「地域おこしをしたいが、何を“おこす”べきなのかわからない」。地域おこしにおいて“あるある”な悩みだ。たとえ魅力的なものがあったとしても、住み慣れた人間からの目線では気づけないことも多い。
栃木県足利市の北部に位置し、標高200~500mの山並みに囲まれた名草(なぐさ)地区。中を流れる名草川沿いには田畑が広がり、ホタルが自生群を構える、自然豊かな集落だ。
市の資料によれば、人口構成は0~14歳が7.7%、15~64歳が53.0%、65歳以上が40.3%。市内でも高齢者の比率が最も高い地区で、少子高齢化が顕著になっている。しかしそんな名草地区に、いま多くの人々が都会から移住している。そこには、改めて地域の魅力を発見したあるひとりのキーマンの存在があった。
柏瀬誠(かしわせ・まこと)さんは、足利市地域創生課の移住定住担当者だ。
生まれ育ったのは、名草地区に隣接する自然豊かな街・松田町。外では木にロープを結んで遊具を作り、家では押し入れに秘密基地を作って遊ぶ日々。周りの環境をフルに活用し、自らのアイデアを具現化するのが得意な子どもだった。
生まれつきのものづくり精神は、自身の進学にも影響を与えた。中学卒業後、周りと同じように大学受験を前提とした進学校へ進むことに興味を持てず、技術を身につけられる高等専門学校への進路を選択。関東の高等専門学校で唯一建築学科を持つ小山高等専門学校へ進学し、青春時代を設計技術の修練に費やした。
高等専門学校を卒業後、一級建築士の資格を得た柏瀬さんは、インフラ設備の維持管理に興味を抱き、電力会社に就職した。足利から都内の事業所まで通勤する日々だったが、東日本大震災を機に地元で職住を完結させたいという思いが強まり、足利市役所に転職。しかし、特に地元に対する愛着や興味が強かったわけではなかったという。
「そもそも転職するなんて思ってもいなかったですしね。特に望んで市役所に就職したわけでもなかったんですが、『せっかく市役所に勤めたからには、地元のためにいろいろやりたいな』と思って、地域支援の仕事をいろいろ手伝うようになったんです」
ちょうどこのころ足利市では、映画やドラマのロケーションを誘致する専門部署「映像のまち推進課」が発足。市内には渋谷のスクランブル交差点を再現したオープンセットが作られ、さまざまな有名作品のロケ地として全国から足利に注目が集まっていた。
ロケ地を巡る「聖地巡礼」のスポットとなり、移住した人もでてきた。しかし多くの移住者は足利市のどんな魅力に魅かれてきたのか、どんな暮らし方を求めているのかなど、このときの柏瀬さんにはわからなかった。
2016年、街への移住定住担当となった柏瀬さんは、名草地区へ移住する人々が増えているという話を聞いた。
名草地区において人口の大半を占めるのは高齢者。若者や子どもの数は少なく、商店も数えるほどだ。にぎわいを生むような要素がまったく思い当たらない。そんな場所になぜ、わざわざ外から人がやってくるのか。
気になった柏瀬さんは地区に住む人々のもとを訪れ、どんなところに魅力を感じているのか聞き取り調査を行った。
返ってきた答えに、柏瀬さんはハッとなった。
「豊かな緑に囲まれている」
「鳥のさえずりが聞こえ、動物たちの姿を楽しめる」
「広大な土地をタダ同然で使える」
子ども時代から足利で暮らす柏瀬さんにとって、当たり前の光景ばかりだったのだ。
かつての疑問に、答えが出た瞬間だった。
「自分たちにとっての当たり前こそ、外の人には魅力に映るのか」
改めて地元の魅力に気づいた柏瀬さんに、追い風となる出会いが訪れる。2019年4月、ひとりの女性が東京から地域おこし協力隊として移住してきたのだ。
彼女の名は後藤芳枝さん。いちどは都会暮らしに憧れ、生まれ育った群馬県を出て上京生活を送っていたが、いつしか田舎暮らしに憧れる気持ちがふくらんでいき、移住先を探していた。「住むなら北関東のどこかかな」。最初はそんな漠然とした考えだった。
浅草で開催された足利市の移住促進イベントに参加した後藤さん。二拠点生活を送るレザー作家の自宅兼工房が会場と聞き、興味を持ったのだ。
後藤さんはそのイベントで、「地域おこし協力隊」の存在を知った。地方自治体が都会からの移住者を受け入れ、1年から3年の期間、地域おこし活動に従事する「地域おこし協力隊員」として委嘱する制度だ。
住居は自治体が用意し、活動内容に応じた費用も支給される。さらに活動内容は、地域おこしにつながることであればどんなことでも良いという。
後藤さんのなかに、「足利への移住」という選択肢が生まれた。
「誰にも負けないようなスキルがあるわけではなかったのですが、平野で生まれ育った私には、山間部での生活にすごく憧れがあったんです」
しかも話を聞くと、東京から名草地区へ移住する人がとても増えているらしい。やっぱり自分のように里山暮らしに憧れている人がたくさんいるのだ、と親近感がわいた。
