2008年05月/第56回 カラヤンとムター

ヘルベルト・フォン・カラヤンは、これと見込んだ演奏家を、集中的に協奏曲のソリストとして起用する習慣があった。
 ピアノではワイセンベルクがそうで、ベートーヴェン、ラフマニノフ、チャイコフスキーなどの協奏曲を録音しているし、ヴァイオリンではフェラスというフランスの奏者と、ベートーヴェンやブラームスの協奏曲を録音している。それは60年代から70年代にかけてのことだが、彼らがドイツやオーストリアの演奏家でないのは、この時代のドイツ語圏に不作が続き、若手の有望な奏者がなかなか出なかったからである。わずかにエッシェンバッハをソリストにしてベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を録音しているが、他の曲は録音されず、やがてエッシェンバッハは、指揮者中心の活動に転じてしまった。
 その状況を変えたのが、カラヤンより55歳年下のヴァイオリニスト、アンネ・ゾフィー・ムターの出現だった。77年にザルツブルク音楽祭でカラヤンの指揮でモーツァルトの協奏曲を演奏した彼女は、翌78年にそのモーツァルトをカラヤンとともに録音して、14才でレコード・デビューを飾る。そして以後も共演は途絶えることなく、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブルッフ、ブラームスの協奏曲、ヴィヴァルディの「四季」、そして1988年、カラヤンが亡くなる前年のチャイコフスキーの協奏曲まで、たくさんの作品が録音されることになった。
 それから20年、いまやムターはドイツを代表するヴァイオリニストとして、押すに押されぬ地位にある。カラヤンの慧眼を示す、最良の例となっているのだ。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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