この間、CDの中古店に言ったらナット・キング・コールの二枚組があったので買ってきた。彼のCDなど珍しくもなんともないが、「Nat "King" Cole / The Billy May Sessions」(Capitol Jazz)との題名にひかれて買ったのである。ビリー・メイはかつてグレン・ミラー楽団のトランぺッターとして活躍し、キャピトルにあっては、自楽団の演奏とアレンジャー、歌伴として魅力的な仕事をしてきた男であり、彼が伴奏したセッションならジャジーに違いないと思って買ったのである。
じっさいにそうで、中にはキング・コールがオルガンを弾いたのもあり、未発表曲も4曲程あった。「ウォーキン・マイ・ベイビー・バック・ホーム」「コールド・コールド・ハート」というポップ曲も楽しかったが、番組で「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」をかけたところ、寺島氏、長澤氏といった男性陣からはあまり反応がなく、人妻Aさんは「私はもっと晩年の声の方が好きなんです」と言われてしまった。
たしかにこれは1961年頃のもので、晩年の渋い味わいはない。僕はナット・キング・コールものならみんな好きだ。友人にカラオケに誘われると、たいていキング・コールの「モナリザ」や「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」を歌う。
カラオケは自分から進んでいく方ではないが、誘われて行って、午前3時頃まで歌ったことが何回かある。昔、高木東六という作曲家が「カラオケ亡国論」を新聞に書いていたことがあるが、いまやカラオケと寿司は世界に広まっていてとどまることを知らない。何年か前にニューヨークのハーレムの街角を歩いていたら、ジャズ・クラブのウインドウに”ライブのない日はカラオケ”と書いてあった。カラオケがハーレムにまで進出しているのには驚いた。もちろん、ニューヨークのミッド・タウンやダウン・タウンにもあり、一度友人と入ったことがあるが、ちょうど「ニューヨーク・ニューヨーク」が歌われていたが、日本のように一人が立って歌うのではなく、みんなで合唱していた。ちょうど日本の一昔前の「歌声喫茶」のようであった。
僕は日本のジャズメンともカラオケに行ったことがあり、じつはベースの鈴木良雄、ピアノのアキコ・グレース、ドラムスのヒロ近藤らと一緒に行ったのだが、3人はジャズメンなのにジャズは決して歌わないのである。鈴木良雄は「僕は大学の時からこの歌が得意なんだよ」といって、みごとに舟木一夫の「高校三年生」を歌ってみせた。アキコ・グレースはJ-POPをさかんに歌っていたし、ヒロ近藤は演歌好きだった。彼らジャズ・ミュージシャンがカラオケでジャズ・ソングを歌わないのは、オフタイムくらいは、ジャズから離れてリラックスしたいと思うからに違いない。
ところが僕みたいに、歌の素人でちゃんとジャズ・ソングが歌えない人間にかぎってカラオケでジャズ・ソングを歌いたがるのだろう。
カラオケでジャズを歌って、うまいなあと感心したのは、日本在住のベーシスト、スタン・ギルバートである。一度赤坂の「KAY」に行ったとき、ライヴの終わったアフター・アワーズにカラオケの「ナット・キング・コール愛唱歌集」に合わせて二人で遊びながら歌ったことがあるのだが、彼の渋い声はまるでキング・コールのようであり、見事な歌いっぷりだった。彼なら歌のアルバムを出してもおかしくないとおもった。
最近は一人カラオケも流行っていて、一人でカラオケ・ルームを借り切って歌うらしいが、カラオケって多少は他人に聴いてもらいたい気持ちで歌うものではないのだろうか?もっともミュージシャンの中には一人でルームを借りて楽器の練習をしている人もいるとか。
岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。