2005年12月②/第26回 正しいジャズ、正しくないジャズ

この間のことである。北千住のあるライブハウスへお話を伺いに行った。

吉祥寺などという、古いんだか新しいんだかわからない、植民地みたいなところに住んでいると、千住という言葉の響きは実に懐かしい。
人情細やかな温かい土地柄という感じがする。

ライブハウスのご主人も人情に厚そうな人柄の方であった。

しかし、「あなた方がジャズをいたずらにむずかしい物にしてしまったんですよ」といきなり話を向けてきた。口許はほころんでいるが目は笑っていない。

あなた方というのはジャズ喫茶のことを言っている。

ジャズ喫茶の親父たちが、やれコルトレーンだ、モンクだ、ミンガスだとやたらジャズを高いところへ持っていった。
ジャズはむずかしくてこそジャズである、などと鼻をうごめかす店主もいた。

私などもその口で、自分の店を「ジャズ道場」などと称していばっていた時期があった。
ジャズは修行して身につけるもの、なんてね。ライブハウス?あんなものは目はあっても、耳のない人が行くところさ、なんてね。

いや、知らなかった。ライブハウスの方たちが我々を苦々しく思っていたのだ。

ひた謝りに謝って逃げるように帰ってきた。北千住は懐かしいところではなかった。怖いところだった。

そうなのである。ご主人の怒りはもっともなのである。

むずかしいジャズを俺たちは分かっているんだぞ、それを言いたくて仕方なかった。
チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、ビル・エヴァンス、バド・パウエルなどが正しいジャズであった。
正しいジャズを更に正しくするために正しくないジャズを槍玉に挙げた。

マンハッタン・ジャズ・クィンテットがその筆頭であった。

「あんなものは分かり易いだけのトーシロ相手のジャズ、我々ベテランの聴くものではない。
あんな犬でもわかるフレーズ、アドリブなどと口が裂けても言えるものではない。おお、恥ずかしい」。

まぁ、こんな塩梅だったのである。正しくないジャズが20年も30年も続くものか。

正しいジャズ喫茶は今、壊滅状態だ。

正しいジャズ喫茶が生き永らえていたら、本日ご紹介のヨーロピアン・ジャズ・トリオなどボロクソ言われたことだろう。

いや、正直言おう。私はヨーロピアン・ジャズ・トリオをいまだに「ニセモノ」と思っているのである。

ところがつい先日このCDを聴いて少し考えを改めた。ヨーロピアン・ジャズ・トリオを聴くからいけないのだ。
ヨーロピアン・ジャズ・トリオという概念はひとまず措いてヨーロピアン・ジャズ・トリオの演っている曲を聴いてみたらどうか。

セロニアス・モンクという概念ではなく、モンクの作った「ラウンド・ミッドナイト」を聴いてみる。

それと同じことをやってみたのである。

すると、どうだ。彼らの演る「夜のタンゴ」が俄然、滅茶苦茶いいのである。

一日に3回くらい頭の中にメロディーが浮かんでくるのである。男と女が足をからませて踊るあのタンゴ状態に気分はなってゆくのである。

「夜のタンゴ」はコンチネンタル・タンゴだ。コンチネンタルとは大陸のことで、この場合はヨーロッパ大陸、つまりヨーロッパ・タンゴ。
発祥の地であるアルゼンチン・タンゴとは別種のものだ。

コンチネンタル・タンゴの代表曲は、アルフレッド・ハウゼの作ったドイツ・タンゴの「蒼空」ということになっている。
これは人の心の奥底に潜むほんの僅かの哀情をも根底から抉り出す、とんでもない名曲だが、この「夜のタンゴ」も負けず劣らずの哀情抉り出し曲なのだ。

第一「夜のタンゴ」というタイトルが示唆的で実にいいではないか。エロチシズムはやはり暗示的でなくてはいけないと思う。

さて、さて、私は皆さんが羨ましくて仕方がない。特に若いあなたに嫉妬を覚える。

なぜならこのヨーロピアン・ジャズ・トリオの「夜のタンゴ」をなんの偏見もなしに聴くことが出来るからだ。私には偏見がへばりついている。払っても払っても落ちない。

だから折角の「夜のタンゴ」が半分くらいしかよく聴こえないのだ。

諸君、私の代わりに聴いてくれ。2倍よく聴いてくれ。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

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