フードロス解消に奔走する料理人 角田大和さん。瓶詰め&缶詰めで年間3トン救済。|兵庫県洲本市

2023.1.11 | Author: 川内イオ
フードロス解消に奔走する料理人 角田大和さん。瓶詰め&缶詰めで年間3トン救済。|兵庫県洲本市

収穫されているのに、なんらかの理由で畑の肥やしになったり、廃棄されたりしてしまう農作物は年間200万トンに及ぶと推定されている。淡路島でこの「畑のフードロス」解消に奔走しているのが、瓶詰めと缶詰めの工房「YOKACHORO FOOD BASE」を営む角田大和さん。料理人として、味と質にこだわった加工食品を開発しながら、年間3トンの食材をレスキューしている。

料理人が立ち上げた瓶詰、缶詰の工房

県外からも多くのお客さんが足を運ぶ飲食店を閉め、手作りの瓶詰、缶詰の工房を立ち上げた料理人がいる。淡路島で「YOKACHORO FOOD BASE」を営む、角田大和さんだ。

角田さんは、季節の旬の食材を使った商品を開発している。例えば、兵庫県・淡路島の特産品である玉ねぎの葉っぱを使ったディップドレッシング。これはおいしく食べられるにもかかわらず、10キロの玉ねぎに対し、8キロも廃棄されてしまう玉ねぎの葉っぱを有効活用したものだ。

高級魚として知られる淡路島で獲れた鰆(さわら)は、コロナ禍で出荷できずに困っていた地元の漁師から仕入れ、鳴門の昆布だし、天日塩、有機醤油で味付けてツナ缶にした。これは「YOKACHORO FOOD BASE」のヒット商品で、リリース以来、数百個売れている。

「YOKACHORO FOOD BASE」のオーナー、角田大和さん。

淡路島の工房併設の店舗にはほかにもスーパーなどでよく見かけるこれまでの缶詰め、瓶詰めのイメージを覆す商品がずらーっと並ぶ。「天然真鯛のレッドカレー」「天然猪のプティサレ」「甘すぎない黒豆煮~自然栽培・丹波産黒大豆~」などなど素材へのこだわりが伝わってきて、どんな味なんだろうと興味が湧く。

角田さんは2020年1月に家族で淡路島に引っ越すと、8月には瓶詰、缶詰の製造を始めた。コロナ禍による緊急事態宣言などもあり、飲食店も大混乱に陥っていた時期と重なるが、角田さんにとってはコロナ前から構想していたことだ。

ところで、角田さんはなぜ、飲食店の料理人から方向転換したのだろう? 妻からも「なんで今なん?」と疑問を呈されたという決断の裏には、20代の頃から現場で目の当たりにしてきた食の流通の矛盾とフードロスの課題があった。

 

「むちゃくちゃうめえやん!」

角田さんが最初に「なにか変だな」と感じたのは、東京の築地市場近くの八百屋さんでアルバイトをしている時だった。兵庫県立大学の経済学部で「農業の流通」をテーマに勉強しているうちに「もっと現場のことを知りたい」と興味が湧き、大学を休学して上京していた。

「その頃は、毎朝始発で築地に通っていました。地方から築地に届いたものが、築地で買われてまた地方に戻されていくのをみて、商売としては仕方ないのかもしれないけど、それにしてもおかしくない? と思っていましたね」

築地のような大きな流通以外にも関心があった角田さんはある日、青山ファーマーズマーケットにも足を運んだ。そこで農薬・肥料を使わずに育てた自然栽培の野菜を購入して食べた時、あまりのおいしさに「むちゃくちゃうめえやん!」と驚嘆したという。

角田さんが現在居住する淡路島は「農業王国」と呼ばれる。

初めて自然栽培の野菜を食べて本当の味を知った……というわけではない。角田さんが幼いころから母親が自然栽培の野菜を使った料理教室を開いていて、家の料理にも日常的に使われていたから、むしろ慣れ親しんでいた。

ただ、大学生になってひとり暮らしを始めてからはスーパーで食材を購入するのが当たり前になっていたし、東京でもそれは変わりなかったから、久しぶりに余計な手を加えていない野菜を口にして舌が反応したのかもしれない。

「大きい流通はもういいかな」と感じていた角田さんはこれを機にもう1年休学を延ばして、自然栽培の野菜、お米などの通販を手掛けるナチュラルハーモニーで働き始めた。そこでも流通を学ぶつもりだったのだが、配属されたのは埼玉の越谷にある直営レストランだった。

