元水産庁職員が、魚のよさを伝える「魚の伝道師」に転じた理由

2023.2.10 | Author: 大塚有紀
元水産庁職員が、魚のよさを伝える「魚の伝道師」に転じた理由

魚料理は「手間がかかる」と、先入観を持っている人が多いのではないだろうか。「魚の伝道師」上田勝彦さんの手に掛かると、時短でおいしい魚料理ができあがる。

長年、水産庁で働いていたが、2015年に退職。今では「サカナ伝えて、国おこす」を理念に、料理人、料理塾、スーパーなど数多の場所で、魚にまつわることを教えている。幼い頃から一貫して魚が好きだという。なぜ、そこまで魚に魅了されるのか? 背景を尋ねた。

魚に興味を持つ子供時代

幼稚園から小学生の頃、宮城県の仙台市に在住していた。当時、青葉城のお堀の水面は透き通っていて魚がよく見えた。また市内を流れる広瀬川には、オイカワという虹色の魚が泳いでいて、その姿は今でも鮮明に思い出すほど目に焼き付いている。水があれば覗き込むような子どもで、水面に魚が泳ぐのを見ていると、まるで吸い込まれるような感覚だったそうだ。周りの子供は、動物や昆虫に興味を持つなか、上田さんにとっては水のなかの世界が特別だった。

広瀬川で魚を見たりザリガニを獲ったりしていたが、小学3年生の頃から、島根県に住んでいた叔父の影響を受けて釣りを始める。4年生になると包丁を使って釣った魚の料理もするようになった。上田さんは、ひとつのことに集中するとほかのことが目に入らなくなる。「釣りには、持ちうるすべての感覚と器官を駆使して魚をとらえる狩猟本能ともいうべき満足感と、細い一本の糸の先から感じられる生命の躍動のリアルさがあります」小学校3年生から今日に至るまで、海、川、池どこでもずっと釣りをし続けてきたという。

高校では生物部に入り日本産の淡水魚の研究をしていたが、哲学と音楽にも関心があった。なかでも生きること、価値とはなにかという、哲学的な問いかけにはまり込んでいく。その時にたどり着いたのは「色々な思想はあるけれど、人間がどう解釈をしようが、自然の仕組みがベースとなっている」という一点だった。これは今の上田さんの生き方にかなり影響していると話す。

元水産庁職員の経歴を持つ料理人 上田勝彦さん

 

大学生で漁船に乗る

魚への興味関心は、大学生になってからも続いた。当初は研究三昧で、大学院に進んで博士号を取って、一生その研究ができたらいいと考えていた。

しかし大学3年生の頃、人生が変わる体験をした。同級生が漁船に乗りながら、シイラと一緒に獲れる稚魚を大きくできないかという研究をしていた。「面白いから、上田も来いよ」と誘われ、初めて漁船に乗った。前の晩の夜中に出て仮眠をとり、五島列島の南、男女群島あたりまで行って、一日中、シイラを獲る。7~8㎏入る箱で、500箱も獲れるときがあった。シイラは夏の時期だから、船では炎天下だ。港に戻ったら体はふらつき、よろよろしたという。

寝て起きると不思議と、また漁船に乗りたくなった。それから、大学は休学留年して、毎日のように漁船に乗った。九州エリア、五島列島、沖縄諸島などを旅しながら、多くの漁師に乗せてもらった。ある地域では、「獲った魚は、まず自分のおかず。それでもたくさん獲れたら、地域のおかず。さらに余ったときにしか、漁港に出さない」という流れで魚が地域を巡っていると知った。旅のなかで、世間の情報で知られている漁場の状況と、自分の目で見たことは違うと実感した。

卒業するまで8年かかり、卒業する時に、就職先をどうしようかと漁師に相談した。このまま船に乗り続けるのか、漁協の職に就くのか。だが、漁師たちは、「大学を出てるのだから中央に行ってこい」と言った。中央とは国の行政、水産庁のことだ。その頃はすでに漁村は高齢化が進み、明らかな人手不足。漁業総生産量も年々減少していた。そもそも上田さんの父は畜産局に勤めていたので役所の仕事内容は知っていたが、できれば行きたくなかったそうだ。

漁船に乗る前は魚だけにしか興味がなかった。しかし、漁師と接していくなかで、これまで触れてきた人たちとは違う感覚を持つ魅力を感じた。漁師は、酒をよく飲むなど先入観を持っている人もいる。でも、酒を飲まない漁師も多いし、驚くほど教養のある漁師もいる。漁船に乗ったことがきっかけで、魚に関わる人、魚を獲って暮らす人たちに意識が向いた。周りの漁師たちからの「水産庁に行ったほうがいい」という勧めで、卒業後の進路を決めた。

27歳、大学院生の時に水産庁を受けたら、運よく受かった。「景気が良かったのでしょう」と、上田さんは話す。

 

水産庁で得た経験と、大切なことへの気づき

最初は、やりがいがない、つまらないと感じていた。机で法律の本を開いて読み始めると、3分とたたないうちに眠くなった。漁船に乗っていた習慣はなかなか抜けない。雨の日に長靴を履いたり、首からタオルを下げたり、周りから浮いた存在だった。幸い、しだいに周囲から「上田はそういう奴だ」と思われるようになり、水産の現場に配属してもらえるようになった。

