地域の“素材”を活かすチョコレートに挑戦 常識外れの「沖縄産カカオ」誕生物語

2022.6.20 | Author: 川内イオ
地域の“素材”を活かすチョコレートに挑戦 常識外れの「沖縄産カカオ」誕生物語

ないない尽くしの男とチョコレート

 

「さあ、どうぞ」

 

5月某日、沖縄本島の北端に近い大宜味村(おおぎみそん)に本社を構えるOKINAWA CACAO(オキナワカカオ)代表の川合径(かわい けい)さんに誘われてビニールハウスに足を踏み入れると、そこには青々とした葉を茂らせた樹が何本も生えていた。ビニールハウスは野菜や果物を育てるイメージしかなかったから、ハウスの地面にしっかりと根を張った樹に目を奪われた。

 

「ここ、見てください」

 

川合さんが指さした先には、小さなラグビーボールのようなオレンジ色の実がなっていた。

沖縄カカオの農園でたわわに実ったカカオ

 

「これが、カカオです」

 

そういう川合さんは、とても誇らしげだった。それもそのはず。今、沖縄でカカオを栽培し、大きな果実が実るまで育てることに成功したのは、川合さんただひとりなのだ。

 

……と言っても、川合さんはカカオ農家ではない。2016年、沖縄発のチョコレートメーカーを目指して起業した川合さんにとって、沖縄でのカカオ栽培は数ある挑戦のひとつだ。

 

「OKINAWA CACAO」の収益の柱は、輸入したカカオを使い、自社工房で手作りしているオリジナルチョコレート。地元の大宜味村産のシークワーサーやカラキ(シナモン)、泡盛などとコラボしたチョコレートは、直営ショップやホテルなどで販売されている。

 

「オンリーワンのものが作りたかったんです。チョコレートは地域の素材を活かせるのがすごく魅力だし、沖縄産のカカオができたらさらに可能性が拡がる。想像したらめちゃくちゃ面白そうだったので、起業しました」

 

そう語る川合さんは千葉県出身で、もともと農業経験ゼロ、チョコレートを作ったこともなかった。チョコレート作りの経験なし、農業の経験なし、沖縄とは特に縁もなし。ないない尽くしの男がなぜ沖縄でチョコレートメーカーに?

 

憧れの職業に就いている人の意外な言葉

1996年、都内の高校を卒業した川合さんは、明治大学の農学部に入学した。この時から「食」や「農業」に興味を持っていたわけでなく、地球温暖化やまちづくりに関心があり、それらを含む環境について学べるのが、農学部だった。就職活動を始めたころも、環境に関係する企業で働きたいと思ったが、当時は選択肢がほとんどなかったという。

もともとは「食」「農」ではなく、環境やまちづくりに興味があった川合さん

「製紙会社に植林を行っている部署があって、面白そうだなと思い、説明会でその部署の人に話を聞いたんです。そうしたら、『社内では肩身が狭いんです。ほかの部署の人たちが必死に稼いだお金を使って木を植えても、1円の利益にもならないと言われていて』と話していて、驚きました。でも同時に、自分みたいな若造がきれいごとをいっても『偉そうなこと言ってないで、まずはちゃんと働いて稼げよ』と言われるんだろうなと実感したんですよね」

きれいごとを言えるようになるためには、ビジネスを覚えなければいけない。そう考えた川合さんは、最先端の成長分野で、若いうちから仕事を任せてもらえそうな会社にいこうと考えて、半導体の商社に入った。

その会社は勢いがあり、営業に就いた川合さんは充実感もやりがいも感じていた。しかし、心のなかでは自分の目指す道へ進むための過程と捉えていたから、20代後半に転職活動を始めた。その時、エージェントに言われた言葉に愕然とした。

「半導体業界なら、いくらでも年収アップ、待遇アップの案件はあるけど、あなたがやりたい業界は紹介できません。実績もないし、経験もないから。もしそういう会社を探すなら、自分で転職活動をした方がいいですよ」

 

転職先で自問自答の日々

若くて体力もある。やる気もある。それなのに、経験がないだけで、道が閉ざされるのか……。現実の壁に跳ね返された川合さんは、自分を鍛え直そうと、半導体の営業を続けながらビジネススクールに通い始めた。

そこで2年間、アントレプレナーシップ(起業家精神)を学び、最終日、日本の地方における持続可能なまちづくりに焦点を当てたビジネスプランを発表した。後日その日の講師をしていた著名な経営コンサルタントから「うちで修行しなさい」と声をかけられた。

