「誰もが参加できる農業を」世界中の人が訪れる唐辛子農園ができるまで|埼玉県さいたま市

2023.8.31 | Author: 白石果林
「誰もが参加できる農業を」世界中の人が訪れる唐辛子農園ができるまで|埼玉県さいたま市

浦和駅から20分ほど車を走らせると、大手チェーンの飲食店やホームセンターなどが立ち並ぶ市街地の景色から一転、周囲の風景が緑色に変わる。

 

さいたま市の「見沼田んぼ」と呼ばれる広大な緑地空間にある、唐辛子専門農園「合同会社十色(といろ)」。「職業、年齢、国籍、障害の有無などに関わらず、いろんな人が参加できる農業をやりたい」という想いを持つ女性3人で営んでいる。

 

世界の唐辛子、約50品種を扱う同園には、バヌアツ、モーリシャス、中国などさまざまな国の唐辛子好きが訪れる。

 

また、使われていない農地を活用した農業体験イベントでは、2022年、延べ1700名の参加者を動員。2023年は2000人を超える見込みだ。

 

唐辛子栽培のノウハウがない状態から新規就農した十色の代表・サカール祥子(さちこ)さんに、わずか3年で辿り着いた現在までの道のりを聞いた。

唐辛子に見出した「エンターテイメント性」

「これが、私たちが唐辛子を作るきっかけになったスパングルスです」

サカール祥子さんは、畑で唐辛子をぷちっともいで、私の手のひらに乗せてくれた。

スパングルス。熟すにつれて赤色に変化していく

ほおずきのようにコロンとした形で、赤く色づいている。一見、唐辛子には見えない。

かじってみると肉厚で、なんとも甘くフルーティな香りがする。あとを追うように、じわじわと辛みがきた。

「見た目が可愛いし、食べたことがない味がしますよね」とサカールさんは笑顔を見せる。

サカール祥子さん

唐辛子専門農園を営む十色だが、実は「3人とも辛いのが苦手」。はじめから唐辛子を栽培しようと決めていたわけではなく、いくつもの作物を試して唐辛子に行き着いた。

 

「見沼田んぼ」は沼地で、土壌の保水力が高いため里芋や大根などの栽培に適している。サカールさんたちも最初、里芋や空豆、スナップエンドウやグリンピースなど、複数の作物の栽培にチャレンジした。

「里芋などの作物は重いし収穫が大変。水で泥を落とす作業もきついし、設備投資の負担も大きいんです。グリンピースなどの豆類はすごくおいしいんですけど、おいしい止まりなんですよね。品種が全然出てこないし、盛り上がりに欠けたというか」

設備投資の負担が少なく収穫も簡単な唐辛子を、試験的に栽培した。辛いものが苦手な3人は、辛さが控えめな唐辛子の品種を選んだ……はずだった。

栽培に成功したのは、見た目がカラフルで可愛らしい「スパングルス」と「ビキーニョ」。ビキーニョをかじってみると、希望通り辛さが控えめ! 「いいんじゃない!?」と3人のテンションが上がった。

(左から)松葉さん、サカールさん、釘宮さん(写真提供:合同会社十色)

続いて、スパングルスをかじると……「か、辛い!」。

収穫したスパングルスの扱いに困ったサカールさんは、交流のあったフードデザイナーに「周りで食べたい方いらっしゃいますか?」と連絡。すると想定外のことが起きた。

「その方がSNSを通じて呼びかけてくださったんです。そしたら、欲しいって言ってくださる方が想像以上にたくさんいました。スパングルスは生でも食べられる唐辛子なんですが、ラーメン屋さんが、刻んだ赤玉ねぎの代わりにスパングルスをラーメンに乗せたレシピを考案してくれたりして。また世界では唐辛子を生食する料理が多いようで、外国人の方々も集まってくれました」

