さて諸君、今回もジャズの話をしよう。
このページは公共の場である。
眉間に皴を寄せたジャズのマニアックが巣食う暗い穴倉ではない。
であるから、私は主としてジャズとはいったいどういう音楽であるのかを常に主題にして書いてゆきたいと願っている。
ジャズファン以外の美男美女がこのページを読んで、ジャズって面白そうだな、ヒマだから一つ聴いてみようかな、と思ってくれたら、これくらい望外の喜びはない。
さて、それでは、ジャズとは一体どんな音楽なのだろう。
これは難しい。
「スイングジャーナル」というジャズの専門誌がある。社長が亡くなる前、あるベテラン歌手の方と話をした。
「何十年もジャズを聴いてきたが、結局ジャズって何だか分からなかったな。」
結局、ジャズは分からないということが分かったのである。
しかし、一つだけ、こんなのはどうだろう。
ジャズは格好いい音楽だ。
言えなくはない。
全面的に格好いい音楽とは言いにくい。
フリー・ジャズなどという訳のわからないのもある。ロックあたりから影響を受けたロックまがいの非純粋ジャズは影響という要素ゆえに格好よくない。
おお、一つあった。立派にあった。
二管編成ジャズ。
これである。
トランペットとテナー・サックス、トランペットとアルト・サックス、あるいはテナー・サックスとトロンボーン。
つまり、フロントと言われる管楽器が二本にピアノ、ベース、ドラムスのいわゆるリズム・セクションが付いたものを二管ジャズと言う。
これが1950~60年代に流通、発展してジャズが黄金時代を迎えたのだ。
黄金時代の立役者は二管ジャズだったのである。
現在、大爆発中の東芝1500円ブルーノート・シリーズで売り上げ1位・2位を占める、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』、キャノンボール・アダレイ、マイルス・デイビスの『サムシン・エルス』などはまさにこの二管編成ジャズ。
サボイ・レーベルのベニー・ゴルゾン、カーティス・フラー『ブルース・エット』なんていうのも落とせない。ベニー・ゴルゾンといえばトランペットのリー・モーガンと組んだ『モーニン』もその例に漏れず。
名盤の影に二管編成あり、なのだ。
さて、では、二管ジャズのどこが格好いいのだろう。『モーニン』を例に挙げよう。
この曲のテーマをベニー・ゴルゾン、リー・モーガンが一人で吹いたとする。
想像するだけで薄ら寒くなる。なんとまあ、しょぼい曲なのよ。
ところが、二人揃って吹くと、おお、どうだろう、これは。実に堂々として一人が半人にしか聴こえないのに二人揃うと5人分くらいに聴こえてくるのだ。
つまりハーモニーが分厚くなってテーマ・メロディーが別人のように重層的に躍動するわけだ。
これ、作曲者がそうなるように作曲するからである。
二管で映えるメロディーの流れを考案するからである。
であるから、ちょっと難しくなるが、この二管編成とオリジナル曲とは切っても切れない関係にあるのである。
二管と旋律豊かなオリジナル曲のおかげでジャズは、50~60年代に最高峰に昇りつめた。そのことは先程お話した通り。
さて、本日は異色の二管ジャズをご紹介しよう。
なぜ異色なのか。トランペットとトロンボーンの二管で成り立っているからである。
あまり例がない。
大抵の二管は木管(サックス)と金管(トランペットやトロンボーン)の組み合わせである種の優しさと広がりを表現した。
ところが、ここは金管二本。当然音が鋭くなる。
しかし、ちゃんと理由があるのである。
聴けばわかる。
二曲目のタイトル曲『ニュー・フロンティア』。
ここはもうトランペットとトロンボーンのサウンドしかない。これしか考えられないというほどの鋭く格好いいアンサンブル・サウンドなのだ。
サックスではたちまち甘さが増してしまう。
甘さは一切お呼びでない。
鋭さと格好よさが欲しい。
では相手はトランペットしかないではないか。
リーダーのトロンボーン奏者、ルー・ブラック・バーンはそのように考え、異色の名演が誕生したのだ。聴いているあなたが格好よく見えるジャズ。それがこれである。
〔P.S.〕
現在、二管ジャズは多く見られない。
なぜか。
当時のミュージシャンは二管を格好いい音楽ととらえ、夢中で演奏した。
今のミュージシャンは形式の一つとして演奏しているに過ぎない。
それよりもっと大きい二管衰退の理由。
美しいもの、そして格好いいものはしょせん滅びるのだ。
寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