逗子駅から徒歩3分の場所にあるカフェの名前は「Mottene(モッテーネー)」。イタリア語のような響きでヨーロッパのカフェを思わせるが、口に出して読んでみるとどことなく「もってえねえ」と上品とは言えない言葉遣いのように感じたりもする。
この「Mottene」は、「町の“もったいない”を再生させたい」という店主・阿部真美さんの思いつきから始まった。町の至るところにある「もったいない」を主役に、地域経済を回していく異色なカフェの歩みを聞いた。
逗子駅前から始まる銀座商店街を進むと、地中海あたりの建物を思わせるような白壁のカフェが現れた。インターネットの口コミに、「このカフェができて商店街が明るくなった」とあったのも頷けるなあと思いながら、なかに入っていく。
お店は小売スペースとカフェスペースになっていて、店内の入口側には野菜や加工品がずらりと並ぶ。カウンターで注文したランチやドリンクをテイクアウトするもよし、奥のカフェスペースで飲食するもよし。コワーキングスペースとしての活用も推奨していて、ドロップインで料金を払えばカフェスペースで仕事をすることもできる。
一見普通のカフェだけれど、食事やドリンク、一部オリジナルの加工品に共通しているキーワードこそ、店名の由来「もったいない」だ。「もったいないモノの有効活用」と「できるだけ捨てない」をテーマに掲げたコンセプトカフェとしてオープンした。
例えば、食事。今回はサラダボウルのセットを注文してみた。サラダで足りるかしら、などと思っていたけれど、人参、大根、ピーマン、紫色のじゃがいも、きゅうりなど、9種類もの生野菜がシャキシャキで、食べ応え抜群! これらの野菜は、すべて三浦半島で収穫されたもので、さまざまな事情で廃棄されてしまう予定だった「もったいない野菜」が中心になっている。
ドレッシングは、通常は農家で捨てられてしまう青みかんの果汁にオリーブオイルと醤油、塩、Motteneオリジナルの青みかんジュースを使ったもの。柑橘が香る和風な味わいで、次から次へと口に運びたくなる。セットドリンクも同じく青みかんをベースにした爽快感のある炭酸ジュース。飲むたびに元気が出てくるような味だ。
隣にいたご夫婦に話しかけてみると、「たまたま見かけて入ってみた」とのこと。食事が「もったいない」食材からできていることは意識しておらず、単純にカフェとして利用している様子だった。ふたりが食べていたカレーは、近隣農家で大量に余ってしまったキャベツや人参などを茹でて冷凍したものを煮込んだものだそうだ。
店内の至るところに「もったいない」が活用されているカフェ。食後に店主の阿部さんにお話を伺ってみると、その始まりは「庭の夏みかん」にあった。
「民家の庭に生えている夏みかんがもったいない」
阿部さんが経営する不動産会社のスタッフからそう言われたのは、2020年の初頭だった。世の中では、コロナの流行が騒がれ始めた頃だ。
「みんな外に出られずに落ち込んでいて、これからどうなっちゃうんだろうって不安だらけ。私も宿泊業を営んでいたのでかなり痛手でした。でも、私は『どうしよう』って時こそ燃えるっていうか。こういう時だからこそ、地域でなにかできないかってスタッフと話していました」
雑談のなかで、阿部さんが問いかけたのは「町のなかでなにかもったいないと思うもの、ある?」ということ。そして、あるスタッフから出たのが冒頭の「夏みかん」だった。
Motteneがある逗子には、葉山というエリアがある。自然豊かな葉山の地には、文化人や政治家などの別荘も昔から多い。明治27年(1894年)に「葉山御用邸」が建てられてからは、皇室も頻繁に訪れる町になったという。
なぜ突然こんな話をしているかと言えば、「民家の夏みかん」に関係があるからだ。記録によれば、昭和34年(1901年)、上皇・上皇后両陛下の成婚祝いの記念として町内で苗木が配られ、当時の人々はこぞって庭に苗を植えたのだという。
「ただ、苗を植えても成長するまでに何年もかかる。当時の人には『植えたい』という気持ちがあったとしても、家を継いだ子どもや中古で購入した人にとっては、あまり思い入れのない木になってしまっています。さらに、酸っぱくて食べられない夏みかんも多かったために、民家の庭で放置されていたんです」
実は、スタッフから夏みかんのことを聞くまで、阿部さん自身はその存在をまったく意識していなかった。雑談を機に見える世界が一変し、散歩をするたびに民家の樹木が気になるようになってしまったのだった。