唐辛子の需要の高さに驚き、品種を調べてみると、なんと世界には3000種類以上の唐辛子があった。そして、日本の唐辛子の自給率は約10パーセントと低いことを知った。

サカールさんは、日本での競合が少ないこと、そして唐辛子が世界中で親しまれている食材であることに大きな可能性を感じた。

さらに調べてみると、江戸時代に見沼田んぼで唐辛子を生産販売していた記録があったのだ。

「見沼田んぼで唐辛子を復活させるって、面白いかも!」

唐辛子にエンターテイメント性を見出したサカールさんは、里芋や豆類などの多品種少量生産をやめ、唐辛子専門農家として舵を切った。

ところで、そもそもなぜ見沼田んぼで農業をやろうと思ったのだろう? サカールさんが唐辛子農家として独立するまでの軌跡を辿ってみよう。

唐辛子は、里芋などの作物と比べて収穫が簡単

 

「いろんな人が参加できる農業をやりたい」という想いの原点

サカールさんは転勤族の親のもと、全国各地を2、3年おきに転々としながら暮らした。「産まれた時からそんな暮らしだったので、地元と呼べる場所がないんです」と話す。

「転校を繰り返す中で、『外から来た人』と扱われることがすごく多かったです。地方の学校に転校した時、私が標準語を喋ってるだけでよそよそしく接する先生がいたりして、人間関係を築くのに難しさを感じることもありました。幼い時から、文化の違いを拒絶する人の姿を目の当たりにしてきたんですよね。それって楽しくないし、分け隔てなくみんなで過ごせたらいいのに、とずっと思っていました」

人生で初めて定住したのは、見沼田んぼのあるさいたま市。移り住んだのは、中学3年生の夏休みの終わりだった。「高校を転校するのは大変だから」との配慮から、父親が単身赴任を選択したのだ。

さいたま市で高校生活を過ごし、東京農業大学に進学したサカールさん。いつから農業に興味を持ち始めたのですか? と尋ねると、「本当は生物学をやりたくて、農業にはまったく興味がなかった」と笑った。

「高校の生物の先生が面白くて、生物学を学べる国立大学を受験していたんですが、全滅。両親から『君は浪人しても勉強しないと思うから、どこかしら現役で進学した方がいいよ』と言われて、それもそうだなと(笑)。少しでも生物に関係のあるところが良いなと、東京農大を受験したんです」

 

「障害者福祉」の中に見た共通点

東京農業大学の造園科学科に進み、農業ではなく、高齢化が進んだ地方の町並みをどう保全していくかを学んでいたサカールさん。農業との出会いは、大学院に進学した1年目の夏、ふいに訪れる。

ある時、研究室の後輩が「最近、面白いところを見つけて通っているんです」と話しかけてきた。詳しく聞くと、サカールさんの実家近くの見沼田んぼにある福祉農園だと言う。福祉農園は、障害者が農作業を通じ、体を動かしたり周りの人と交流したりするための場所だ。

さいたま市に住んでいながら見沼田んぼの存在を知らなかったサカールさんは、「そんなに面白いなら行ってみるか」と足を運んでみた。

当時のことを、こう振り返る。

「自分の町にこんな広大な緑地空間が残されていたのかと、大きな衝撃を受けました。それに、体を動かしながらいろいろな人と関われる農作業がとても楽しくて、ボランティアとして通うことに決めたんです」

就職氷河期真っ只中の24歳のころ、自分の進路に迷っていると、福祉農園で出会った障害者福祉施設のうちのひとつが求人を出していることを知った。

募集要項は「イラストレーターが使えること」と「障害者福祉の学校を出ていないこと」。

サカールさんは大学時代、まちづくりを学ぶ過程でデザインのスキルも身につけていた。イラストレーターの扱いには慣れている。

なぜ「障害者福祉の学校を出ていないこと」が必要なのだろうと不思議に思いつつも、「チャレンジする価値がある」と感じたと言う。

「障害がある人たちに働く場を提供し、しっかり稼いでもらおうという事業内容に惹かれました。私は大学で、 高齢化で寂れてしまった地域の景観をどう残していくかを学んでいたのですが、障害者の労働問題に通ずるところがあって。どちらも根っこの問題は、資金不足と人材不足だと感じていて、興味がわいたんです」

