2010年06月/第77回 ミュージカルとジャズ

 ニューヨークに行くと、いつもブロードウェイ・ミュージカルを3、4本は観たものだ。ジャズも好きだが、ミュージカルも好きだからだ。近年のブロードウェイにはロンドン製が多く進出してきたが、どちらかと問われれば、僕はアメリカ製のミュージカルが好みである。大ざっぱにいうと、アメリカのミュージカルの方がジャズの要素が多く、ロンドン製はジャズ・サウンドがやや希薄である。

このアメリカ製ミュージカルで近年観たものの中で、ジャズ色にあふれていて楽しかったのが、初演の「スィング!」だった。スィング・ナンバーが次々に歌われ、演奏され、ラストは「シング・シング・シング」で大いに盛り上がるのである。音楽も聞き慣れたスイング曲が多くて満足したが、なによりも主演して歌いまくったアン・ハンプトン・キャラウェイの歌がすばらしかった。ミュージカル・スターであると同時に優れたジャズ・シンガーぶりを発揮していた。あまりに感動したので、帰りにレコード店によって彼女のCDを買ってしまった。

 このミュージカル「スィング!」は2度ほどアメリカのキャストで日本でも上演されたが、主役がアン・ハンプトン・キャラウェイではなかったのには失望した。このミュージカルは主役の歌唱力に成否がかかっているわけで、ちょっとアン・ハンプトン・キャラウェイを超えるスターは現れそうにない。

 彼女はこのミュージカルをきっかけに、人気ジャズ・シンガーになり、TELARCから次々にアルバムが発売されており、僕も出る度に買っているが、一度も失望したことがない。彼女は白人で、美人で、しかもジャズ歌手として、いまや最高の一人だと思う。近頃のダイアナ・クラールやジェーン・モーンハイトよりも、僕はアン・ハンプトン・キャラウェイの方を高く評価する。

最新作「At Last」が発売されたので早速買って、「PCMジャズ喫茶」のスタジオに持ち込み、寺島氏の好きな曲「Comes Love」をかけた。寺島氏は、セリフをしゃべっているような、ドラマティックな歌い方が嫌いだという。その気持ちもわからないではないが、ぼくはミュージカル好きだからドラマティックな歌い方も嫌いじゃない。

 僕はこのアルバムの中の歌、「アット・ラスト」「スペイン」「レイジー・アフタヌーン」「オーバー・ザ・レインボウ」などみんな好きだ。もっとも、ぼくの場合、ブロードウェイで観た「スィング!」の印象があまりに強烈だったので彼女の歌への思い入れが人一倍強いのかもしれない....。

 僕がはじめてニューヨークを訪れたのが1972年、その後30数年間毎年訪れているが、年々ニューヨークの芸能やエンターテインメントのレベルが下がっていくのを肌で感じている。それは一時ニューヨークが破産しかけて、「アイ・ラブ・ニューヨーク・キャンペーン」を打ち出し、観光客を大量に呼び寄せた結果だと思う。観光客好みのものが多くなりニューヨーカーの街だったのが普通の観光都市に変貌していったからであろう。

 秋吉敏子にいわせると、70年代どころか、50年代がジャズ・シーンのベストで、56年に渡米した彼女は「私はジャズの黄金時代のしっぽをかろうじて摑むことができた」と言ったことがある。

 50年代の中頃までは、ジャズ・クラブも午前2時半から3時頃まではライヴをやっていたという。秋吉敏子はクリフォード・ブラウン・マックス・ローチ・クィンテットに飛び入りしてピアノを弾くという幸運に恵まれ、午前2時に出演が終わった後、午前3時までやっているデューク・エリントン楽団の演奏を聴くこともできたという。

 僕も70年代にはブロードウェイ近辺で、シャーリー・マクレーン、ハロルド・ニコラス、アーニー・ロス、マーガレット・ホワイティング、ヘレン・フォレスト、リナ・ホーンらのトップ・エンターテイナーのショウをいくらでも観ることができた。70年代に一時期流行った黒人ジャズ・ミュージカル「バスリン・ブラウン・シュガー」「ユービー」「ソフィスティケイテッド・レディーズ」「タップ・ダンス・キッド」「ブラック&ブルー」などは本当に楽しかった。

 そう言った意味で、数年前の作品ではあるが「スィング!」は久しぶりにニューヨーク・ブロードウェイらしいミュージカルだった。

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

コメントは停止中です。