 

料理人への一歩を踏み出す

ナチュラルハーモニーは自社農園を持っていて、そこで採れた大きさや色つや、形が整っていない、いわゆる「規格外」と呼ばれる野菜が毎週何百キロもレストランに届いた。

ビュッフェがメインのレストランにはシェフがふたり、アルバイトが角田さんを含めてふたり。アルバイトの役割は、すぐに調理できるように野菜を洗ったり、皮をむいたりする下処理で、毎日何時間も膨大な量の野菜と向き合っていた。

小学生の頃から母親の料理の手伝いをしたり、お腹が空いたら自分で簡単なものを作って食べていたという角田さんは食材を扱うことに慣れてはいたが、あくまで趣味程度。いきなり戦場のような厨房に放り込まれて度肝を抜かれながらも、必死に食らいついた。

数カ月して慣れてきた頃、シェフ(料理長)の女性が産休を取ることになり、すぐには人手を確保できないからと、角田さんに白羽の矢が立った。それから1カ月、産休に入る前のシェフから厳しい指導を受けた。

「アルバイトで料理をさせてもらったのは僕が初めてだったせいか、マジかっていうぐらいスパルタ教育でしたね(笑)。その1カ月は、めっちゃしんどくて疲れ果てました。でも、そこまで本気で叩き込んでくれたから、ひと通りの料理ができるようになりました」

「YOKACHORO FOOD BASE」の前の田んぼで米作りもしている角田さん。

自炊レベルを卒業し、料理人への一歩を踏み出すと、以前から気になっていたことがより目につくようになった。ビュッフェ形式の場合、たくさんの料理をよそった後に食べきれず残すお客さんも少なくない。自然栽培の野菜は農薬を使わないので、虫害や病気には人一倍気を付けて育てる。雑草を抜くのも大変な作業だ。そうやって手間暇をかけて作られた野菜が売り物にならない規格外として大量に送られてきて、お客さんが残したものは廃棄せざるを得ない。

自然栽培の野菜のおいしさに目覚め、小さな流通が知りたくて働き始めたのに、目の前で起きていることだけを見ると、そこは「野菜の最終処分場」のようだった。

「これもなにか違う」と疑問を抱き、「畑に触りたい」「生産者との距離がもっと近い方がいい」と思うようになった角田さんは、1年でレストランを辞め、同時に大学も退学して、兵庫県の丹波篠山市に向かった。そこには、友人の兄が開いたばかりの農家レストランがあった。2013年のことだった。

 

独立と同時に始めた野菜の卸業

自分たちで育てた野菜を使うそのレストランでは友人の兄の妻が調理を担当していて、角田さんは農作業と料理をサポートするはずだった。ところが、角田さんが働き始めて間もなく妊娠で休みをとることになり、シェフとして厨房に立つことになった。

「僕は学生の時から『嫌いなことはやらない』と決めていました。レストランで働いた時も、下処理とか本当に大変なこともあったけど、イヤじゃないから続けられたんです。だからこの時に、あ、これはもう料理しろってことなんだなと感じて、まあそれもいいかと受け入れました」

そのレストランでもともと出している料理はあったが、友人の兄夫婦は「自由にやっていいよ」と言ってくれたので、レシピを参考にしつつ、徐々に自分の色を出すようにした。レストランのスパルタ教育で磨いた技術が、大いに役立った。

この店で働いていた時に、丹波篠山市で飲食店をしていた知人が店を閉めることになり、「居抜きで貸すけど、誰かいない?」と声をかけられた。そこで手を挙げたのが角田さん。2015年、「旬の野菜とジビエとご機嫌なお酒を楽しめる店」として、「晩めし屋 よかちょろ」を開いた。

 

人気店になった「晩めし屋 よかちょろ」。(写真提供:角田さん)

このお店は、それまで「食」の流通を見てきた角田さんが、自分にできることはなにかと考えて導き出した仕組みを導入していた。

「飲食店が食材の窓口として機能することで、生産者が潤う形が飲食店のあり方としてきれいだなと思ったんですよね。あと、改めて流通をやりたいと思って、うちの店でまとまった量を生産者から仕入れて、それを違う飲食店に流したり、自分で販売したりし始めました」