すぐさま応募すると、とんとん拍子に内定を得た。応募条件が「障害者福祉の学校を出ていないこと」だった理由を聞き、それも入社の決め手となった。

「立ち上げメンバーのうちのひとりは、身体障害がある当事者だったのですが、福祉の学校を出た人は障害がある人のことを『障害者』として扱いすぎると感じていたようです。対等な付き合いがしたくても、『どんなケアが必要か』が先行してしまう。そうではなくて、一緒に仕事ができる仲間を探していたと言ってました。 バックグラウンドに関わらず対等に接してほしいという思いは、幼いころ転校を繰り返していた私にはすごくしっくりきたんです」

 

心のモヤモヤが独立への道しるべに

サカールさんは、看板の施工や印刷物の制作をしている就労継続支援A型事業所に勤務した。就労継続支援A型事業所は、一般企業での就労が困難な障害者が、雇用契約を結び、支援を受けながら働ける場所だ。

「看板や印刷物のデザインをしながら、障害があるスタッフに仕事を教えていました。スタッフの人数が少なかったこともあり、適材適所を見極めて、その人に合った作業をしてもらうことが大切だと学びましたね」

在職中、ハンガリー人の夫と結婚、出産をしたサカールさん。子どもが1歳になる年の3月まで育休をもらったが、保育園がなかなか見つからず、職場復帰が遠のいた。

「これ以上育休を取るのは申し訳ない……。そろそろ次の職場を探すべきだろうか」とぼんやり考え始めた時、たまたま訪れた市役所で、学生時代にボランティアをしていた福祉農園のスタッフが野菜を売っているのを見つけた。

「久しぶり!」と盛り上がり雑談をするなかで、「保育園が見つからなくて」と話すと、こう言われた。

「子連れでいいから、販売の仕事を手伝ってくれない?」

障害者福祉施設では自分のできることをやり切ったし、これからどうするかはのんびり考えよう。そう思ったサカールさんは、障害者福祉施設を退職し、野菜の販売を手伝い始める。

手伝い始めて数カ月たった頃、福祉農園の人から「NPOを立ち上げようと思っているから、一緒にやろう」と声をかけられた。ちょうど保育園が見つかったこともあり、NPOの立ち上げに奔走する。

しかし、次第にサカールさんの心はモヤモヤと曇り始めた。野菜を生産販売するだけでは、福祉農園で働く障害者が自立できるほどの工賃を支払えない。

理想と現実のギャップに苦悩している時、一つの妙案が浮かんだ。一般向けに有料の農業体験イベントを開催して、収益を工賃に回してはどうか?

NPOでは、障害がある子ども向けに農業体験を開催していた。その評判の良さから「一般向けにも開催してほしい」という声が上がっていたことを思い出したのだ。

「さっそく、一般向けのイベントを企画しました。農作業だけじゃなく、田んぼの生き物観察をしたり、泥のなかで遊んだり、見沼田んぼの環境を最大限に活用したイベントです。次第にたくさんの方が参加してくれるようになり、NPOの収益につながる兆しが見えました」

これでしっかりと工賃を支払えるようになる。サカールさんはそう確信したが、NPOの理念とズレが生じ始めた。非営利団体であるNPO内部で、「収益を得るイベントの企画運営は障害福祉のあり方とそぐわない」という意見が上がるようになったのだ。

サカールさんは再び頭を悩ませた。NPO側の意見も理解できるけれど、せっかく評判の良いイベントなのにやめてしまうのはもったいない。

この際独立してみようか――。小さな灯火がサカールさんの胸にともった。

この時ちょうど、見沼田んぼで知り合った人から「農地を使いきれないから、余力があるなら活用してよ」と言われたことも追い風になった。新規就農する際、一番の難関だと言われる土地の確保ができたのだ。

「土地を借りられたことはすごく大きかったです。農業体験イベントも好評だったし、このふたつの好条件を棒に振るのはもったいない。それに見沼田んぼは遊休耕作地が増えているから、使われていない農地を活用できることにも意義があると思いました。もう独立するしかないなって」

