やあ諸君、またお会いしたね。
本日のこのCD、私は聴くたびに不思議な体験をする。
普通のCDは聴くためにある。しかしこのCDは「見る」ためにあるのだ。
見えるんだよ。スピーカーとスピーカーの間にピアノとベースとドラムが。
そりゃ見ようと思えば見えるだろう。想像力を働かせれば誰だって目の前に楽器を像として画き出すことはできるだろう。
諸君はそう考えるに違いない。
しかしこのディスクに限ってはだね、そういう「努力」なしに目前に鮮やかに三つの楽器が浮かび上がってくるのだ。そそり立つと言ってもいい。
「目で聴く」ディスクなんだよ。
風景の中にピアノとベースとドラムが点在している。一個一個が離れてはっきり見えて、それはそれは気持ちがいい。
多分そのように音が出るように意識して録音したのだろう。
そうしてそれが達成された時、制作者は嬉しくて思わず『スリー・ワイルド』という大仰なタイトルを付けてしまったに違いない。
しかし、この喜びの三つの世界、ちょっと油断するとすぐに一つの世界になってしまうのだ。
一つ一つ離れていたのがくっついてしまう。ピアノ、ベース、ドラムスがひとかたまりになって聴こえてくる。
するとどうなるか。つまり、一個一個が動かないのだ。壁一面で押し寄せる感じで全体が一つとして動く。
するとどうなるか。演奏が躍動しないから実につまらなく聴こえてしまう。
私はこれまで文中にオーディオという言葉を遣わないできた。
オーディオというとすぐ逃げ出すからね、皆さんは。それによくないイメージもある、オーディオには。
金持ちオヤジが金に飽かせて道楽三昧みたいな。
そういう面も確かにあるがしかし、演奏が躍動せずつまらないとなると諸君も少し考えてしまうだろう。
なんてたってジャズは躍動の音楽なのだから。躍動せずになんのジャズなのだ。
私のオーディオ・システムもちょっと間違えるとたちまち「動かなく」なってしまう。
たとえばケーブルを一本変えようとする。プリアンプとCDプレーヤーの間のケーブルをちょっと気分を変えて他のを使ってみるか。
そんな浮気心を起こして別のをつなぐとさあ大変。ピタッと動きをやめてしまうのだ。
シューンと煙のように上空に延びていたシンバルがいきなり下降を始める。ピアニストがやーめたとばかり寝転んでしまう。ベースもハイさようなら。
結果、ドンヨリとした演奏になって「なにこのピアノ・トリオ、サイテー。もう聴きたくない」。ジャズ・ファンとして最悪の状態になり果てるのだ。
このようにオーディオとは意外や意外、諸君が考える以上にけっこう大事なものなのだ。音楽と密接に結びついている。
金持ちオヤジのホビーにとどまらないジャズ・ファンのための生活オーディオというのがあっていい。否、これがないと損をする。
せっかくの『スリー・ワールド』が『ワン・ワールド』では泣くに泣けない。
さて、先日このディスクを音楽之友社発行の「ステレオ」誌に紹介した。何人かの人が興味を持ってCDを探した。見つからない。ひょっとして廃盤かも。
私はぜひとも皆さんに聴いて頂きたい。
そこで私はこのCDから一曲「ミスター・ボージャングルス」を抜き出して『Jazz Bar2005』に挿入した。
うむ、『Jazz Bar2005』の巧妙な宣伝だな。あなたの推理は正しい。しかし50%の正しさだ。いや70%。30%は本当にほんと聴いて頂きたいという気持ち。それを察して頂きたい。
寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