「その先生には『どんな仕事をやっても人が関わる。人を知ることはすごくいい勉強になるから』と言われました。僕はビジネススクールでスキルを身に着けて自分がやりたい職に就くことばかり考えていたんですけど、人を知るのが先だと言われて、なるほど、と思いました」

2007年、半導体商社を辞めた川合さんは、人材育成、企業研修などを手掛けている経営コンサルタントの会社に転職。そこで、新規事業の立ち上げと運営を任された。

その事業は、起業を目指していたり、なにか目標を持って活動している人を募集し、実現のプランを磨くのをサポートして、最後に10分間のプレゼンテーション大会を行い、支援者を募るというもの。近年、盛んにおこなわれているスタートアップの「ピッチイベント」(ピッチ=10分前後の短いプレゼンテーション)に近いものだ。

このイベントは全国で開催され、事務局長に就いた川合さんは日本中を飛び回った。仕事をしながら、自問自答の毎日だったと振り返る。

夢を叶える応援をしながら、自分の夢を聞かれるとうまく答えられなかった。

「プレゼンテーションする人に伝えるのは、やりたいことをどれだけ具体的にできるかなんですよね。具体的な夢を持って、そのための準備をしなきゃいけない。いろいろな参加者と会って話をしながら、やっぱり自分は何者かって考えますよね。自分はどうなのか、偉そうなことを言える人間なのか、常に問われるんですよ。川合くんの夢は? ってよく聞かれましたけど、その時はうまく答えられませんでした。環境とか地方とか抽象的じゃないですか」

 

人生を変えたバレンタインデー

自分はいったいなにをしたいのか。この仕事で地方を巡っているうちに、曖昧だったものがハッキリしてきた。日本の地方の風景や伝統、文化はそれぞれ個性的で価値がある。しかし、それを守るために必要な担い手が不足している。もうひとつ、地域でなにか仕事を始めるなら、地域のなかで競合するべきではないとも感じた。切磋琢磨といえば響きがいいが、現実は小さなパイの奪い合いになる可能性が高い。

地域に仕事を作ることが、担い手を育てることになる。競合を避けるためにも、オンリーワンのものが求められる。オンリーワンといっても、誰も知らないニッチなものではなく、話を聞いた時にパッとイメージが湧いて、「面白そう!」と感じてもらえるものは、応援してもらいやすい。

それはなんだ? と考えていた時に、沖縄でコーヒー作りをしている人たちがいることを知った。気になって調べてみると、コーヒーの栽培に適した地帯を表す「コーヒーベルト」は赤道を挟んで北緯25度から南緯25度までのエリアで、北緯26度の沖縄本島はわずか1度だけ外れており、コーヒー栽培が不可能ではなかった。

コーヒーは地域と品種で味が異なり、地域ブランドが生まれている。「コーヒーが沖縄でできたら、確かに面白い」と感じた。

沖縄・国頭村の鏡地海岸

2012年2月14日、妻からバレンタインチョコをもらった川合さんは、パッケージを見てハッとした。産地が異なるカカオ豆で作られたチョコレートがいくつか入った商品だったのだ。食べてみると、確かに風味が違う。

「え、チョコもそうなの!?」

確かめてみると、コーヒーベルトと同じように、カカオにも「カカオベルト」があり、それは赤道の南北20度と書かれていた。この時、「沖縄でコーヒーができるなら、カカオもできるんじゃない?」という安易な発想で、気持ちが盛り上がった。

さらに検索を進めると、カカオだけではチョコレートにならないことがわかった。見方を変えればコーヒーと違ってカカオは「素材をプラスすること」が前提なので、地元の素材を加えれば地域ブランドを作りやすい。

「ということは、カカオが沖縄産じゃなくても、沖縄ブランドのチョコレートは作れるんですよ。農業って、時間がかかるじゃないですか。カカオは実がなるまでに4、5年かかるんですよ。栽培に成功してから仕事を始めようって言っても、それは無理ですから。でも、チョコレートなら、カカオを育てながら沖縄ブランドを先に作ることができる、これは面白い! と思いました」

それまで頭のなかでいろいろなアイデアが浮かんでは消えていったが、「沖縄でカカオ、沖縄でチョコレート」ほどワクワクしたものはなかった。自分の閃きに興奮した川合さんは、「早くやらないと、誰かにやられてしまうんじゃないか」と焦り始め、起業に向けて動き始める。

 

大宜味村の奇跡

2016年3月に起業すると決め、2015年後半から沖縄で事業の場所探しを始めた。仕事で沖縄には何度も行ったことがあったが、特に深い縁はなく、まさに体当たりだった。