どんな活動をしたいかは、おいおい見つけられればいいだろう。憧れのライフスタイルへの扉をまずは叩いてみよう。思案するより早く、後藤さんは地域おこし協力隊へ申し込んでいた。
このイベントを主催したのは、他ならぬ柏瀬さんだった。後藤さんとの出会いを、柏瀬さんは興奮気味に振り返る。
「外からやってきた人々に名草地区の魅力を発見してもらおう、と考えていたのですが、実際に地域を盛り上げるまでの道のりは簡単ではないだろう、と思っていました。そんななか、後藤さんが地域おこし協力隊として移住し、名草地区で活動したいと言ってきたんです。『いろいろ模索しながら、名草地区で頑張りたい』って言ってくれたもんですからね。俄然、スイッチが入りました」
このほかに名草地区にUターンした農家さんや名草地区での活動に興味を持つ人たちと一緒に名草地区で地域おこし活動を行いながら名草地区の魅力を見つけていこう、と柏瀬さんは考えた。いまも続く地域おこしチーム「名草craft」が誕生した瞬間だった。
チームを作ったものの、いきなり壁に直面する。地域おこしをしたいが、なにしろ“おこせる”ものが思い浮かばない。まず、何をすればいいか考えるところから始めなければいけなかった。
移住者たちとの交流。農業の手伝い。思いつく限りのことは一通り行ったが、地域に関わる若い人たちの数がまだまだ少ない。このままだと活動が止まってしまうのではないか? この活動を続けるには大学生などの若い力と、大学など地域の外から客観的にみて、サポートしてくれる人たちの力が必要なのではないか? と考え、自分たちのもう一歩外側にいる人々に助けを求めることにした。
以前から足利市では、地域デザインに特化した「地域デザイン科学部」を構える宇都宮大学の学生らによる授業演習を受け入れていた。地域デザインという明確な視点を持つ彼らならば、自分たちにない知見を持ち込んでくれるのではないかと考えてのことだ。
思い立ったら即行動。柏瀬さんは、宇都宮大学の広報窓口に「授業演習だけでなく、名草地区の地域おこしにも全面的に協力して欲しい」と相談の電話をかける。しかし、期待とは裏腹に、その反応は芳しくなかった。当時の大学の相談窓口に、こうした地域共創を目的にプロジェクトを立ち上げる仕組みが整っていなかったのが理由だ。
協力の仕組みがまったくなかったわけではない。しかしこの当時、大学に寄せられる協力依頼といえば、共同研究や講師派遣など、地域から要望があった特定の教員とつなぐことがメインだった。すでに明確に決められた役割を担うことはあっても、ともに一から一緒に取り組む、という座組はいままでになかった。
正攻法の相談が難しいのならば、つてをたどるしかない。柏瀬さんは、以前受け入れた授業演習の担当であった、同大特任助教の坂本文子さんを頼ることにした。
当時の様子を坂本さんはこう語る。
「相談を受けたとき、柏瀬さんたちは『何がわからないのかがわからない』という状況でした。地域おこしに困っていることはわかったのですが、具体的に何に困っているのか、まだ言語化できていませんでした」
坂本さんはオンラインを通じ、柏瀬さんら「名草craft」の面々にヒアリングを重ねていった。考えつく限り名草地区に関して感じたこと、思い当たることを挙げてもらい、それらを行政施策と重ね合わせたキーワードの形に落とし込んでいくことで、地域おこしのテーマにつながるフックを探っていった。
そんななか、宇都宮大学の組織にも変革が生まれた。
既存の課題に対応する専門分野の教員を割り当てるというこれまでの方法を進化させ、食育学、建築環境工学、農業経済学の3つの専門分野の教員たちが各々の知見を通じて課題を解決しようとするプロジェクトが誕生。坂本さんが、分野間、そして地域と大学の間に入り、連携コーディネートを行った。
坂本さんは、ヒアリングで得られたキーワードを基に研究分野を絞り込み、 地域デザイン科学部、農学部の教員を招いて「名草craft」との共同研究プロジェクトを開始。各教員同士で連携しながら1年間をかけて名草地区を調査し、街のなかに隠れた文化を掘り起こしていった。
その結果、あるひとつの農作物が浮かび上がった。
名草地区で作られている生姜。その名も「名草生姜」だ。
名草生姜のルーツは、はるか鎌倉時代にまで遡る。初代征夷大将軍として活躍した武将・足利尊氏の重臣であった武将・南宗継が、いまの名草地区に生姜を持ち込み、栽培を始めたのだという。
もっとも、由来については諸説があるらしい。名草地区が特に生姜の発育に適した環境であったかというと、そういうことでもなく、漬物にして現金化しやすい作物として重宝されていた、というのが実際のところのようだ。現実はそこまでドラマチックではない。
とはいえ、長い間この地で栽培されてきたことは事実。名草地区とゆかりの深い作物であることは確かなのだ。