「見れば見るほど、『ボトボト落ちるのも面倒だろうな』『ちょっと剪定してあげて、実をもらってジュースを作ったらどうだろう』とか、そういうことを考え始めました。本当に思いつきで」
そこから2カ月もしないうちに、阿部さんはあるポスターを作った。
『“まちのもったいない”有効活用プロジェクト。お宅のミカンを譲っていただけませんか?収穫作業はこちらでいたします!』
そもそも、阿部さんはなぜ「なにかもったいないと思うもの、ある?」と問いかけたのか。それを探っていくと、阿部さんが不動産業界で歩んできた道のりにつながっていた。
宮城県仙台市で生まれ育った阿部さんは、大学進学を機に上京。Uターンなども経験したのちに不動産業界へ足を踏み入れた。不動産投資のキャリアを積むなかで転機となったのは2010年、「シェアリング・エコノミー」という考え方が世の中に出てきたことだった。
「『シェア』という本が発売されて、“シェア元年”と呼ばれた年でした。それまでのバブル世代は個人主義が基本で、“自分で所有している”ことが大事な価値でした。そこから景気が悪くなって、『余っているものを活用した方がいい』と考える人たちが増えてきた頃です。広い部屋にたったひとりで住んでてもしょうがないよね、みたいなことですね」
カーシェア、シェアオフィス、Uberなどの乗合サービスなど、今となっては当たり前になりつつある「ひとつのものを大勢で共有する」という概念に、阿部さんは興味を持った。
「シェアすることのなにがそんなに良いんだろう、どんなものが生まれるんだろう。そう考えている時に、シェアハウスやホテル事業をおこなう会社を見つけて転職しました」
阿部さんは個人的にも、ネット掲示板や『Couch Surfing(カウチサーフィン)』というサービスを使って、海外からの旅行者に部屋の一角を貸し出していた。白金高輪駅から徒歩1分という立地の良さから、さまざまな人が利用したという。
「使っていなかった部屋、つまり無駄にしていたものからなにかを生み出すのっておもしろいなと思いました。価値がないものに価値を与える作業が好きだったんです」
ただ単に余っているものでお金を稼ぐだけではなく、シェアすることの副産物として生まれる“つながり”も、阿部さんを魅了した。
「部屋をシェアした旅行者とのコミュニケーションもおもしろかったんですよ。英語の勉強になったり。シェアをすると、そこに必ず人が集まります。都会では、人と出会ったりコミュニティを作ったりするのが難しいけれど、実はみんな人に会いたがっているんじゃないかなと思いました。人とつながるきっかけとして、シェアが受け入れられる時代になっていくのかな、と」
アクセスの良い都内の部屋をシェアしながら、20年近く東京で暮らしていた阿部さんが移住を決めたのは突然だった。
2015年、阿部さんはその日も、通勤のために渋谷にいた。土曜出勤だったため、週末の渋谷の街を自転車で会社に向かう。
遅刻ギリギリの時間なのに、ごった返す人のせいで自転車はなかなか前に進まない。ああ、たぶん遅刻する。その時、阿部さんのなかでなにかがブチッと切れた。
「あーもう! なんだこの街は! もう嫌だ! 」
翌日から、阿部さんは移住先の物件を探し始めた。通勤があるので、通える範囲で良さそうな町を見にいく。熱海や湯河原、真鶴などの海沿いを見て回るなかで、たまたま出会ったのが葉山だ。
「地図を見ていたら、この辺よさそうだなと。鎌倉には3年に1回ぐらいしか行かないし、葉山や逗子にもほぼ行ったことがなかったけれど、来てみたらハマっちゃった。全体的な町の規模感や人の雰囲気が好きになって、最終的に逗子に住むことを決めました」
マリンスポーツを楽しむわけではないが、海沿いの町の雰囲気が好きだと話す阿部さん。ビルが立ち並ぶ渋谷の雰囲気とは一変、のんびりとした移住ライフが送れる……と思ったが。
「通勤するつもりで引っ越したんですけど、やっぱりしんどい! それまでは、いかに職場から近い場所に住むかを優先してきたので、片道1時間でもつらかったです。毎日スーツケースをガラガラ引きずりながら東京に出て、仕事が終わったらヘトヘトで帰る。都内にも拠点を持っていたので、結局は都内にいることが多くなって『意味ないじゃん』と思って、上司にリモートワークにさせてくれと頼んだんです」
当時はまだ、コロナ禍のような状態になることを誰も想像していなかった頃だ。上司からは「リモートワークはまだ早い」と却下されてしまったという。阿部さんは「だから会社を辞めることにしました」と明るく笑う。
