2008年01月/第48回 素人衆の底力

この頃「ジャズ批評」という雑誌が面白くなってきた。

一時期は低迷していて、何とかジャズ最前線などとかけ声ばかり勇ましく、その割に内容はCDやLPを見さかいなく並べたてただけのもので、決して読み心をそそられるものではなかった。

最近は違う。この頃の傾向としては、「素人衆」が執筆者として大挙現れているのである。素人と言ったって、読めば分かるが、その道の権威といわれる人たちよりよっぽどたくさん「聴いて」いる人たちだ。

音楽の評価力は聴く時間の長さによる、というのが私の考えである。ごく一部の大天才を除いて本も楽器も何も皆同じ。仕事を放り出してヒアリングに熱を入れている人の声ほど確かなものはない。権威の人たちが論を立てて解説するのとはぜんぜん異なるリアリティがあって私は大いに好きなのだ。

この方たちの文章の中には大抵たくまざる一行というのが散見される。その人でなければ言えない言葉というのがある。

そういえばさる偉い人が、文章というのはからりと明快に晴れていて、さらにその人しか語れないものだったらそれが最高だと。

いつもそういうわけにはいかないんだけどね。素人の方たちはたまに登場するからそれが可能なのである。毎回苦しんでムリにひねり出す通例執筆者とはそこが違うところだ。

なにより、このミュージシャンが、CDが、レーベルが、音が、こんなふうにとにかく好きなんだと静かに絶叫しているのがいい。通例者が毎回絶叫していたらバカだと思われてしまう。

プロとアマの違いといえば作家の遠藤周作がこういうことを言っている。

「アマの作品を読むと、申しわけないがやはり息を切らしている。何となく余裕がない。文章にも余裕がないし、内容にも余裕がない。また文章に抑えがなくて大声や金切り声をあげている。率直に言うとやはり野球や角力の世界とおなじ差をその時に感じてしまう。」

なるほどね、その通りだと思った。なんだか自分のことを言われているようで急に世の中が面白くなくなったけど。

しかし遠藤周作が言うのは高度の文学の世界のことだろう。私らのやっているのはたかだかジャズという一人よがりの個人主義の発達した趣味の世界。多少暴走したところでそれがどうしたというのだ。

けんかごしのほうが面白い時だってある。第一ジャズは冷静に抑えて聴く音楽ではない。自分で興奮をかき立てていって武者ぶりつくように聴いて初めて向こうが応えてくれる側面もある音楽である。

それから、あと、ユーモアね。ユーモア精神がないとジャズは苦しくなって長続きしない。笑ってジャズを聴く。これがいいのである。嘘だと思ったらやってごらん。楽しいジャズになるから。しかつめらしく聴けばジャズはしかつめらしい音楽になるのである。短い人生、どうせなら楽しく聴かにゃあ損する。

2007年9月号の「ジャズ・ボーカル特集」をパラパラやっていたら岩浪洋三さんと三具保夫さん、志保沢留里子さん、高田敬三さんが座談会をやっていた。

冒頭から面白いのである。

岩浪「ボーカルというのは斜かいに聴くのがいいんで、人の声だからはっきり好みが出る」
高田「人それぞれいろんな好みがありますから」
岩浪「女性から見たら男性ヴォーカリストには色気とかセクシー度とか大切なんでしょう?」
高田「それは違うんじゃないですか」
志保沢「そんな聴き方してませんよ」(笑)

ユーモアが全然通じていないのである。岩浪さん、しまったと思ったんじゃないだろうか。言う相手を間違えたなあ、と。ここはPCMジャズ喫茶じゃなかったんだ、と。

いつものPCMの気分でいってピシャリとやられてしまったのである。

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寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

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