「親切な冷蔵庫」が生んだ“善意の循環” 高齢化地域のフードロス削減に挑む本川誠さんの道のり|大阪府大阪市東淀川区

2022.11.14 | Author: 池田アユリ
「親切な冷蔵庫」が生んだ“善意の循環” 高齢化地域のフードロス削減に挑む本川誠さんの道のり|大阪府大阪市東淀川区

大阪市東淀川区の街角に置かれた、風変りな冷蔵庫――。

 

扉には、「余った食材を自由に入れたり、勝手に取ったりしてOKな冷蔵庫」と書かれてある。

 

設置したのは、区内で学習塾や総菜屋を営みながら、町の高齢化やフードロスなどの地域の課題に取り組んでいる本川誠(ほんかわ まこと)さん。なぜ本川さんはこのような活動を続けているのだろうか。その理由は、壮絶な原体験の中にあった。

阪急淡路駅から淀川に向かって15分ほど歩いていくと、まるで白い波のような形をしたマンションに辿り着く。1970年代に建てられたこの大規模マンションは、現在、約1400世帯が住んでいるという。

そのマンション内にあるのは、地下ショッピング街「ショッピングタウン エバーレ」。住人が高齢化している影響で空き店舗が目立つショッピング街の入口には、カラフルにデコレーションされた冷蔵庫がある。冷蔵室の扉を開けると、数種類の惣菜が入った青い蓋の密閉容器が詰まっていた。

名前は「親切な冷蔵庫」。利用後、横の棚に容器を返却するシステムだ。

すると、60代くらいの女性が自転車を押しながらやってきて、冷蔵庫の扉をまるで自宅の冷蔵庫のごとく開けた。なかに入っている容器をひとつ取り出し、足早に去っていく。気に留める人は誰もいない。

この冷蔵庫に入っているお弁当は、平日の昼間に営業している総菜店「ばんざい東あわじ」で売れ残ったものだ。

考案したのは、「株式会社Snailtrack」代表の本川誠さん。

「総菜店で余った食料を困った人へ無料で提供すれば、フードロスの削減にもつながる」

そう思った本川さんが設置した「親切な冷蔵庫」は、生活に困窮するなどのさまざまな事情を持つ人が使っている。その利用者たちとは、あえて顔を合わせないという。いったいなぜだろう?
「親切を受け取った人に、無理に会う必要はないんです」と、本川さんは答えた。

「余裕がない時、ご飯を恵んでくれる人に目を見て『ありがとう』って言う行為が、いかに勇気を振り絞らないといえないことなのかっていうのを、僕は幼いころに体感していて……。だから、しんどい思いをしてる人に、接点を求めちゃいけないと思ってるんです。誰にも会わずに、そっと持っていける機能があってもいいんじゃないかなと思います」

そう語る本川さんは、昔を思い出しているかのように遠くを見つめた。勇気を振り絞らないと言えない「ありがとう」とは、どういうことだろうか――。本川さんの足跡を振り返ろう。

本川誠さん。トレードマークは、その日の気分や状況によって着用する「TPO Tシャツ」。

 

大人が敵になった日

本川さんは1976年、大阪府堺市に生まれた。子どものころは自他ともに認める「乱暴者」だった。幼稚園時代、同級生らのズック(園児用の制服)を破って、母親といろいろな家に謝りに行くほど。まるでジャイアンのような暴れ具合に、両親を含め大人たちは手を焼いた。

小学校に上がると、家庭の困窮から今度はいじめを受けるようになる。

「どうやったら、いじめられなくなるんやろ?」

そう思って思いついたのは、「いじめる側にいくしかない」だった。

同級生を片っ端からいじめるようになると、その非道ぶりに担任の先生から「鬼の子」と呼ばれるようになる。

小6になると、父からくすねたタバコを持参し、わざと男子トイレで火をつけた。本当にタバコを吸っていたわけではない。吸う真似をしていたのだ。だがその効果は絶大で、周りから「あいつ、やべぇ」と一目置かれ、いじめはピタッと止んだ。

しかし、今度は教師からの厳しい折檻がはじまった。

ある日の朝、同学年の担当教師たちから職員室に呼び出され、囲まれた。教師たちは本川さんのいたずらを指摘し、出席簿の角でひとりずつ頭を小突いていく。その日以降、行き過ぎた指導は毎朝繰り返された。本川少年は痛みに耐え続けるも、目には涙があふれた。

最も辛い経験は、卒業式後のホームルームだった。

「担任の先生から、図工の授業で作ったオルゴールをひとりずつ受け取るセレモニーがあったんです。僕はグレてるなりに親孝行したくて、それをプレゼントしようと思いました。それで母の好きな曲を選んで、先生に預けました。当日、僕だけ名前が呼ばれず、オルゴールも渡してもらえなかったんです。もう悔しすぎて、机に突っ伏してみんなの前で泣いちゃいました。それが卒業式の日ですからね。僕からしたら、大人が敵になった日です」