阿部さんが気に入った町・逗子は、アクセスの良さや自然の豊かさで多くの観光客が訪れるエリアだ。ところが、ホテルなどがあまりなく、観光客が宿泊できる場所が限られていた。それと同時に、阿部さんが越してきた当初は空き家が多いことも問題視されていて、阿部さんのなかでなにかがピンときた。
「私には前職で学んだ、空き家のリノベーションやホテル作りのノウハウがありました。空き家があるなら、宿泊場所が足りないなら、それをつなげられたらと思ったんですよね。住居はいつか空き家になってしまうけど、宿泊施設ならずっと使い続けられますし」
ちょうど「民泊」という言葉が出始めた2016年、渋谷から飛び出した1年後に阿部さんは自身の会社を設立した。空き家を借り上げてリノベーションし、観光客向けの宿泊施設として生まれ変わらせる事業は、空き家の活用方法としてさまざまなメディアにも取り上げられた。
海外からの観光客も受け入れながら、順風満帆だった宿泊業。シェアオフィスを作り、地元の人とのつながりができてきたなかで、コロナがやってきた。
阿部さんの会社・UNIQUE HOMESの理念は「街に灯りを増やす」。これまで6つの空き家を改修し、灯りをともしてきた阿部さんは、コロナ禍で落ち込む町全体にどうにか新しい灯りを、と考えていた。
「一人ひとりが自分の町で、自分にできる小さなことをやっていけば、町全体がとてもいいものになると思うんですよ。私にとっては、空き家を活用した宿泊施設やシェアオフィスができることで、それを喜ぶ人がいた。コロナ禍で、町全体がしゅんとなっちゃってるなら、 このタイミングで『自分にできること』で、みんなの気持ちが明るくなることがしたいと思ったんです」
そこで「庭の夏みかん、採ります」である。
夏みかんがある家を中心にポスターを配り歩いた阿部さんは、数日後には、ある民家の伊予柑を収穫した。その量、なんと111個! その後も何件かのみかん収穫と並行して、手に入ったみかんの活用方法を模索し続けた。ジュース、ヨーグルト、はちみつ漬け、塩みかん……。手首が痛くなるまで、みかんをひたすら絞り続けた。
「“まちのもったいない”有効活用プロジェクト」は、阿部さんの思いつきに共感した8名ほどが集まった。それぞれ可能な限りで収穫や試作品作りに参加していたものの、やはりボランティアだけで続けていくことの難しさを感じざるを得なかったと振り返る。
「時間も体力も使う作業だし、商品作りにも費用がかかります。想いだけで続けるのは、すごく難しいことだなと思いました。そこにちゃんと見返りや価値を作っていくことが必要だ、と。私は、みんなを引っ張っていく圧倒的なリーダーという感じではなかったので、 循環する仕組みを作ることが、続けていく鍵だと思いました」
そこで、活動を自社の事業として動かしていくことを決意し、2020年7月には逗子駅前に仮店舗「Caffe di Mottene(カフェ・モッテーネー)」をオープンした。民家の庭で採れたみかんや柿、地域の野菜などのジュースやスープなどを提供する、今の形のベースとなる店だ。
その頃には民家の庭だけでなく、地域の農家が廃棄していた規格外野菜を仕入れて加工や販売も始めた。規格外の野菜を「UNIQUE VEGGIE」と呼び、仕入れることにしたのには、阿部さんが活動のなかでぶつかった「なんで?」が発端だった。
「『なんでこんなことが起きるのかな』って気持ちが湧いてきて」
「まちのもったいない」を追いかけていた阿部さんには、地域の農家にも知り合いが増えていった。そこで知ったのが、十分に食べられるはずの果物や野菜が廃棄されているという事実だ。農家は廃棄も見越しながら計画を立てて作物を育てるプロだけれど、いろいろな事情で起こる廃棄に心を痛める人もいる。彼らと話すうちに、市場や流通の都合で捨てざるを得ない野菜があることや、彼らの野菜が地元で消費されていない現状を知った。
「摘果(果実に必要な間引き)で捨てられてしまう青みかんや、供給過剰で行き場を失ってしまった野菜など、農業のなかにはいろいろな葛藤があることを初めて知りました。食べられるのにもったいないと思ったし、『自分にはなにができるんだろう』って考えたんですよ。こういった状況を伝えていく、伝道師みたいな役割の人がいるんじゃないかな、と思ったんです」
