2009年03月/第66回 バッハとヨーロッパ

 私が小中学校にかよっていたころ、つかっていた音楽の教科書には、主要作曲家の生年順の一覧表が出ていて、ヨーロッパの音楽史を大雑把に読めるようになっていた。
 ひとりひとりに、キャッチフレーズがついていた。ベートーヴェンなら「楽聖」、シューベルトは「歌曲王」、J・シュトラウスは「ワルツ王」、といった具合である。
 その一覧表の始まりのところにいたのが、バッハ、J・S・バッハだった。そうしてその位置にふさわしく、かれには「音楽の父」という尊称がたてまつられていた。
 「音楽の父」とは凄い。始まりの人アダム、あるいは始祖鳥みたいである。小さなリュート曲から巨大な受難曲まで、あらゆる分野を一人で創造し、体系づけていった「巨人」であるかのような印象だった。
 しかし、こうした見方は正確ではない、というのが現代の定説である。中世以来、ヨーロッパ各国の音楽は相互に関連をもちながら発展してきた。特にイタリアには優秀な作曲家たちが出現して、北の諸国をリードした。またフランスにもドイツにも先達や同輩がいて、バッハと影響を与えあったのだ。
 バッハを孤独な絶対者ではなく、相対的な天才(天才であることは間違いない)としてとらえることで、その作品の演奏スタイルも大きく変ってきた。峻厳なだけではない、慰撫するようなコルボの指揮する受難曲や、アンタイ指揮のル・コンセール・フランセの躍動的な管弦楽組曲などは、その例である。
 今月のウィークエンド・スペシャルでは、ラ・フォル・ジュルネ予習編として、さまざまなバッハ像をお聴きいただこうと思う。
 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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