よかちょろの営業日は、金土日の週3日。ほかの日はお蕎麦屋さんやカレー屋さんをやりたいという知り合いに間貸しした。その間、角田さんは「自分で回れる範囲のものを使う」と決めて近隣の生産者を巡り、実際に畑を見て話をしながら、市場でさばけない規格外の食材を中心に仕入れた。

料理人が目利きした食材はニーズがあり、徐々に販路拡大していった。東京の広尾にあるスーパーマーケット「ナショナル」にも卸すようになり、最も多い時期には自分の店で使う量の10倍の食材を取り扱うようになった。

前述したように、よかちょろも好調で、県外からもお客さんが食事をしに来るようになった。多忙ながらも充実した日々だったが、角田さんはどうしても気がかりなことがあった。天気と市場に翻弄される生産者の苦悩である。

 

生産者が豊作を素直に喜べない時代

農産物には、豊作の年もあれば不作の年もある。基本的には地域の気候や土壌に合った作物を育てているので、地域の生産者は一斉に豊作になる。近代的な流通システムが整う前、豊作はめでたいことだった。ところが現代は違う。

例えば、「今年はズッキーニが大当たり!」となると、市場にズッキーニが溢れかえる。たくさん採れすぎると、野菜の価格は暴落する。野菜はすぐに鮮度が落ちるから、価格が上がるまで取っておくこともできない。生産者はズッキーニの価値を守るため、すべての収穫物を市場に出さず、一部を畑にすき込んだり、廃棄するしかない。これが、畑のフードロスだ。

まだ食べられるのに捨てられてしまう食べ物は、日本だけで年間522万トン(2022年度)。農林水産省のホームページには、「日本人1人当たり、お茶碗1杯分のごはんの量が毎日捨てられている計算」と記されている。

フードロスのデータは、スーパーやコンビニ、飲食店から出る事業系食品ロスと、一般家庭で発生する家庭系食品ロスで構成されている。市場に流通していない畑のフードロスはここに含まれいないが、毎年200万トンに及ぶという試算もある(東京農業大学農友会農村調査部「農作物の生産現場で発生する食品ロス」)。

同じようなことは、台風の季節にも起こる。天気予報でこれから台風が来るとわかると、生産者は前倒しで一気に収穫する。雨風で野菜に傷がついたりすると出荷できなくなるからだ。地域の人たちがみんなトマトを出荷すれば、市場価格は下がる。それでも売るか、捨てるしかないというのが生産者のつらいところだ。

この畑のフードロスに加えて、台風、大雨など自然災害の被害も深刻だった。

「丹波は3年続けて大雨が降ったんです。ひどい土砂崩れが起きて、知り合いの農家の倉庫はひざ下まで土砂で埋まりました。機械も壊れて、ぜんぶ買い直さなきゃいけなくなりました」

生産者が潤うことを目指して飲食店を始めた角田さんは、少しでも助けになればと畑のフードロスで処分される前の余剰作物をどうにかしようと奔走した。しかし、生鮮食品は日持ちしないため、売るにしても、店で調理して食べるにしても、扱える量には限界があった。

よかちょろのキッチンに立ちながら畑のフードロスの解消に奔走していた。

 

本腰を入れて加工所を作るために移住

その解決策は、鮮度のいい時に加工し、おいしさを保ったまま賞味期限を延ばすことができる加工食品だ。例えばフルーツをジャムにすれば保存がきくし、配送もしやすくなって、全国に流通させることができる。角田さんはまず、ジャムのような瓶詰め製品の製造に取り掛かったが、よかちょろの営業、野菜の卸売りをしながら加工食品を作るのは明らかに時間が足りなかった。

しかも、週に1日加工の時間を確保したとして、農作物の収穫時期と合っているかはまた別の話で、自分の都合に合わせて生産者に「この日までに収穫してほしい」と頼むのは新たに生産者の負担を増やすことになる。

さあどうしようかと考えていた2019年、角田さんは本腰を入れて加工品を作る方向に舵をきることにした。それを妻に話すと「なんで今なん? やっとうまいこといき始めたのに。お店を続けながらできないの?」と聞かれた。

「それもそうだ」と思った角田さんは、よかちょろを移転してスタッフに任せつつ、角田家は家族で淡路島に移住し、飲食できるスペースを併設した瓶詰、缶詰の工房を作って、どちらにも行き来する二拠点生活をしようと考えた。なぜ、新天地に淡路島を選んだのだろうか?