そして、瀬戸内海全域の漁業紛争の調整と密漁取締りを担当。その後、捕鯨船にも関わることができた。10年目あたりから、「仕事のやりがいがどうとかではなく、大切なことはなにか」を意識し始めた。例えば、魚を獲りすぎると、その魚がいなくなってしまうというあたり前のこと。獲りすぎれば暮らしていけないからこそ、獲りすぎてはいけない。高校生の時に哲学の本を読み漁って感じた、「自然界にしか拠り所はない」という考えに帰着した。

いろいろな仕事をやらせてもらい、15年目に日本海側の福井、京都、兵庫、島根、鳥取、山口を管轄する部署に行った。現地で減りつつあるカニの資源をどうやって取り戻すのか、5年計画で考える資源管理の担当になった。

漁師は、小さなカニでもお金になるから獲りたがる。上田さんは「カニがいなくなったら、仕事を失い生活ができなくなりますよ。このままにしていたら、明らかにカニはいなくなる。仕事を頑張って死にたい? それとも漁を諦めて死にたい?」と、漁師に問いかけた。漁師の世界を知り、間合いがわかる上田さんだからこそ対等に話ができた。「1年だけこらえてやってみないか。きっと答えが出るから」と漁師たちを説得し、取り組みを開始した。そして3年目、約束通り獲れるカニの量が正常化し、今に至る。

水産庁の職員として現場の仕事を担いながら、「魚離れをなんとかしたい」と思い、執筆や講演などの依頼を受けていた。その過程で、ある気付きを得た。

「魚離れをなんとかしたくて、魚ごとに面白さやおいしさを、あれこれ伝えてきたわけです。でも、いまひとつ相手に伝わっているという実感がなかったんですよね。ある時、魚は種類が多すぎるのが理由のひとつだと気づきました。国内に流通する魚は約300種です。季節によって旬があるし、同じ種類でも漁場によって魚のサイズや味が違うなど不確定要素がいくつかある。そうすると、魚種ごとに料理を教えてもきりがない。どんな魚でも、これをすればちゃんとおいしくなるという方法を教えるべきだと考えて、『仕組み』で伝えることを意識し始めた。それが2014年でした」

 

魚のよさを伝えるために独立

水産庁職員の仕事と現場の依頼仕事の両立が徐々に厳しくなってきた2015年。23年勤めた水産庁を退職した。辞めてからすぐ、株式会社ウエカツ水産を設立。自由がなかった役人の頃と違い、自分が気になる場所に何度も足を運ぶことで、しっかり現場と向き合えるようになった。

現場に通って実感したのは、乱獲しなくても魚が減ってきているということ。

「例えば、地球環境。CO2を出しすぎて温暖化になり、人間が自然界を変えてきた。環境を戻すには容易なことではないし、相当な年月がかかるでしょう」

日本は多くの魚を輸入しているが、上田さんは「生産者、加工流通者、消費者が支えあって食生活を営めば、輸入ばかりに頼らない世界もあるのでは」と考える。

ある時、某番組に出演し、「魚の伝道師」という肩書で呼ばれた。おこがましいと感じたそうだが、その番組をきっかけに、多くのメディアでそう呼ばれるようになったという。

コロナ禍でなかなか現場に行けなかった時期には、オンラインで料理塾の講師をしたり、YouTubeで魚を伝えていた。料理塾では、家庭で簡単に作れる料理を教えていている。「料理のレシピは、インターネットで探せばすぐ見つかるし、情報が溢れているけれど、そこだけ暗記してレパートリーが増えても魚の変動要因のほうが多い。いずれ行き詰ります」と話す。

料理塾で講師をする上田勝彦さん(画像提供:上田勝彦さん)

「レシピありきで作るのではなく、僕が教えていることはその前段階。料理方法の仕組みを理解すれば、ほぼ無限においしい料理を作れるようになります」

実際、料理店のシェフにもこの方法を教えたところ、もし知らなかったら新しいメニュー作りに困っていたかもしれないと、感謝されたそうだ。

また魚は下処理でも味が大きく変わるといい、魚を卸してる人から「スーパーのスタッフに教えてほしい」と声がかかった。それから毎月、教えに入り5年がたった結果、今では、そこのスーパーの魚は生臭くない、食べ方を教えてくれると、お客さんに好評だ。

「基本的に人間は食べ物に対して保守的だと思う。食べ慣れたものを食べたい。新しいものをいかにおいしく出されてもあまり飛びつかない。魚の場合もそう。凝ったレシピではなく、定番の料理を確実においしくできるようにするのが大切。消費者にどう伝えたら、魚を食べてもらえるのかをいつも考えています。家庭でも当たり前に、負担を感じることなく、魚料理が食卓に並ぶようにするのが僕の仕事です」

上田さんは、全国どこへでも駆けつける。魚のよさを伝えるために。

(画像提供:上田勝彦さん)


取材・文・撮影 = 大塚ゆき
編集 = 川内イオ

 

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