2008年11月/第62回 ウィーンのイタリア男

 モーツァルトが生きた時代のウィーンでは、オペラはイタリア語で歌うのが当然だった。音楽とはイタリアから輸入されたものだったから、歌詞もイタリア語ということになっていたのである。
 ドイツ語で歌うなんていうのは、たとえていえばパスタを箸で食ったりするような、下品なふるまいとされていたのだ。ときには啓蒙主義の皇帝が「みんながわかる言葉で歌おう」などと言い出して、モーツァルトがドイツ語歌詞で「後宮からの逃走」を作曲する時期もあった。しかし、すぐに宮廷のイタリア人音楽家たちが巻き返して、音楽はやっぱりイタリア語ということになり、「フィガロの結婚」などのダ・ポンテ三部作はイタリア語で書かれた。
 もはや歴史の中の話だから、どちらが正しいか間違っているかを論じてみてもはじまらない。ただ、ドイツ語圏のなかでも南のカトリック地域には特に、音楽においてイタリアとの関連が深いという伝統があって、これはいまも脈々と生きている。
 ムーティがウィーンで人気が高いのは、まさにそんな伝統に則ったものなのである。彼は今年、日本でもウィーン・フィルとニーノ・ロータを演奏し、国立歌劇場を指揮してはイタリア語の「コジ・ファン・トゥッテ」を上演することになっている。
 そして、400年の歴史を持つウィーンの宮廷楽団(ホーフムジークカペレ)を指揮して、ケルビーニとハイドンのカトリック宗教音楽を演奏する。ウィーンのイタリア男の誇りは、いまも生きているのだ。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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