助け合って販売する。料理研究家の枝元なほみさんが「夜のパン屋さん」を始めた理由

2022.8.4 | Author: ロコラバ編集部
助け合って販売する。料理研究家の枝元なほみさんが「夜のパン屋さん」を始めた理由

東京都神楽坂にある書店、かもめブックスの軒先で、毎週火・木・金の夜だけオープンする「夜のパン屋さん」。このプロジェクトを立ち上げたのは、テレビや雑誌など様々なメディアで活躍中の人気料理研究家で、NPO法人ビッグイシュー基金の共同理事を務める枝元なほみさんだ。夜のパン屋さんは、町のパン屋さんで売れ残ってしまいそうなパンを引き取り販売することで、食品ロスの削減に寄与している。枝元さんが、夜のパン屋さんを始めた背景に迫った。

夜に賑わうパン屋さん

毎週火・木・金曜日の夜7時、かもめブックスの軒先に置かれたテーブルには、様々な種類のパンが並ぶ。「夜のパン屋さん」が、神楽坂近辺、東京近郊、地方のパン屋さんから、その日に余りそうなパンを有償で引き取って販売しているのだ。売られているのは5~6個の詰合せや食パンなどで、毎回、違う味を楽しめる。

6月某日、お店がオープンする木曜日に訪ねると、仕事帰りの人や、子ども連れのお母さんなど、いろいろな人が夜のパン屋さんに立ち寄っていた。なかには常連さんらしき人もいて、「明日の朝飯、どうしようかなと思って」と枝元さんに話しかける。
「このチーズのパンがおすすめですよ」と、やりとりする声が聞こえた。

お客さんとやりとりする枝元さんとスタッフ

夜のパン屋さんは、生活困窮者の仕事をつくり応援する社会的企業「ビッグイシュー」を通じて同名の雑誌を販売している人たちがメインで働いている。都内の路上で雑誌を売っている姿を見かけたことがある人も少なくないだろう。「夜のパン屋さん」は、食品ロスをなくす取り組みと仕事がなくて困っている人が少しでも働ける場を作り出す新たな取り組みだ。

 

ビッグイシューとの出会い

2005年頃、枝元さんはたまたま読んでいた新聞の記事でビッグイシューの存在を知り、興味を持った。ある時、スローフードの特集があり、枝元さんはインタビューを受けた。それがきっかけで、ビッグイシューの取り組みに関わりたいと思い、「私にも何か手伝わせてください」と話をしに行ったところ、雑誌「BIG ISSUE」で連載を持つことになったという。その後、ビッグイシュー基金ができたタイミングで、枝元さんに「理事をやりませんか?」と声がかかり、今では共同代表の3人のうちの1人になった。

日比谷駅前でビッグイシューを売る販売者(画像提供:ビッグイシュー)

2019年12月、ある人からビッグイシューに寄付金が贈られた。

「その寄付金を配って終わってしまうような形ではなく、循環するような形で使ってくださいとお話を受けました」

循環するような形って?

枝元さんとビッグイシューの東京事務所の代表は、何ができるのか考えた。

ある日、マーケティングの仕事をしている友人の北村さんが、北海道の帯広にあるパン屋さん「満寿屋」のことを話してくれた。そこは7店舗を構えているのだが、その日に残ったパンを集めて、夜、1店舗で販売している。本当だったら捨てられてしまうかもしれないパンなのに……枝元さんは、その取り組みに感銘を受けた。

以前、パン屋さんに勤めている人から、「残ったパンを一生懸命持って帰るけれど、それにも限界があり、やっぱり捨てなくちゃいけない」という話を聞き、枝元さんは胸を痛めたそうだ。だから、満寿屋の存在を知り、東京だったらパン屋さんが沢山あるし、夜にパンを販売したら寄付金で循環できる環境を作れるかもしれないと感じた。

例えば、海外のビッグイシューだと、カフェを開いたりして、生活困窮者に別の仕事を作り出している。しかし東京では、店舗の敷金、礼金、固定費や維持費を考えると、お金がかかり過ぎる。でも夜にパンを販売するのであれば、必ずしも店舗を持つ必要はないのではと考えた。

 

夜のパン屋さんをオープンする

10月16日は、世界の食料問題を考える「世界食料デー」。枝元さんは、食品ロスの解消にも繋がるパン屋さんになるからと、2020年のその日に合わせてオープンさせたいと思った。
ビッグイシューのスタッフみんなから「まだ早いんじゃない?」と制されたが、枝元さんは「やってみなきゃわからないし、夜にパンを販売するって、いけそうな気がするとも思ったの」と笑みを浮かべる。

