あなた。そう、あなたです。なにか楽器やりますか。
トランペット、トロンボーン、テナー・サックス、触ったこともないでしょう。
今からでも遅くはない。ぜひ、おやりなさい。
いや、オレなんか歳をとってるから駄目だあ。若いやつの音感にはかないっこない。
多分あなたはいま、そう考えたはずだ。
そりゃ、少年少女に音感ではかないっこない。憶えは遅い。しかし、あなたにはキャリアというものがある。
長年ジャズを聴いてきたではないですか。
少年少女は聴いていないんですよ。
例えば「ダニー・ボーイ」という曲がある。
あなたがピアノでこの曲を弾いてみたいとする。
少年少女は聴いていないからどう弾いていいかわからない。
ところがあなたには「ダニー・ボーイ」ならこういうふうに弾いてみたいというイメージがある。例えば、すすり上げる感じでやってみたいとか。
私は、こういうイメージはひょっとして音感よりも強い武器になるのではないかと思う。
少なくともジャズはフィーリングの音楽であるから「ダニー・ボーイ」を知らない少年少女が譜面を見ながら弾くより、つっかえつっかえながらもイメージを持って演奏するあなたの方に分があるように思えてならない。
これが私である。私は今、トロンボーンで「ダニー・ボーイ」を練習している。ものの見事につっかえ、つっかえ、である。
でもあの少女よりはオレの方がマシだなと思っていつも自分をなぐさめている。
その少女は私の通うジャズ学校で「ダニー・ボーイ」を吹いていた。
譜面を見ながら、淀みなく吹いていた。しかし、それは音楽として伝わってこなかった。音符の羅列に過ぎなかった。
小学生の棒読み、といった塩梅。
さあ、あなた、幾分勇気が湧いてきたでしょう。
いろんなミュージシャンの「ダニー・ボーイ」を長年にわたって聴いてきたあなた。
あなたがテナー・サックスが好きなら、ゆったりとしたペースでサブ・トーンをきかせながら、例えばベン・ウェブスターのように吹いてみるのもいい。
私は、楽器とは長年ジャズを聴いてきた人こそ手がけるものではないかと思う。
「イメージを持っていることほど強いものはない。」
これは私のトロンボーンの先生がいつも口にする言葉である。私はこの言葉にすがって練習に励んでいる。
60年以上もジャズを聴き続け、有り余るイメージを持った方が今度、トロンボーンを始めることになった。
岩浪洋三さんである。日本のジャズ評論界の第一人者。
この方が71才でこれまで触ったこともないトロンボーンを練習してゆくことになったのである。
「最初に何を吹いてみたいですか」
「『ダニー・ボーイ』」
私は感動した。感動してドクター3の「ダニー・ボーイ」をお聞かせした。
「こんなふうに吹いてみたいな。」
私は皆さんにお約束する。一年もしないうちに必ずうまくなる。
うまくなった岩浪さんの「ダニー・ボーイ」をPCMジャズ喫茶で全国に流す。
その日を首を長くして待っていてくれ。
寺島靖国(てらしまやすくに))
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