ひとりのワーグナー馬鹿が、イギリスにいた。
イギリス人のくせに、ワーグナーの楽劇を指揮することしか眼中になく、それ以外の音楽にはほとんど目もくれなかった。
時は20世紀なかば、イギリスがオペラの大輸入国で、首都ロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場さえ、やっと自前のカンパニー(歌劇団)を常設したばかりの頃である。
ワーグナーのファンはイギリスにもけっして少なくなかったが、上演のさいには、ドイツから大指揮者を招いて指揮してもらうのが当然だった。コヴェント・ガーデンの指揮者陣に加えてもらっていたその男が、どれほど切歯扼腕しても、ワーグナーを指揮する機会は与えられなかった。
好きでもないイタリア・オペラばかり指揮させられた男は、投げやりになった。気難しい上に、独学の指揮はひどくわかりにくかったから、やがて男は指揮棒を取りあげられた。コヴェント・ガーデンの最上階、掃除係と共同の一部屋に押し込められ、歌手のコーチだけがその唯一の仕事となった。
ところが 1968年、63歳になった男が引退を考えはじめたとき、運命が変わった。ロンドンのもうひとつの歌劇団、サドラーズ・ウェルズ・オペラ(現在のイングリッシュ・ナショナル・オペラ)が突然彼のことを思い出し、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の指揮を彼にまかせたのである。
公演は大成功、天井裏から出てきた男は、イギリス最高のワーグナー指揮者として、熱狂的な人気を博することになった。
その名は、レジナルド・グッドオール。
7月31日のBBC Concertでは、彼の《ワルキューレ》第1幕などをお送りする。その「不器用な愛」の深さをお楽しみに。
(彼の生涯にご興味がおありの方は、洋泉社発行の拙著『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』をお読みください)。
イギリス人のくせに、ワーグナーの楽劇を指揮することしか眼中になく、それ以外の音楽にはほとんど目もくれなかった。
時は20世紀なかば、イギリスがオペラの大輸入国で、首都ロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場さえ、やっと自前のカンパニー(歌劇団)を常設したばかりの頃である。
ワーグナーのファンはイギリスにもけっして少なくなかったが、上演のさいには、ドイツから大指揮者を招いて指揮してもらうのが当然だった。コヴェント・ガーデンの指揮者陣に加えてもらっていたその男が、どれほど切歯扼腕しても、ワーグナーを指揮する機会は与えられなかった。
好きでもないイタリア・オペラばかり指揮させられた男は、投げやりになった。気難しい上に、独学の指揮はひどくわかりにくかったから、やがて男は指揮棒を取りあげられた。コヴェント・ガーデンの最上階、掃除係と共同の一部屋に押し込められ、歌手のコーチだけがその唯一の仕事となった。
ところが 1968年、63歳になった男が引退を考えはじめたとき、運命が変わった。ロンドンのもうひとつの歌劇団、サドラーズ・ウェルズ・オペラ(現在のイングリッシュ・ナショナル・オペラ)が突然彼のことを思い出し、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の指揮を彼にまかせたのである。
公演は大成功、天井裏から出てきた男は、イギリス最高のワーグナー指揮者として、熱狂的な人気を博することになった。
その名は、レジナルド・グッドオール。
7月31日のBBC Concertでは、彼の《ワルキューレ》第1幕などをお送りする。その「不器用な愛」の深さをお楽しみに。
(彼の生涯にご興味がおありの方は、洋泉社発行の拙著『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』をお読みください)。
山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
山崎浩太郎のはんぶるオンライン