三浦半島の農家を1軒1軒たずねながら、状況を聞いて回った阿部さん。若手の農家を中心に、同じ思いを持った人たちから少しずつ野菜を仕入れ、カフェでの販売やメニューに加えていった。知らなかった課題と出会うたびに、「自分にできることをやりたい」という気持ちが蓄積されていったと話す。そこで、阿部さんがカフェ経営と並行して始めたのが、加工品開発だ。
「どうしても、スープやお惣菜にしているだけじゃ全部さばききれない。売れ残ってしまったものや廃棄せざるを得ないものを目の当たりにすると、これはやっぱり加工食品にしていかないと、という思いが強くなりました」
三浦半島のみかん農園から摘果した青みかんを仕入れ、「これ、なにかに使えませんか」と今度は地元の飲食店を訪ね歩いた。そのなかで、あるジェラート屋さんのアイディアから生まれたのが、Motteneのオリジナル商品第一弾『青みかんRockビタースカッシュ』だ。青みかんならではの苦味と酸味のバランスを取りながら、炭酸割りや料理などでも使える濃厚なドリンクに仕上がった。
どうして「Rock」と名付けたんですか?と聞いてみると、阿部さんはニヤリと笑った。
「廃棄されるはずだったものが、のし上がってくる。『ロックだぜ』ってことですね」
反骨精神や立ち向かう心を表したロックンロール魂。この第一弾の開発を皮切りに、阿部さんは逗子に加工製造場を立ち上げ、摘果りんごを使ったジャムやクラフトコーラなどの“ロックな”商品を生み出し続けている。
さらに話を聞くと、Motteneが生み出しているのは商品だけではなかった。
Motteneは、コロナ禍やコストの影響で一度は仮店舗を畳み、2022年5月に現店舗で再スタートを切った。「庭の夏みかん」の思いつきから始まったMotteneの3年を振り返ると、阿部さんのやってきた「小さなできること」が、少しずつ町全体に広がっていることがわかる。
「実は、今年はあまり自分たちで収穫はしていないんですよね。近所の造園会社さんが仕事ついでに収穫したものをお互いに心地の良い価格で買い取らせてもらっています。彼らにとっては、収穫しても廃棄してしまうものなので、お互いにありがたい状況ですね」
もちろん、今でも阿部さん自らが収穫に行くこともあると言うが、その割合は初年度よりも減っている。Motteneは、地域の人たちが抱える「もったいない」が集まる場所になりつつあるのだ。さらには、Mottene側が廃棄せざるを得ないものをシェアしようと声をかけてくれる人たちも現れた。
「『じもとの洗剤』というブランドのアロマの原料として、みかんの皮を使ってもらっています。Motteneでは、果実や果汁を使ったあとの皮はコンポストにしていたんです。そこで、洗剤チームが『それぞれが集めたみかんの中身と皮をシェアしないか』と言ってくれて」
誰も無理してないんですよ、と阿部さんは言う。造園会社は仕事として果実を採り、阿部さんたちはジュースを作り、残った皮が洗剤の香りになる。その『じもとの洗剤』もMotteneの店頭に置かれて、お客さんの手にも届きやすい。
まさに循環。お互いに無理せずに緩やかにつながっていながら、使い道がないと思われていた果実がさまざまな場所で価値を生み出している。シェアすることで必然的に人々が集まり、ゆるやかにつながることを体現したような仕組みだ。
正直、Motteneの1店舗だけでは、集めた果物や野菜を捌ききれないという事情がある。だからこそ、阿部さんはこのモデルをさまざまな町で作ってもらえたら、と話す。
「こういう良い気持ちの人たちとつながることを、もっと増やしていきたいなと考えています。みんなにとって、少しでもいいからちゃんと利益になって、それがぐるぐると回る仕組み。その経済の主役に『もったいない』はなれると思っています。土地柄、海産物などもやってみたいんですよ」
「もったいない」を軸に、なにかがみんなに還元される仕組み。これがMotteneが目指す、「もったいないを主役にした地域経済循環」なのだと理解する。
「私、誰かのためにっていうより、自分が楽しいからやってるんです。無理そうなことが形になっていったり、無価値だと思われていたものに価値が与えられただけで、私は『よし!』って楽しくなる。だから続けられるんだと思います」
「使い道がない」と思われていた空き家に灯りがともり、「食べられない」と思われていた夏みかんが地域をめぐる。誰かが勝手に「価値がない」と決めつけてきたものが、楽しくおいしいものに生まれ変わった時、阿部さんは心の中で小さくガッツポーズをする。
取材・文・撮影 =ウィルソン麻菜
編集 = 川内イオ