「全国の知り合いの農産物を使って加工品を作ることができるならやりたいけど、毎回仕入れてたら、配送費も含めてレシピを作るまでにかなりお金がかかりますよね。だから、いろいろな作物が取れる場所が良かったんです。知り合いが多い岡山と迷ったんですが、丹波篠山でお世話になった人が淡路島の陶芸家、西村(昌晃)さんを紹介してくれて、いろいろ案内してくれたんですよ。それで、ここだったら楽しいことができそうだなと思ったんですよね」

淡路島の海。

 

緻密に設計したレシピ

農業だけでなく、漁業、酪農も盛んで、瓶詰、缶詰の素材に事欠かない淡路島に移住したのは、2020年1月。まずお店を軌道に乗せるため、1月末に一度よかちょろを閉め、4月に開業する町屋のホテルに併設する飲食店としてリニューアルオープンを目指していた。

しかし、新型コロナウイルスのパンデミックですべての予定が狂った。ホテルの開業が遅れ、6月になってもめどが立たない。一方で、淡路島で知り合った生産者でレストランへの卸しをメインにやっているところは、緊急事態宣言下で飲食店の営業が停止、短縮され、売り先を失って困っていた。

「これはもう、加工しかない!」

6月に飲食店の営業を諦め、店を手放した角田さんは、すぐに工房の場所探しを始めた。知り合いのツテをたどって南あわじ市の食品加工場の一部を格安で借りられることになり、同時にコロナ禍の補助金を申請して得た300万円をそのまま投じて缶詰めのマシンを購入。「YOKACHORO FOOD BASE」を立ち上げ、8月1日にはもう缶詰めを作り始めていた。

自分は収入の柱として考えていた店を失い、周囲の生産者は売り先のない作物を抱えて、右往左往している。待ったなしの状況だったが、肝心のレシピはち密に設計した。

「できたものを缶に入れるんじゃなくて、缶のなかでひとつの料理を完成させようと考えました。缶を圧力鍋に見立てて、最後の火入れを缶のなかでするイメージです。缶詰の殺菌は115度から120度なんですけど、肉を使う場合、あまり温度を高くしすぎると肉の油が溶け切っちゃうので、1度ずつ変えながら食材の溶け方を確かめました。例えばカレーだったら野菜の具材から水分が出ることを考えてちょっと濃いめにしたり。毎日実験でしたね」

売れ筋商品のカレー。現在は3種類。(写真提供:角田さん)

 

コロナ禍で変化した生産者の意識

角田さんは同時進行でいくつものレシピを開発し、8月から12月までの4カ月で23種類の缶詰めを作った。と言っても、缶詰めのマシンを動かすのも一苦労で、慣れるまでは1日に60個の缶詰めを作るのが精いっぱいだったという。

その頃に完成した缶詰めのひとつが、鰆(さわら)の缶詰め。加工を始めたばかりの頃、噂を聞きつけた漁協の会長から相談があり、コロナ禍で出荷できない鰆をツナ缶にした。この缶詰めはリリース以来数百個売れるヒット商品になった。鰆のツナ缶は注目を集め、角田さんの存在も島内に知れ渡り、畑だけでなく、海と山も含め、行き場を失ったさまざまな食材を扱う生産者から問い合わせがくるようになった。これは、角田さんにとって嬉しい悲鳴だった。

角田さんの活動が淡路島で知られるきっかけになったサワラのツナ缶

「コロナ前は、自然災害やフードロス対策として加工品を作ろうと話しても、多くの生産者は『話はわかるけど、忙しいから今はいいや』という雰囲気でした。でも、コロナになって生産者がみんな真剣に話を聞いてくれるようになったんです。同じベクトルを向くようになると、話の進むスピードがぜんぜん違うと感じました」

角田さんは当初、料理としてレシピを考え、缶や瓶に詰める具材もひとつ、ひとつ手作りして、「自分にしかできない味」を追求していた。しかし、それではなにもかもひとりで担うことになり、時間かかかる。そこで自分以外の人が作業をしても同じクオリティになるようにレシピ少しずつ変化させ、スタッフを雇い入れた。それでレシピ開発に注力できるようになり、2021年には55種類の缶詰めをリリース。使用した余剰食材・規格外品は1.5トンを越えた。

現在は角田さん以外に4人のスタッフが働く。

 

その作物が農家にとって意味があるか

想定外だったのは、事情があって開業から1年で工房を移転せざるを得なくなったこと。自力で工房を新設できる余力がなかったため、また移転先を探して走り回ることになった。

