以上のメンバーを取りまとめている。気苦労もありそうだが、西澤さんは「活動をしていくなかで困ったことはない」と笑顔で語る。

「『となりのトトロ』で猫バスが森を走るとき、木がよけて道を作ってくれるじゃないですか。ああいうイメージなんです。したい方向に進んでいけば、自然と道が開けていってくれるんですよ。だから、いすみ竹炭研究会の活動をしていて困ったことはないですよ」

どんな話をしているときも、邪心がなくエネルギッシュ。そんなにも健やかな素性の秘密をたずねると「気づいたんですよ、本当に満たされてるって。欲しい物もないし、なんでもそろってる。すごく甚大で広大な地球のために力を注ぎたいって本気で思ってるから、迷いがないし、毎日が楽しいんでしょうね」。

 

竹炭に感じた可能性を皆にも知ってもらいたい

そんな西澤さんが「絶対にやるぞ」と心に決めていることがある。それは、竹炭の空中散布だ。

「細かくした竹炭を、山にも川にも農地にもバーッて撒きたいんです。そしたら、広い範囲へあっという間に竹炭が広がるでしょ? 小型ヘリでもいいですけど、できれば大型ヘリがいいですね」

瞳をキラキラと輝かせながら語られる、近い未来の話。その実行に向けて、着々と準備は進んでいる。

「今年に入って、団体の副代表をもう一人増やしたんです。現場をふたりの副代表に任せて、私は草の根活動をしようと思って。いすみ市の家を一軒一軒回り、すべての人に竹炭研究会の活動を伝えるとともに、いまどういうことが地球で起きていて何ができるのか拡散していこうと思っています。直接会ってお話ができない人に向けたポスティング用のチラシも用意してるんですよ。いすみ市の人全員に配っていこうと本気です。そこまでやる人っていないから、だったら私がやろうと思って」

愛をもって人や地球と丁寧に向き合っていく西澤さん。「何よりも難しい保険の営業。それを20年間やってきたんだから、竹炭研究会の活動を伝えていくのは楽ちん。頑張る!」と話す眼差しは凛として、まっすぐに未来を見つめていた。

取材・文 = 坂井彩花
編集 = 藤井みさ
写真提供 = いすみ竹炭研究会

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