2021年3月、NPOの中でサカールさんの考えに賛同した釘宮さんと松葉さん、計3名で合同会社十色の運営に乗り出した。

 

失敗ばかりだった1年目

前述のとおり唐辛子専門農家にシフトしてからは、野菜や花の品種を開発している会社「トキタ種苗」や、さいたま農林振興センター、近隣農家などにアドバイスをもらいながら、イチから栽培に関する勉強をした。唐辛子は2月に種を植え、5月に育った苗を畑に植え替える。収穫は7月〜11月の約5カ月間。

現在は収穫や検品、出荷は、パートタイムのスタッフや近隣の障害者福祉施設に依頼しているが、畑仕事はサカールさんと釘宮さんが担う。20キロの肥料が入った袋をかついで、たったふたりで撒いているというから驚く。

「1年目はもう本当にひどかった。新規就農者って、ゲームで言うとレベル1の状態。レベル1なのにレベル100の敵を倒している感覚でした」と笑うサカールさん。

水はけの対策が遅れて畑がぐちゃぐちゃになったり、雑草がぼうぼうになって手がつけられなくなったり、作物が病気になってしまったり……細かな失敗は数え切れない。

苗を育てるビニールハウスが必要になった時のこと。ビニールハウスを設置するには最低でも数十万円かかる。サカールさんは設備投資を最小限に抑えるため、トンネルの形にしたビニールで苗を覆い、ハウスと同じ環境を自作した。それなりに形にはなったが、温かさが保てず安定しない。困り果て、近隣の園芸農家でこの話をすると、園芸農家の主人が「じゃあ、ハウスを使っていいよ」と言ってくれた。願ってもない申し出に喜び、現在もハウスを間借りしながら苗を育てている。

また、水気が多くぬかるんでいる畑も多いため、重機の扱いも一苦労だという。使い慣れないトラクターは、この3年間で10回は畑でスタックしている。身動きが取れなくなった姿を見かねた近隣の農家の人たちが、ユンボ(大きなショベルカー)やワイヤーロープを持って駆けつけてくれて、車を引っ張り上げてくれたそうだ。

サカールさんは「ノウハウがない状態だったし、一つのトライに対しエラーは10回以上でした」と苦笑いする。

1年目は周りの人たちに助けてもらいながら、13種類、約500キロの唐辛子を栽培できた。3年目の今、収穫できる量は2トンを超えると言うから、1年目の苦労がうかがえる。

「それに、唐辛子専門農家として13種類ではラインナップが少なすぎました」

 

世界中の人たちが集まってくる農園

2年目の2022年は、唐辛子の品種を増やすことに注力し、42品種の唐辛子の栽培に成功した。

「世界的に作物の病害が蔓延して、なかなか種が手に入りませんでした。でもこれまでの繋がりに加え、メディアに露出していたこともあって、いろんな国の種をいただくことが増えたんです。スパイスを作っている会社から、生産者が減少している品種を育ててほしいと依頼されることもあります」

サカールさんは「いま試験的に、6本だけ栽培しているんですよ」と言って、畑の奥の方を指さした。

激辛好きの人たちのお眼鏡にもかなう唐辛子「ドラゴンズブレス」や「キャロライナリーパー」も栽培でき、レストランや産直サイト、スーパーなどに販路を拡大。

地元高校との共同開発で柚子胡椒を作ったり、さいたま市のおふろcafeとコラボして唐辛子風呂を提供したりと、新たな取り組みにも挑戦した。「いろいろな人が参加できる農業」を体現しながら、2年目は前年度の売上の1.5倍を達成。

地元企業とのコラボ商品『秩父黄金カボスコ』(写真提供:合同会社十色)

ネットニュースで十色の唐辛子が紹介されるようになると、意外なところにも繋がりができた。ある日サカールさんのもとを訪れたのは、南太平洋に位置するバヌアツ共和国の人だった。

その人は「母国では辛いものをたくさん食べるけれど、日本ではなかなか唐辛子が手に入らない。仲間たちも食べたがっているんだ」と言って、大量の唐辛子を購入した。後日、再び十色を訪れ「チリソースをみんなに配ったら、すぐなくなっちゃった!」と言って、リピーターになった。