「カカオとチョコレートという、自分自身にとっても沖縄にとっても実績も経験もない事業となるので、受け入れる側としては怪しさ満点ですよね(笑)。いくつかの行政や農業委員会の対応は、けんもほろろでした」

なかなかポジティブな反応を得られないなか、前職の知人を頼りに大宜味村を訪ねた時、農業委員会や集落の人たちに、自分のやりたいことを話した。すると、「じゃあうちの畑使っていいよ」という人が現れる、まさかの展開に。それならぜひ、という流れになって、大宜味村に拠点を置くことに決まった。

2016年3月、株式会社ローカルランドスケープを設立。大宜味村の田嘉里集落で一反(約990平方メートル)弱の畑を借りカカオ商社に「すごく品質がいい」と勧められたベトナム産などの種を輸入し、同年5月、2000鉢以上の種を蒔いた。起業の際、周囲から何度も「カカオなんてできるわけない、事業にならない」と言われたが、聞き流した。

種から芽吹き、ぐんぐん成長するカカオ。(写真提供:株式会社ローカルランドスケープ)

栽培するにあたってなにかヒントを得ようと、カカオを保有する熱帯植物園を見たり、カカオ苗を育てる生産者に会いに行ったりした。傍から見れば、農業の素人による無謀な挑戦だ。しかし、素人だからこそ常識や前例にとらわれず、突き進むことができた。

「前職で起業家の人たちと付き合っていたからわかるんですけど、1、2年で結果が出る事業なんてほとんどありません。しかもゼロから始めたとなれば、10年、20年と人生を懸けて、初めて芽が出るかもしれないぐらいの覚悟でやらないと。だから起業した時に、やるんだったらやり続ける、辞めないと腹をくくっていました」

カカオは18度以下になると、成長に影響がでると言われている。2000粒の種をビニールハウス栽培と露地栽培に分けて育てたら、露地栽培の苗は朝晩の気温が10度前後に下がる冬を乗り越えられず、次々と枯れた。しかし、ビニールハウスのほうは元気に生き延びた。

 

正直に作られた地元産素材の強み

このカカオ栽培と同時並行で、チョコレート事業も始めた。最初に地元の素材として目を付けたのは、シークワーサーとカラキ(沖縄シナモン)。シークワーサーは農薬を使用せずに栽培している大宜味村のカフェ「がじまんろー」の畑のものを使わせてもらうことになった。

大宜味村にて農薬を使わずシークヮーサーを育てているカフェ「がじまんろー」の畑(写真提供:株式会社ローカルランドスケープ)

カラキはオキナワニッケイというシナモンの木の一種で、沖縄では昔から葉をお茶として、根は泡盛に漬け込んで「カラキ酒」として親しまれていた。チョコレートに使うカラキは、同じく大宜味村の「Kugani Kitchen」で大切に育てられたものを仕入れた。

「Kugani Kitchen」が大宜味村饒波で生産しているカラキの葉(写真提供:株式会社ローカルランドスケープ)

後に、沖縄では日常的に使用されていて、カカオ畑の脇に生えている月桃(ゲットウ)の葉や、やんばる(沖縄島北部の豊かな森林が広がる地域)の地酒「やんばる酒造」の泡盛を使ったチョコレートも完成した。

チョコレートを作ったこともなかった川合さんは当初、「素人の手には負えない」と、製造をアウトソーシングしていた。素材を渡し、プロに作ってもらったチョコレートを仕入れて、ホテルや空港などに営業をかけた。沖縄の素材を使ったチョコレートはほかになく、基本的に好反応で、少しずつ卸先が増えていった。

起業して最初の二年間は人材育成の事業を請け負い、カカオ・チョコレートと兼業で事業を行っていた。しかしチョコレート製造を外注し、卸販売をしても利益がほとんど残らず、このままでは経営がとても苦しくなる、そう限界を感じた川合さんは、チョコレートの自社製造に切り替えることを決意。ほぼ独学でチョコレート作りを始め、地域の住民やお客さんなどいろいろな人から意見を聞いて、試行錯誤を重ねた。その時に感じたのは、地元産のこだわりの素材を使ってきた強みだ。

「僕の腕は、修行された方には敵いません。でも、うちは地元で正直に作られた圧倒的に良い素材を使っているんですよ。ほかに余計なものは入れていないから、その素材の味そのものを楽しめるということを、一番の売りにしました。無理をして難しいことをするよりも、質のいい素材の味をちゃんと表現できれば、おいしいねって言ってもらえるとわかったんです」

地域の食材にこだわったチョコレート

 

