アメリカの南部ニューオーリンズは特別な都市だ。北東部のニューヨークから南部に行くと景色も一変する。「風と共に去りぬ」などに出てくる南部特有の樹も南部の風景を彩る。ジャズの歴史が進んでも、ニューオーリンズは依然として『ジャズ・シティ』だ。ハリケーン・カトリーナに襲われた後はまだ行っていないが、その少し前に行ったときは、ビアホールで昼間からデキシーランド・ジャズが聴けたし、テーブルには灰皿がごろごろころがっていた。ジャズのライブ・ハウスもいくつかあり、観光名所の『プリザベーション・ホール』はいつも満員の盛況だったし、ジャズ・クラブにはマルサリス兄弟の父親エリス・マルサリスが出演していたし、朝方まで騒がしいサンバ・クラブもあった。ニューオーリンズ・ジャズ博物館は先人たちが使った楽器や貴重な資料がいっぱい展示されていて多いに楽しめた。昼間街を歩けば、あちこちでストリート・ミュージシャンの演奏を楽しむこともできた。黒人の親子の演奏もあれば白人の美女トランぺッターがショート・パンツ姿で演奏していてしばらく見とれていたものだった。とにかく活気とエネルギーを感じさせる街だった。
こんなニューオーリンズの風景を思い出したのは、最近『アラン・トゥーサン/ザ・ブライト・ミシシッピ』(Non Such)を聴いたからだ。近頃聴いたジャズ・アルバムの中でも、もっとも感銘を受けた一枚だった。早速『PCMジャズ喫茶』に持っていってかけた。曲は「セント・ジェイムス病院」を選んだのだが、口の悪い寺島靖国氏も「これはいい」とほめた。実は僕はこれまでアラン・トゥーサンのことはよく知らなかった。それで、レナード・フェザーが編集した1999年版『ジャズ人名事典』を調べてみたが、彼の名はなかった。かれはソウルやロック、ファンクのアーティストというのだろうか。しかしこの『ザ・ブライト・ミシシッピ』はどう聴いても創造的ですぐれたジャズであり、南部やニューオーリンズ・ジャズのスケールの大きさをみせつけたもので、昨今のひ弱なモダン・ジャズなどを圧倒してしまうものがある。
アラン・トゥーサンはニューオーリンズの黒人ピアニスト、歌手、作編曲家、プロデューサーである。ハリケーン・カトリーナに襲われた後、一時ニューオーリンズを離れざるを得なくなっていたが、最近はもどり、故郷とニューヨークを行き来して仕事をしているが、先日来日してライヴ・ハウスにも出演した。彼の演奏を聴くと、ニューオーリンズの復活と『ニューオーリンズは死なず』を実感することができる。今回の『ザ・ブライト・ミシシッピ』は黒人霊歌からトラッド、キング・オリバーやジェリーロール・モートン、シドニー・ベシェからジャンゴ・ラインハルト、デューク・エリントン、セロニアス・モンクにいたるまで、まるでジャズの歴史をカバーするような選曲をおこなっており、それをすべて南部やニューオーリンズに集約するような形で演奏し、表現している点に驚嘆し、圧倒される。
また、集められたドン・バイロン(cl)、ニコラス・ペイトン(tp)、ブラッド・メルドー(p)、ジョシュア・レッドマン(ts)といったモダン派といわれる人たちが、すっかりアラン・トゥーサンの音楽に融け込んでいるのにも驚かされるが、ジャズをスタイルで分類することの無意味さを教えてくれる、皮肉で、批評家精神にあふれたアルバムではなかろうか。
上記「セント・ジェイムス病院」もいいが、アルバム・タイトルにもなっているセロニアス・モンクの『ブライト・ミシシッピ』がとても面白い。モンクの音楽からユーモアの精神を引き出しているのも正解だが、ドン・バイロンのクラリネットをフィーチャーしてロック・ビートのブラス・バンド風の演奏を展開してみせる独創的なアイデアには感心してしまった。
また、デューク・エリントンの作品を2曲『デイ・ドリーム』と『ソリチュード』を演奏しているのにも注目した。エリントンはニューオーリンズ出身ではなくワシントンD.C.生まれだが、ぼくは日頃「エリントンの音楽にはジャズのすべてがある」と言っているだけに興味深く聴いた。『ソリチュード』はトゥーサンのグルーヴィーでどこかファンキーなピアノとマーク・リビットのアコースティック・ギターだけで演奏されるが、『エリントンも黒人であり、彼の音楽ルーツのひとつがニューオーリンズにあるといえるのではないか』と主張しているようにも聴こえてきて感心した。
岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。