2009年05月/第68回 ハイドンと諸国民戦争の時代

 今年の2月、新日本フィルがブリュッヘンの指揮でハイドンのロンドン・セット12曲の交響曲を4回の演奏会で演奏する、意欲的な企画があった。
 後期ロマン派に較べて小編成の曲ばかりだから、切符は売りにくいだろうし、必ず余る楽員も出るし、その他にも難問も多かったろうが、楽団の努力の甲斐あって、会場は4回とも盛況だった。
 いちばん会場が沸いたのは、「軍隊」交響曲で打楽器4人が「おもちゃの兵隊」よろしく、ぎこちない動きでオーケストラの前を行進しながら演奏したときである。あざといといえばあざとい演出だが、ハイドンがこれらの交響曲を、限られた貴族階級向けでなく、市民、大衆に向けて、わかりやすく書いたということが目に見える演出だった。
 打楽器の響きは力強く、わかりやすい。音楽のありかた、古典派からロマン派への変換が、ここに端的にあらわれている。しかし同時に、それは「軍楽」である。そう、ハイドンの晩年は、フランス革命からナポレオン戦争へ、人間が「国民」となって戦争に動員されていく、諸国民戦争の時代の幕開けであった。勇壮で楽しげな軍楽は、人々を破壊と殺戮の戦場に誘う、死の響きでもあるのだ。
 ハイドンが愉快なのは、「軍隊」に続けて「時計」を書いたこと。ブリュッヘンの演奏を聴きながら、映画『第三の男』のオーソン・ウェルズの、あの有名な皮肉を思い出さずにはいられなかった。
「スイス五百年の平和はいったい何を生んだよ? 鳩時計だぜ」
 ハイドンはけっして単純ではない。
 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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