「そうと決まったら、生姜を深掘りしていきましょう。取り組むことで何かが見えてくるはず」
地域おこしのテーマが決まった。
後藤さんは地元の農家を訪れ、ともに生姜作りを始めた。これまで農業の経験はなく、真夏に一人で日中草刈をしていて地域の人達に心配されたこともある。最初こそ首をかしげていた農家の人々だったが、とにかくがむしゃらな後藤さんの姿を見て、さまざまな形で助言やサポートをしてくれるようになった。
後藤さんの取り組みが注目されるのに合わせ、柏瀬さんは名草地区の人々に説明会を開く。「生姜だなんて、そんな珍しいものかね?」「なんとなく作っていただけだけど……」と首をかしげる人も多かったというが、生姜の魅力を何度も伝えるにつれ、「名草の生姜、たしかに良いかもしれないね」と、取り組みを面白がる声が増えていったという。
宇都宮大学の参加も強力な追い風となった。授業演習で名草地区を訪れた学生たちが、フィールドワークを通じて名草生姜に関するインタビューを積極的に行ったことにより、古くから生姜を作り続けてきた農家の人々が、名草生姜の魅力を“再発見”する流れが生まれていったのだ。柏瀬さんは語る。
「自分たちにとっては当たり前すぎて『そんな、普通の生姜だよ?』と思っていても、外からやってきた学生さんたちがあまりに名草生姜について聞いてくるもんだから、『自分たちが作ってきた名草生姜って、実はすごいモノなのか?』と、その魅力を“逆輸入”の形で知るようになったんです。人から言われる、ということが重要なポイントだったんですね」
柏瀬さんも、この流れを最大限に活かした。名草生姜をはじめ、「名草craft」が進める最新の取り組みを載せた新聞を作り、回覧板に載せて地区内の全戸に配布。これまで直接的にかかわってこなかった人々の目にも留まるようになり、名実ともに名草地区を代表する地域おこしとして認識されるようになっていった。
名草地区の中と外をつなぐ関係作りにも奔走した。かねてから行ってきた移住促進イベントを通じて培った人脈を活かし、「あしかが輝き大使」を務める東京・南青山のナチュラルチャイニーズレストラン「南青山essence」のオーナーシェフ・藪崎友宏氏の協力を得て、火鍋スープ「名草生姜の薬膳火鍋」を開発。名草生姜が持つ刺激的でスパイシーな味を手軽に味わえる商品として通信販売で人気を博し、足利市のふるさと納税の返礼品にも採用された。
さらに、移住担当としてつながりを持っていた市内の飲食店の人々に名草生姜を使った料理レシピを考えてもらい、小冊子「おうちでかんたん 名草の生姜 お料理手帖」を制作。日常的に料理の食材として活用してもらう流れを作った。
バラバラだったすべての歯車が着実に噛み合うと、スピードも規模も加速度的に大きくなった。ゼロから始まった地域おこしは、名草地区の内外を巻き込んだ大きな波になった。
地域が本来持っていた魅力を言語化し、人々を巻き込んだ動きへ結実させていった名草地区の地域おこし。成功につながったカギは「外からの視点」を上手に取り込んだことと坂本さんは話す。
「地域のなかに流れる共通項を見つけ出し、それを認識すること。わかりやすく言えば、これまで名前のなかったものに名前を付けていく工程こそが大事なのです。さまざまな学術体系に基づく切り口を提供するということはもちろん、たしかな裏付けを持って、地域が持つ魅力を外から肯定するという意味で、大学が果たせる役割は小さくないと感じました」
地域おこしを推進する存在を表す『よそ者、若者、馬鹿者』。地域のしがらみにとらわれない価値観で外から魅力を見いだしてくれる人の存在、地域の人々にとっての常識にとらわれない取り組みの重要性を説いた言葉だ。この言葉を踏まえ、柏瀬さんは地域の目線から大学への期待を語る。
「地域が持つ本質的な価値は生活に深く結びついているからこそ、日々を送る側からは見えづらい。外から魅力を見つけてもらい、継続的な発展をつづけられるよう一緒に走ってくれる伴走者になってもらえたらと思っています」
そして、早川恵理子さんは名草地区の入り口に建つ酒屋跡を活かしたゲストハウス作りを進めている。早川さんは足利市からほど近い群馬県館林市の出身で、子どもの頃に両親に連れられて来た足利市の自然に憧れて足利市に移住。既に古民家を改装したゲストハウスを市内で運営している実績がある。名草地区の入口に建つ居酒屋跡は、いまは放置された家財道具やホコリで廃墟状態だが、ここをリノベーションし、外から訪れた人々が滞在しながら地域の人々と交流できる拠点にする計画だ。
買い物に行ったり、雨宿りをさせてもらったり、名草の人々はみんな何かしら、この酒屋での思い出があるという。地区が積み重ねてきた暮らしの歴史に外からの人々が交わるとき、また新たな魅力が発見されるのかもしれない。
取材・文 = 天谷窓大
編集 = 藤井みさ
撮影 = いしむらひろのぶ