淡路島は今、某大企業が移転してきたことで地価と家賃が高騰しており、なかなか思うような物件が見つけられず、角田さんは焦りを募らせた。その話を淡路島で一緒に米作りをしている料理人にしたところ、新たに開くレストランのすぐ近くにある物件が空いてると教えてくれて、洲本市五色町の家屋を借りることができた。

もともとは地域の商店だったというこの物件の改装費用および設備費を見積もると、およそ1200万円かかるとわかった。そのうちの1000万円は金融機関から借り入れるめどが立ち、2022年2月、残り200万円の調達を目指してクラウドファンディングを始めたところ、公開から6日で達成。最終的に139人から318万円の支援を得て、無事にリスタートを切った。

「YOKACHORO FOOD BASE」の店舗兼工房。

開業当初は、「困っている人がいたらできる限り受け入れる」という方針だったが、コロナ禍が落ち着いてきたこともあり、現在はなにを仕入れるか、仕入れないか、明確に判断している。

「その作物が農家にとって意味があるか、必要なものなのか、ですね。例えば、思いつきで作ってみたけど売れなかったから引き取って、捨てるよりましでしょうという人からは仕入れません。うちはなんでも屋じゃないし、そういう中途半端な気持ちで作った作物を受け取っていたら、自分たちの価値も下がってしまう。僕はプロダクトとして完成度の高いモノを作りたいし、それが農家さんにとっても販売促進や収入の柱になるようなものにしていきたいんですよ」

2022年の秋の時点で取引しているのは36件の生産者で、7割が淡路島の人だ。移転で生産が止まった時期もあったが、3トンの買い取りを実現した。畑の肥やしになるはずだった3トンの作物を加工した角田さんはフードレスキュー隊だ。

緻密なレシピ開発を経て棚に並ぶ缶詰めと瓶詰め。

 

地域にひとつ、小さな加工所

最近では、加工食品のクオリティを評価されて、生産者や企業から「うちの商品を作ってほしい」という問い合わせが来るようになった。製造を請け負うOEMで奈良のトマト農家と一緒にトマトソースを作ったりもしている。商品の売り上げに左右されないOEMは重要な収入源だ。しかし、全国からOEMを請け負うことは考えていないという。

「僕は地域にひとつぐらい、うちみたいな小さな加工所があった方がいいんじゃないかなと思うんですよ。例えば奈良にあれば、奈良からトマトを送ってもらう必要もないわけで。もしかしたらうちの仕事が減っちゃうかもしれないけど、それはそれでいいんです。自分が手広くやるよりも、地域で加工所を作りたいという人のサポートをしたいですね。とにかくめちゃくちゃ失敗していて、同じ失敗をしないようにアドバイスができるから、これをひとつの仕事にしたい」

瓶詰め、缶詰め工房のコンサルをしたいと語る角田さん。

角田さんの話を聞いて、想像してみた。日本各地、農業や漁業が盛んな農村に、小さな加工所がある。そこには角田さんのようなフードレスキュー隊がいて、余剰食材や規格外品について相談に乗ってもらえるのだ。

角田さんと同じように、ひとつの加工所で年間3トン買い取れるようになったら、100カ所あれば300トン。とんでもない数と量の畑のフードロスを防ぐことができるだけでなく、生産者は潤い、地域の食生活にも選択肢が増える。この豊かな未来を実現するために、角田さんなら一肌も、二肌も脱いでくれるだろう。

取材の日、角田さんが開発したばかりの瓶詰めを見せてくれた。それは、豊作になって採れすぎてしまった農薬・化学肥料不使用のフレッシュなハラペーニョを引き取り、レモングラス、大葉、生姜、ニンニクなどと合わせて作った「Green Curry Paste(グリーンカレーペースト)」。試食させてもらうと、深みのある辛さを感じた後、爽やかな香りが鼻孔を通り抜けた。

焼き・蒸し野菜、お肉や魚、パスタなどなんにでも合うというグリーンカレーペースト。

角田さんは諸々の許可を取得し、「YOKACHORO FOOD BASE」の店舗でナチュラルワインや日本酒などの角打ち、その場で食べられる乾きものなどの販売を始めた。もちろん缶詰め、瓶詰めをつまみとして食べながら飲むこともできる。ここはいずれ、淡路島のホットスポットになるだろうな。そう予感しながら、明石海峡大橋を渡った。

 

取材・文・撮影 = 川内イオ
編集 = ロコラバ編集部

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