2008年12月/第59回 ブラウン/ローチ・クィンテットを聴き直す

ここのところ「ファイブ・フォー・ファン」のファン・ファイズや「ブルーノート・セブン」といったグループ名のつくアルバムが発売されたが、活気があり、これからのジャズを示唆するようなすてきな演奏だった。グループの演奏だと、ワン・タイム・セッションにはない、グループとしての主張と個性が見られるからだ。これらのグループの出現には今後のジャズの活性化を予感させられる。

振り返ってみると、50年代の中頃からの10年間くらいは、人気グループがあり、ジャズはまれにみる活況を呈していた。ジャズ・メッセンジャーズ、マイルス・デイビス・クィンテット、ブラウン・ローチ・クィンテット、ホレス・シルバー・クィンテット、キャノンボール・アダレイ・クィンテット、ジョン・コルトレーン・カルテット、チコ・ハミルトン・クィンテット、デイヴ・ブルーベック・カルテットなどが人気を競い合っていた。
その中でもブラウン・ローチ・クィンテットは最強のコンボの一つだったと思う。リーダーを務めた二人、マックス・ローチとクリフォード・ブラウンは旗揚げする前にロスアンゼルスでアパートを借りて共同生活をしながら周到にプランを練り、選曲し、アレンジも行った。

ただテナー・サックス奏者だけがなかなか安定しなかった。最初のテナーはソニー・スティットだったが、すぐにやめた。スティットが来日した時、話を聞くと、そうだと言う。「ライヴでは何度か演奏したし、その録音テープは俺が持っているよ」と言ったが、彼が亡くなったのでそのテープの行方はわからない。このあとテナーはテディ・エドワーズ、ハロルド・ランド、ソニー・ロリンズと変わっていく。
ところで、『PCMジャズ喫茶』ではここ何回か過去の名盤を聴き直して検証するという企画をやっていて、順番が回って来た時、僕はブラウン・ローチ・クィンテットの中でも、いちばん好きで、最高の演奏だと思う「ジョイ・スプリング」をかけた。

僕がまだ四国の松山にいた1955年から56年ごろ、毎週日曜日の午後3時から30分間、岩国のFENの番組「ベイズン・ストリート」でこのグループのライブを放送していて、この時間だけは外出もせず、ラジオにかじりついて聴いていた。中でも「ジョイ・スプリング」に惚れ込んだが、この曲については思い出がある。

毎年ロスアンゼルスのホテルでは北村英治オールスターズも加わって日米合同のインターナショナル・ジャズ祭が開催されていたが、1996年はクリフォード・ブラウンの没後40年ということで、コンサートがブラウンに捧げられた。ブラウン夫人も招待されていて、僕はたまたま同じテーブルになったのだが、「アイ・リメンバー・クリフォード」が演奏されると、夫人は夫の思い出がよみがえって来たのだろう、目頭をおさえていた。この席で彼女に、僕がいちばん好きなのは「ジョイ・スプリング」だと言うと、彼女もそうだと言い、この曲のエピソードを話してくれた。

「クリフォードとはロスの空港でマックス・ローチに紹介されて会ったんです。お互いに一目惚れで、すぐに付き合いはじめました。ある日ブラウン・ローチ・クィンテットの演奏を聴きにいくと、いつもMCはローチなのに、その日はクリフォードがマイクの前に立ち、僕はまもなく、今このクラブに来ているラルーという女性と結婚します。今から彼女に捧げて書いた曲を演奏します。と言ったんです。そして、その曲が「ジョイ・スプリング」だったんです。だから今もこの曲がいちばん好きなんです。」

そして、ラルー夫人は赤ワインを2杯もごちそうしてくれた。「ジョイ・スプリング」は曲名通り、喜びにあふれた春のように、温かくて美しいメロディーをもった光り輝くような曲であり、歌いたくなるほどだ。

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

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