2007年06月/第41回 テナー・マン、ズート・シムズは変わり者か

家でCDやLPを聴いたりすると同じくらいライヴ・ハウスの来日ジャズ・メンや日本のプレイヤーを聴きに行く。ライヴ・ハウスだと目の前で聴ける上に、時々ミュージシャンと接する機会も持てるからである。

すると、CDやLPを聴いているだけでは分からない、生身の人間に触れたり、意外な面を発見出来る楽しみがある。最近の若手ジャズメンは内外ともに、「三ナイ主義者?」が多く、酒を飲まない、遊ばない(ステージが終わって女の子たちとも遊ばずにホテルに真っすぐ帰る)、ジャムらない(ステージ後、別のクラブに行ってジャムったりしない)ので楽しくないが、かつてのジャズマンたちはよく飲み、よく遊び、よくジャムったものだった。

ただ、アート・ペッパーには初来日の時、夜のジャズ・クラブに誘ったら、夫人のローリーに、「お酒のある店はダメ」といわれてしまった。彼女はアートを管理することで麻薬から救い出し、酒も飲ませないようにしていた。しかし夫人が来ないとわかっている日のライヴ・ハウスでは、この時とばかりに酒を飲みまくっていた。ところが演奏は全く乱れないのにはびっくりした。

大酒飲みといえば、ズート・シムズもひけをとらなかった。5回目で最後の来日になった83年の10月に、吉祥寺のライヴ・ハウスに彼を聴きに行ったら、演奏の始まる前から飲みはじめた彼は、休息時間も飲み続けるので、演奏は大丈夫か、とハラハラしたが、プレイにはまったく乱れがなく感心したものだった。ズートのテナーは本道をゆく、オーソドックスで、スムースで温かく、穏やかで温厚な人間性を感じさせるが、実像とかなり開きがあるようだ。実際は底なしの酒豪で、2テナーで全国をツアーして廻った西條孝之助も彼の飲みっぷりには驚いたようだ。一日にウイスキーのボトル2本はかるく空け、のどが乾いたといってはビールを飲んでいたが、飲むほどにプレイがよくなっていくのには二度びっくりしたという。

ズートといえば、アメリカで酔っぱらってホテルのドアを壊し、弁償させられたことがあるが、チェック・アウトの時、「弁償したのだからこのドアは俺のものだ」と言って、大きくて重いドアを抱えてホテルを出て行った、というのは有名な話である。彼は実は大変な「奇人」であったのである。

ところで、番組に持参したズートのCDは「ズート・シムズ/クッキン!」(フォンタナ盤)で、61年にロンドンの「ロニー・スコット・クラブ」でライヴ録音されたものである。付き合っているのは、このクラブのオーナー、ロニー・スコット(TS) らイギリス勢だが、これがなかなかの名演集なのだ。

この日は長澤氏の好きな曲特集なので「ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド」をかけるつもりで持ってきたのだが、みんな(といっても寺島氏と長澤氏の二人)が「枯葉」を聴きたいというのでその「枯葉」に。豊かに歌っていて、僕は久しぶりにズートのテナーを堪能した。このオリジナルLPは「幻の名盤」とされていて高値をよんでいたが、CDが出たので、僕は「MEG」のオークションでオリジナルLPを売った事がある。たしか1万円くらいで売れたと記憶しているが、そんなお金はすぐに飲み代で消えてしまった。レコードは売ったり買ったりするから面白いのであって、それでいいと思っている。 

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

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