2006年10月/第33回 クレオパトラの夢



やぁ諸君、元気かね。今日は秋吉敏子さんの話から始めていこう。
昔、秋吉さんがコンサートを行った時のことである。『クレオパトラの夢』を演ることになった。秋吉さんはいつもの少し口ごもるような感じでこうアナウンスしたという。


「日本の皆さんはバド・パウエルの作った『クレオパトラの夢』が大変お好みらしいが私はあんなの好きではありません。でも皆さんがお好みなので演ります。」


演奏の出来がどうだったかは聞きもらしたが、先日こんなエピソードを岩浪洋三さんが苦笑まじりに語ってくれた。


『クレオパトラの夢』は日本のジャズ・ファンの国民的愛唱歌と言っていい。ジャズ・ファンにとって難物に見えるバド・パウエルが親愛の情をもって迎えられたのはひとえに彼が作曲発表した同曲によって、である。


ジャズ・ファンにとってのバイブルは1947年の『バド・パウエルの芸術』ではなく、1960年作の同曲が入った『シーン・チェンジス』に間違いない。この一曲によって「むずかしいパウエル」は「優しいパウエル」に変わったのである。


秋吉敏子さんの場合はどうか。秋吉さんは、なるほど、皆さんご存知のように立派な方で尊敬を集めているが、しかし親しまれているとは決して言えない。私なんぞははっきり言って敬遠しているくらいである。彼女の昔作った『ミナマタ』など、大変つらい。ジャズのミュージシャンにとって作る曲がいかに重要か、ということだ。


若いミュージシャンに言いたいが細かいテクニックなどを磨く暇があったら大きく優美なメロディーの曲を作曲考案したらどうか。そのほうがよほど大きくジャズ界に貢献することになると思うが。


今、『クレオパトラの夢』級のオリジナルが50曲、いや30曲出現したらジャズ界は大きくいい方向に変わるだろう。


さて、こうした名曲はいろいろなミュージシャンによって引き継がれていく。『クレオパトラの夢』を引き継いだ一人が女流ピアニストの川上さとみさんである。これを聴いて私のいつものいたずら心がむくむく頭をもたげたのであった。


例の善男善女が集まるジャズ・クラブへ本家本元のバド・パウエルと川上さとみさんの『クレオパトラの夢』を持ってゆき、どちらがどちらと言わずにかけてみたのである。そして、さて、皆さんはどちらの演奏がお好きですか?挙手でお願いします。


7対3の割合で川上さとみさんが勝利を収めたのである。もちろん、理由を訊くのを忘れてはいない。川上さんのピアノがきびきびはつらつとしていて気持ちがいいという人が多かった。近代録音による音の良さ、という点もあるだろう。女の情念のようなものがピアノの音の中に巧みに混入されていて圧倒されたという若い女性がいた。バド・パウエルはモゾモゾ地面を這っているようでうざったいと。これはビギナーの若い女性。パウエルに票を入れた人はベテランのファンに多く、これはパウエルの名前の威光から抜けられないのだろう。


いや、まったくお気の毒。パウエルまるでかた無し、面目丸つぶれ、である。


名演、名盤も時とともに変わっていくのだな、と思った。名盤も老いる。識者やファンが気付かないだけかもしれない。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

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