 

まるで漫画のような「不良の集まる学校」

中学校に進学した本川さんは、勉強に目覚める……こともなく、不良の先輩たちとつるむようになる。「高校に進学するにはテストを受ける必要があることを中3の2学期まで知らなくて、慌てて受験に臨みました」と本川さん。ギリギリで滑り込んだのが、大阪市の工業高校だった。

しかし、その高校は漫画『クローズ』に出てくるような、ヤンキーが集まる学校だった。入学して数か月後には、10名のクラスメイトが学校を辞めた。周囲に負けず劣らずグレていた本川さんも悪さがバレて、高3に上がるころに無期停学になってしまう。

高校生のころの本川さん。(提供元:株式会社Snailtrack)

学校に通えず時間を持て余していたある日、幼なじみの友人から「ガソリンスタンドで働いてるんだけど、おもしろいよ」と聞く。

「そこまで言うなら、やってみるか」と、本川さんは近所のガソリンスタンドでアルバイトを始めた。そこで本川さんは、話術の才能を開花させる。

アルバイトを始めてから半年後、油外(ガソリン以外の洗車やタイヤ交換などの売り上げ)で店内トップの成績を出したのだ。先輩のセールストークを盗み聞き、商品の性能を必死に覚えた成果だった。その努力は「バイト仲間の女子にモテるため」だったが、本川さんは「やれば結果が出る」という実感をおぼえた。

 

両親の涙

高3の夏、隣町に新しくできたガソリンスタンドで働くことになった本川さん。社員に誘われ、全国のガソリンスタンドの「接客コンテスト」で見事優勝を果たす。

「すごい接客をするヤツがいるらしい!」

と噂が広まり、本川さんを一目見ようと他店舗から見学者が何人も来た。提携先の会社経営者たちからは、「高校卒業したら、うちに入らない?」と声を掛けられるようになった。

当時の思いを、本川さんはこう振り返る。

「それまではもう、社会に疎まれることしかしてこなかったし、大人からは嫌われるか、いじめられるかでしたから。でも仕事を頑張って自分の見え方が変わると、こんなに周りの大人って変わるんだって思いましたね」

ある日、ガソリンスタンドでいつも通り仕事をしていると、赤い軽自動車が入ってきた。

「いらっしゃいませ!」と満面の笑顔で対応し、窓が開くのを見届ける本川さんはハッとした。その車の主は、両親だったのだ。2人とも、目には涙を浮かべていた。

「『あの誠が……』みたいな気持ちだったんでしょうね。生まれて初めて親孝行できた気がしましたよ」

その後、退学の危機に見舞われるも、なんとか高校を卒業。その頃には、もうすべての大人を敵とは思わなくなっていた。

 

転職の末、新聞販売店へ

高校を卒業した後、本川さんはアルバイトを含めて24回ほど転職した。いったい、なぜそんなに働く場所を変えたのだろうか?

「自分の性格上、なにかしらのお山の大将にならないと、ヤクザかチンピラになるしかないと思っていて(笑)。『この仕事は独立できるか?』 という視点で業界探しをしていたんです。いろんな会社で働きながら、最後にたどり着いたのが新聞販売店でした」

1999年、23歳の本川さんは新聞販売店に入社し、持ち前のバイタリティーを活かして2年で店長に昇進。その後、堺市で独立して「Snailtrack」を立ち上げ、拠点を東淀川区に移す。

本川さんは怒涛の勢いで東淀川区のエリアの家々を周り、「うちで新聞を取りませんか?」と営業をかけた。ときには、「新聞は何カ月無料」「洗剤をプレゼント」などのお得なキャンペーンで売り込み、新規顧客数はどんどん増えていった。

2012年には、毎年開催される新聞販売店の売り上げを競う全国コンテストで、1店舗のみに与えられる「最高賞」を獲得。

充実した日々を過ごしていると思いきや、本川さんの心の中は「むなしさ」があった。

「新聞販売の営業はいわば人海戦術です。いわゆるサービス合戦で、町の人との信頼関係が見えづらくて、やりがいを感じられなくなっていました。会社名を『Snailtrack』にしたのは、『カタツムリの足跡のように、ゆっくりでも足跡が残るような仕事をしていこう』と思ったからです。なのに、他の販売店とドンパチしてる……。そのことに矛盾を感じたんです」

 

自分の興味や関心がガラッと変わった瞬間

2014年、購読者の高齢化や若者の新聞離れに伴い、どの店も新聞販売だけでは厳しい状況が続いていた。そこで提携する新聞社から、「本業のプラスになることなら副業OK」というお達しが出た。「待ってました!」とばかりに本川さんは、自分なりの新しい事業を展開しようとアイデアを模索。