「胸のドキドキが止まらない。チムドンドン」

2018年9月から自社製造を始めた川合さんは、その時の気持ちを、こう表現する。

「もう背水の陣です。これがダメだったら人生終わるって感じで、命がけですよ、本当に」

翌年7月には、大宜味村のすぐ隣りに位置する国頭村にある工房を改装し、チョコレートとカフェメニューなどを提供する「OKINAWA CACAO STAND」をオープンした。

地元の住民も観光客も立ち寄る「OKINAWA CACAO STAND」

国道沿いの目立つ場所にあるが、広告を打っていないため、オープン当初は「こんな店、あるんだ」という反応だった。それが少しずつ口コミで広がっていき、立ち寄ってくれるお客さん、目的地として目指してくるお客さんが増えていった。客層は観光客と沖縄の人が半々というから、沖縄の人たちにも受け入れられたのだ。ふるさと納税の返礼品にも採用されて知名度が上がり、ショップができたことで売り上げも伸びた。

チョコレート事業で少しずつ成長しながら、カカオの栽培も続けていた。ひとつの栽培方法に統一すると、なにか起きた時に全滅しかねない。なんのノウハウもないなかで、土壌や日射量などの条件を変えて観察することを繰り返した。台風に襲われ、ビニールハウスが倒壊した時のブログには「俺たちのカカオよ、大丈夫か!胸のドキドキが止まらない。チムドンドン。」と記されている。

無農薬栽培をしているため、毎年、タイワンキドクガの幼虫が大発生し、葉っぱを食い荒らす。それを一匹、一匹、手作業で駆除していった。それでも、なにかしらの理由で枯れてしまうカカオが出てくる。2016年に植えた2000鉢が、100鉢、200鉢とどんどんダメになっていった。前述したように、カカオが実をつけるまでには4、5年かかる。もし全滅したら、種まきから始めなくてはならない。なんとか生き長らえそうと、川合さんとスタッフは知恵を絞った。

その努力が、ついに実る。200鉢が見事に生き残り、2021年1月、カカオの初収穫を迎えたのである。大きな実は700グラムにまで育ち、実を開けるとぎっしりカカオ豆が詰まっていた。その年は最終的に60個のカカオが採れて、ブランド名の「OKINAWA CACAO」を実現したのである。このニュースは、沖縄のメディアでも報じられた。

カカオの手入れをする川合さん

 

沖縄産カカオ100個超を収穫

一方、バレンタインシーズンなどに県外の百貨店に出店したこともあり、小さな工房の製造力は限界に達していた。そこでカカオ畑のある田嘉里(たかざと)集落に、新しい工房兼カフェを作ろうと決意・2021年末よりもともと拠点にしていた一軒家を改装し、工房を拡張、合わせて集落を眺めるカフェを今年5月にオープンした。取材の日に訪ねると、古くからの古民家をリノベーションしたというその建物は、東京にあっても流行りそうなデザインのお店になっていた。

「イメージは、2階建てのスタバですね。1階で飲み物、食べ物を買ってもらって、2階のカフェスペースでくつろいでもらいます。テラス席もあって、すごく気持ちいいスペースですよ」

今年5月にオープンしたカフェ兼工房

琉球大学で作られているハチミツを使用したグラノーラや、今帰仁村(なきじんそん)で採れたスイカなどのドライフルートをチョコレートでコーティングしたものなど商品数が増えていることもあり、チョコレートの製造はより広い工房兼カフェに移り、「OKINAWA CACAO STAND」は軽飲食などのメニューを充実させるという。

製造量を増やせば、地元の素材を買い取る量も増える。売り上げを伸ばせば、今いる社員3名、パート2名の従業員もさらに増やせる。これが、会社員時代から川合さんが目指していることだ。

「地域のためと考えた時、その地域に根差しながら雇用を増やすことが一番だと思っています。そのうえで新しい可能性を拓いていくためにも、メーカーとして強くならなければ」

新しい可能性――今年は、100個を超えるカカオが実った。今(6月2日現在)は、そのカカオの発酵を終え、天日に干している。間もなく、「自社栽培・沖縄産カカオ100%のチョコレート」が誕生する。

今年収穫したカカオ(写真提供:株式会社ローカルランドスケープ)

これからも日々工夫と改善を重ねカカオの樹が成長すれば年々、収穫量は増えていく。これから新たにカカオの樹を植えることも計画中だ。

夢物語を語る男を受け入れてくれた沖縄が、いずれチョコレートの名産地になるのかもしれない。

取材・文・撮影(提供以外) = 川内イオ
編集 = ロコラバ編集部

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