「その年の夏はオリンピックがあって、終わったら経済的にも落ち込むだろうし、みんなの気持ちは祭りの後のように少し落ち着いているはず。そのくらいの時期に、ビッグイシューが新しいこと始めたら、話題になるかもしれない」

初めに、移動販売車のように車でパンを販売することを思いついた。どこかの駐車場でパン屋さんを開ければ、固定費は毎月の駐車場代で済む。

そして翌日、埼玉県で一番安そうな中古の車販売店に行き、その場で100万円の車を買った。

「コロナが始まって、移動販売車が値上がりするとも思ったの。みんな仕事がなくなったりするから」

車は調達したが、まだパンを販売する場所は決まっていなかった。場所は、ビッグイシューの東京事務所に近いところ、飯田橋か神楽坂がいいと思った。もしパンが余ってもビッグイシューのスタッフに配ることができる。

知り合いのパン屋さんに相談したところ、「神楽坂に知ってる人がいるよ」とその場で、かもめブックスのオーナーに電話をかけて、枝元さんを紹介してくれた。偶然、オーナーはオーストラリア滞在中に、ビッグイシューを手伝ったことがある人だった。

「軒先に店を出していい」と言ってもらい、とんとん拍子にパン屋を開く場所が決まった。キッチンカーは一旦、枝元さんの実家に置くことになった。しかし、引き取るパンのあてがない。そこで、北村さんが作ってくれた書類と、自分の名刺、ビッグイシューの資料、自分の料理本を一揃え持って、パン屋に飛び込み営業をした。

「たくさんのパン屋を訪問しましたが、断られてばかりでした。店長さんに、こんなことやるんです。ご一緒していただけませんか。とお話すると、社長に聞いてみますと。数日後にまた同じお店に行ってお話して……1店舗で3回、訪問したこともありましたね」

パン屋巡りを始めて数店舗ほど回った頃、江戸川橋のナカノヤさんというパン屋さんに行き話をしたら、その場で「ああ、いいよ」

その瞬間、涙がこみあげてきた。
その後、ほかのパン屋さんから徐々に問い合わせがくるようになった。

2020年10月16日、「世界食料デー」に「夜のパン屋さん」がオープン。その頃には、提携先のパン屋は8店舗に広がっていた。メディアにも度々取り上げられて、地方にもその存在が知られるように。最初の頃は都内のパン屋さんが多かったが、静岡の浜松、北海道などからも声がかかった。なかには「雪が降る時期にパンを送るね」というパン屋もいる。季節限定で、夜のパン屋さんに並ぶそうだ。

朝食にもぴったりの食パンが並ぶ

なかには売れ切れてしまうパンも

今では、夜のパン屋さんは神楽坂含め3店舗に増え、飯田橋、田町でも販売している。飯田橋、田町では、「夜のパン屋さん」として移動販売車でオープンしている。最近では、代官山の蔦屋書店で6月18日から3週間、期間限定で(土日の全6回)夜のパン屋さんを開いた。

 

食品ロスを掲げて

夜のパン屋さんに並ぶパンは適正価格をつけていて、販売員やパンのピックアップをする人たちの人件費を出している。仕事を作り、循環できるような環境を作り出しているのだ。天候によってパン屋から引き取るパンの数が変わり、日によって、夜のパン屋の売れ行きも変動する。お客さんが多い日は、詰め合わせのパン100個が完売したこともある。

「儲かるけど、胃が痛くなるような、しんどくて周りの人に怒られてばかりのような、そんな仕事は長く続けられない。それだったら、自分のペースでやっていいとか、好きなこととかそういう仕事が増えていくと、世の中が明るくなるかもしれない。そんな思いで夜のパン屋さんをやっています」

長く料理研究家をしている枝元さんは、仕事じゃなくてもずっと料理がしたいぐらい、台所にいるのが一番好きと話す。にんじんや大根を切る、炒めるなど料理と向き合えることが楽しいという。「その野菜は、農家さんが作らなかったらないわけで、料理をしていると社会と繋がっていると感じられます」

「おいしいものを作るとか、今流行りの料理を作るとか、ビジュアルに映えるとか、どうでもいいじゃん。って長くやってきて思ったの。今は食べ物で苦労しないとか、飢えないようにすることが、一番の課題だと思ってます」

夜のパン屋さんでもしパンが売れ残ったら、ビッグイシューに相談にくる人達やスタッフに渡す。または子ども食堂に配るそうだ。

「パン屋さんとの約束は、パンを破棄しないで絶対に誰かの胃袋に入れることなんです」

枝元さんとスタッフの方々

取材・文・撮影=大塚有紀
編集=川内イオ

シェア

  • Twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク

カテゴリ