当時、他の販売店では牛乳配達やウォーターサーバーの設置などを副業にすることが多かったが、本川さんは同じことをしようとは思えなかった。「売り上げに走るのではなく、支えてくれた方々へ恩返しする事業をしたい」と考えたからだ。

そこで始めたのが、30分500円で家の困りごとを手伝うサービス「いえサポ!」だ。奈良県生駒市で家事代行サービスを行う販売店から、ノウハウを教えてもらったことから事業が始まった。

さっそく新聞の折り込みチラシを入れて告知したが、初月の依頼はたったの2軒のみ。しかも、「電球の交換」と「タンス運び」というシンプルなもの。「みんな、あんまり困りごとはないのかな?」と案じつつも、その2軒の注文をこなす。その後、依頼者とのツーショット写真や作業風景を翌月の折り込みチラシに載せた。

すると、一気に50件の依頼が殺到。最初は様子見だった人たちも、「この程度のことを頼んでいいなら、私も頼もう」と思ったのだろう。本川さんはあまりの数に驚きつつも、町中を駆け回った。

依頼者の家の庭を清掃するスタッフ。(提供元:株式会社Snailtrack)

とくに多かったのは、独り暮らしの高齢者からの依頼だった。

「普段、頼る人がいない年配の方からの困りごとが多かったです。ゴミ屋敷や孤独死の現場に遭遇したこともありました。僕らが出会ってないだけで、助けが必要な人たちが町の中にいくらでもいるんですよね。自分の興味や関心がガラッと変わった瞬間でした」

最初は簡単な注文ばかりだったが、エアコン洗浄や浴槽の裏側の掃除など、徐々に高度な技術が必要な依頼になった。そこで、2015年に本格的なハウスクリーニング事業を立ち上げる。価格は高くなったが、常連客からの注文は途切れることがなかった。

この副業により、本川さんの新聞販売店の売り上げはさらに伸びた。東淀川区の住民からは、「お願いしたら手伝いに来てくれる親切な会社」と認識されるようになる。

 

まかない付き学習塾の誕生

本川さんは、若い年齢層にも目を向けた。自身も4姉妹の父として子育てに奮闘する日々を過ごしており、「お父さん、お母さんはきっと悩みがあるに違いない」と考えたのだ。

ともに働く妻由佳さんと。

そこで、町の子育て世代に向けて、「なにか困りごとはありませんか?」とアンケートを取ると、意外な回答が出た。

「地域柄でいうと、塾に行かせるのが厳しいとか、もっと金銭的な悩みが多いと思ったんです。でも蓋を開けてみたら『子どもとゆっくりした時間が取れない』という人が多かった。たしかに、『宿題やったの?』ってガミガミ言ってたら、家族団らんなんて難しいですよね」

そこで、2016年、空き店舗が目立っていたマンションの地下ショッピング街「エバーレ」に、子どもたちが放課後に学んで遊べる場所「しゅくだいカフェ」と、まかない付きの学習塾「朝日塾」を開業した。この場を拠点にしたのは、エバーレの館長から「ここを盛り上げてほしい」と誘われたことがきっかけだった。

その後、本川さんは新聞販売業を離れ、東淀川区の地域課題に専念するようになる。

学習塾のまかないや惣菜を作っているキッチン。

 

スペシャリスト・飛田さんの鶴の一声

2021年1月、学習塾の上階マンションに住む1400世帯の住人の生活を支えてきた地下ショッピング街のスーパーマーケットが突如閉店した。これに危機感を覚えたのは、本川さんと活動を共にしていた飛田(ひだ)さんだった。

子どもたちに勉強を教える飛田さん。(提供元:株式会社Snailtrack)

飛田さんの本業は整体師で、同ショッピング街で整体院を運営しているが、塾講師の経験と食生活アドバイザーの資格を持っている逸材。学習塾を設立する際、本川さんが「この人しかいない!」と思ってスカウトした男性だ。

飛田さんは、本川さんに切々と訴えた。

「マンションにはひとり暮らしの高齢者も多く、手押し車や杖を突いて歩くシニアの方には隣町のスーパーを往復するのは大変です。ご近所さんと顔を合わせて挨拶するようなコミュニケーションもなくなってしまいます。だから、ほんさん(本川さんの愛称)、総菜屋をやりましょう」

飛田さんの強い思いに突き動かされ、本川さんは「うん、やろう!」と二つ返事で行動に移した。

2021年3月、ショッピング街にある「しゅくだいカフェ」の空いているスペースを活用し、持ち帰り専門の総菜店「ばんざい東あわじ」を開店した。

話し合いから、およそ2カ月で完成という急展開。飛田さんは店の仕組み作りや日々のメニュー作成のために、休みなしで準備を進めた。本川さんもブランディングやプレスリリースなどの広報活動に力を注いだ。