聞いたこともないような国の人が、十色の唐辛子を求めて足を運んでくれた。旅好きで、ブータンやタイなど数多くの国を旅してきた経験のあるサカールさんにとって、嬉しいできごとだった。

「たまたま通りかかった中国人の3人組が、『唐辛子だ!』と言って畑にやってきたこともあります。四川や湖南など、出身によって好む唐辛子も違うんだと言って、数種類の唐辛子を購入していってくれました」

またある時には、インド洋に位置するモーリシャス共和国の人も訪れた。その人は「これまで母国からチリソースを仕入れていたが、コロナ禍で物流が制限され手に入らなくなった。日本でどうにか母国の味をつくりたいんだ」とサカールさんに言ったそうだ。

十色はいつの間にか、いろいろな国の人が集まる場所になっていた。

3000種類以上もある世界の唐辛子(写真提供:合同会社十色)

 

子どもたちが田んぼに触れられる機会を

唐辛子の生産販売を主軸とする十色だが、1回2750円〜5500円で参加できる農業体験イベントにも力を入れている。

田植えから稲刈り、収穫まで一貫して米作りを体験できる年4回のイベントは、2歳から小学校低学年までの子どもたちと、その保護者が参加する。2023年5月に2回行われた田植え体験だけで、参加者は1000人を超えた。

イベントのなかでも子どもたちに人気なのは、生き物観察だ。農薬や化学肥料不使用の田んぼには、多様な生き物が生息する。子どもたちはゲンゴロウやアメンボ、カエル、ヤゴなどの観察を専門家の解説を交えながら楽しめる。

参加者からは、『子どもが自然に触れたり生き物に出会ったりする機会がほとんどないので、体験できる機会があってうれしい』という声が多く届くそうだ。

「見沼田んぼを、そして農業を知ってほしいという思いがあります。そのためには遠足のような気分で来てもらって、『見沼田んぼにまた来たい』と思えるくらい楽しんでもらうことが大切だなって。私自身、自分の子どもを連れて見沼田んぼに行くのですが、ここで活動していなかったらどんな体験をさせてあげられただろうと考えることがあります。もっと日常的に、子どもたちが田んぼに触れられる機会をつくっていきたいです」

約1260ヘクタールの「見沼田んぼ」には、田んぼの他、畑や雑木林、河川や見沼代用水がある

田んぼイベントの評判から「大人が楽しめるイベント」の開催を希望する声が上がった。そして2022年、新たに始めたのが「ビール麦の栽培体験」。

埼玉県が開発した130年前の品種「ゴールデンメロン埼1号」をみんなで栽培し、麦を収穫。提携するビール醸造会社6社がクラフトビールを醸造し、参加者がビールを飲み比べできる通年イベントだ。

「2022年は周知がうまくいかず、参加者があまり集まりませんでした。でも参加者からは、『ビール会社の人と一緒にビールを作れるって楽しい!』と好評だったし、ビールは唐辛子との相性もいい。先が楽しみなプロジェクトです」

そう話すサカールさんは、誰よりも農業を楽しんでいるように見える。最後に今後のことを聞くと、こう語った。

「私たち3人の共通点は旅や外国が好きなこと。これからは地方や外国の人々と、唐辛子を通した交流をしていきたいです。いろいろな人が関わって生産販売が回るように仕組み化して、各地で唐辛子や加工品、コラボ商品を作る取り組みをしていけたら、その地域の活性化や勤労機会の創出に貢献できると思うんです」

幼少期に転校を繰り返したことや、留学経験、外国人のパートナーがいること。「異文化に入る」体験を繰り返してきたサカールさんだからこその発想なのかもしれない。

サカールさんは、目を細めながら続けた。

「会社名の『十色』は、十人十色からきているんです。経験の有無やバックグラウンドなんて関係なしに、誰もがわちゃわちゃ入ってこられる農業にしたいという願いを込めて」

(写真提供:合同会社十色)

取材・文・撮影=白石果林
編集=川内イオ

 

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