よう、諸君、元気かね。
私は今、4キロのダンベルを100回持ち上げ、さらにその後、下手くそなトロンボーンで「ビューティフル・ラブ」をひとくさりやらかした。
2つの相反する世界を行き来するとけっこうハイテンションになる。
「ビューティフル・ラブ」といえば、若い頃、あるライヴ・ハウスでの出来事を思い出した。
その店ではボーカル・セッションみたいなことをやっていた。何人もの歌手が一曲づつ歌う。
一種のオーディションだ。
私の歌を認めて下さい。
慣れきった普通のライヴ公演にはない切実な思いがあって、このボーカル・セッション、歌手以上に聴いているほうが緊張する。
一人の歌手が「ビューティフル・ラブ」を歌った。
この歌、気持ちを入れ過ぎるとオペラの世界になってしまう。
いかにあっさいり歌うか。それがこの曲の生死を分ける。
さあ、この緊張の場面でどうするのか。
まるで脱臼したように肩の力を抜いて彼女は歌った。
私は、この時からこの曲のファンになったと言っていい。
同時に名前も知らない彼女に一目惚れした。
休憩時間、トイレに行くと彼女が出てきた。話しかけたかったが、出来なかった。
でも、俺は彼女の後のトイレに入れる。そのことがひたすら嬉しかった。
話というのはそれだけ。
今日はシーラの歌を紹介しよう。
シーラが「ビューティフル・ラブ」をやっていると話はうまいが、世の中そうはゆかない。
しかし、このシーラ、力が抜けている点では先の彼女と同等だ。
歌というのは、力が入っているけど、いかに入っていないように聴かせるかが大きなテクニックの一つになる。見えないテクニックだ。
見えるテクニックに腐心する大抵の歌手はそこが間違っているのだ。
と、エラそうに言ったが、このシーラ、とにかくそこが上手い。
デューク・エリントンの「アイ・ガット・イット・バッド」など歌いながら居眠りしているんじゃないか。
そうまで思わせる眠狂四郎の世界。この剣豪、眠りながら人を斬るからね。
あの甘苦い眠眠打破の常飲者である私なんかも眠りながら文章を書けたらなあと夢想する。
さてシーラの嬢、ロックのほうの出身の人である。
私は惚れた弱味、この人のロックのほうのCDも聴いてみた。「Something Happened」。ちっとも良くない。なんだ、これは。
ギョーン、ギョーンという汚らしいロックのギターを聴いて気持ちが悪くなった。
ロックってつくづく嫌な、下品な音楽だ。
それにシーラ嬢がちっとも居眠りしていない。ぱっちり目を開けてしっかり口を開けて歌っている。
それじゃあ、シーラじゃないんだ。
ロックの人がジャズのスタンダードを歌ったから良かったんだろう。
もう一つ良かったことがあった。
このCD、鎌倉にあるバッファロー・レコードという会社が輸入している。
私はバッファロー・レコードというネーミングが気に入った。
そのものずばりで音楽が匂ってくる。風景も見えてくる。
草深い草原に立っているような気がしてくる。
ライナーノートに、スモーキーで枯草の匂いのするシーラの歌、と書いてあった。
テキサスのオースチンで彼女は毎晩ジャズ・クラブに通っていた。
たまたま彼女の話す声を聴いたバンドのメンバーが「歌わないか」と誘ってくれたのだという。
声を聴いて、というのが凄い。
声の中に歌を見出したのだろうか。
それとも、声そのものが歌だったのだろうか。
寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