その後、この取り組みは住民のニーズを捉えた。10種類以上の総菜が並ぶ店内は、毎日約50人の高齢者や子育て世代の常連客で賑わうようになった。

10種類以上の総菜が並ぶ店内。(提供元:株式会社Snailtrack)

人気の理由のひとつは、量り売り1グラム1円という破格の値段。500グラム以上は「専用容器にどれだけ入れても540円」という設定もうれしい。

「安くて栄養バランスも取れるから、すっかりファンです」
「子どもが食べられるごはんがいっぱいある」
「どれもおいしい!」

と、マンションの住民を含めた地域の人たちから喜ばれた。

このような値段設定で続けていけるのだろうかと心配になるが、お釣りをすべて寄付する方がたくさんいるという。

また、本川さんは「Snailtrack」だけでなく、エシカルに掃除をするハウスクリーニング事業会社「株式会社 エシカルノーマル」も手掛けており、すべての事業が成り立つようバランスを取っている。

ただ、ときには赤字を本川さんが補うこともあり、「三方良し、四方良しになる方法を模索しているところです」と語った。

 

「親切な冷蔵庫」

「ばんざい東あわじ」は、地方紙の新聞を皮切りに50社以上の新聞やテレビ局に取り上げられた。NHKの全国ネットの番組でも放送され、視聴者から賛同の声があがる。

メディアに取り上げられるなかでひと際注目を浴びたのが、ショッピング街の入り口に設置された「親切な冷蔵庫」だ。

きっかけはネットニュースで、海外で生活困窮者らに無料で食料を提供する「公共冷蔵庫」の取り組みがあることを知ったからだった。

「これは使えるかもしれない!」

本川さんは閉店したスーパーから冷蔵庫を譲り受け、知り合いの聾唖(ろうあ)デザインチームにペイントをお願いし、総菜店の開店にあわせてショッピング街の入り口に置いた。

冷蔵庫にペイントを施してくれた方と。(提供元:株式会社Snailtrack)

平日午後2時、総菜店が閉まった後、売れ残った総菜を詰めたお弁当が冷蔵室にストックされる。1日あたり10パック前後を入れるが、夕方にはすべてなくなるという。

また、下の段には近所の人たちが余った食料品を入れることができる。消費期限や安全性を慎重に見極めながら活用しているそうだ。

冷蔵庫に取りに来た人と、直接話をすることはないが、空になったパックの回収箱のなかには、「収入が減り、とても助かりました」「介護と仕事との日々のなか、ありがたく頂いています」と、心温まるメッセージが添えられていることもある。

惣菜店には、常連客が「よかったら使って!」と直接食料品を渡しにやって来るという。また、フードロスの問題に関心のある学生や、本川さんの思いに共感した人のボランティアの登録は、35名を超えた。本川さんの行動が、多くの人たちの“善意の循環”をつくったのだ。

調理をサポートするボランティアの皆さん。(提供元:株式会社Snailtrack)

 

子どもたちに残したい世界を探す

取材が終わりかけた午後3時、「ばんざい東あわじ」には、たくさんの子どもたちが集まっていた。「しゅくだいカフェ」の時間が始まったのだ。

机には小学生の男の子たちがランドセルからドリルや教科書を広げており、私を見つけると、「カメラマンに撮られる! 逃げろ~!」と、おどけた声で顔を隠した。そばで本川さんがニコニコと笑っている。「なんて素敵な光景だろう」と思った。

「『ばんざい東あわじ』のボランティアは、無料でまかないが食べ放題なんです。それで、夏休みになると給食がないので、1日1食になってしまう子が少なからずいるんですけど、その子たちが店にバーっと入ってきて、『ちょっと手伝おうか?』ってくるわけです。『じゃ、ちょっと出し巻き卵運んで』ってお願いすると、胸張って入ってくるし、率先して手伝った後、おいしそうに食べるんです。恵んでもらったからじゃなく、働いた対価ですからね。だから、いつもよりたくさん食べるんです(笑)」

地域住民の困りごとを引き受ける事業を展開してきた本川さん。尋常ではない行動力に驚きつつ、「まるで、幼少期の自分を癒しているようですね」と伝えた。

すると、本川さんは少し眉尻を下げながら言った。

「僕の活動は、目の前の誰かのためにやってるわけじゃなくて、あの日の自分のためにやってることが多いんです。だから、人に『ありがとう』って言われるとこしょばいんです(笑)。今も、(苦悩やトラウマについて)解決してないことがいっぱいあると思います。自分のなかでは乗り越えたつもりでも、取り返せてないというか……。だからこそ、人生の後半戦は誰かの役に立ちたい。それは、子どもたちに残したい世界を探してるっていうのとイコールなんだろうなと思ってます」

 

取材・文・撮影 = 池田アユリ
編集 = 川内イオ

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